2020年8月9日日曜日

「さらばボルヘス、天才作家よ、嘘つきの老人よ」

Mario Varas Llosa, Medio siglo con Borges (Alfaguara, 2020).


バルガス=リョサはこれまで枕になりそうな、敷石になりそうな本をたくさん書いてきた。その彼が「半世紀」ものボルヘスとの関係を書くというのだから、それはそれは大部なのだろうと思ったら、わずか百ページ強だった。


……まあ、確かに、バルガス=リョサとボルヘスとは相容れないようだと僕も思う。バルガス=リョサがボルヘスについて書いた文章はそんなに多くはないのだろうと思う。


本書には63年と81年、二度にわたる対話、もしくはバルガス=リョサによるボルヘスへのインタヴューが掲載されている。それが思いのほか面白い。そしてまたその対話が二人の作家の決定的に相容れない性格と、それでも不思議と共通の作家への高い評価という点での一致をあぶり出している。


二人が一致して評価している作家というのはフロベールとコンラッドだ。バルガス=リョサがフロベール論を書き、コンラッドに深く関わる小説『ケルト人の夢』(たぶん、近々、邦訳が出るはず)を書いていることは周知のこと。ボルヘスはパリでの最初の対話(バルガス=リョサがラジオ・フランスの文化コーナーを担当していたころのものらしい)において、バルガス=リョサに対し、モンテーニュとフロベールからは影響を受けたと肯定し、かつ、「たぶん、誰よりもフロベール(の影響を強く受けた:引用者補足)と思う」(18)と言っている。さらに『ボヴァリー夫人』と『感情教育』のフロベールか、『サランボー』と『聖アントワーヌの誘惑』のフロベールかという質問に対しては第三のフロベールがいる。『ブーヴァールとペキュシェ』のフロベールだ、と応えている。


コンラッドに関しては、バルガス=リョサがボルヘスの家を訪ねて行ったインタヴューの際に水を向けている。その時はボルヘスはコンラッドに関しては多くを語らなかったけれども、その対話と同時に掲載されたらしいバルガス=リョサの文章「家中のボルヘス」で、コンラッドについては詩を書いているではないか、と指摘している。(この記事の表題はこの文章の中の一節)


しかし、やはり二人の気質の違いは顕著で、そのことはバルガス=リョサ自身も自覚しているのだろう。「彼は私の言うことを聞いているのだろうか? たまにしか聞いていないという印象だ。特定の対話者、目の前にいる血肉を備えた人物、でも彼にとっては陰に過ぎないかもしれない人物に向かってしゃべっているのではなく、抽象的でたくさんいる聴衆にしゃべっている(略)」(26-7)ようだとの戸惑いを見せている。


ボルヘスののらりくらりと冗談で交わす会話の方が好きな僕としては、バルガス=リョサがそう感じるのは彼が真面目すぎるからだと言いたくもなる。ブエノスアイレスのボルヘスの自宅での対話の冒頭、自身の本、および自身に関する本がないと不思議がるバルガス=リョサに対し、ボルヘスは言う。


JLB:最初に出たやつ(私についての本:引用者注)は読みましたよ。メンドーサで独裁制のころに出されたやつ。

MVLl: どの独裁制ですか、ボルヘスさん? というのも残念ながらいくつも……

JLB: あの独裁ですよ……その名は思い出したくない。(de cuyo nombre no quiero acordarme.)

MVLl: それに口に出したくもない。 (Ni mencionarlo)(30)


ボルヘスの「その名は思い出したくない(思い出せない)」はもちろんセルバンテスからの引用だ。バルガス=リョサだってそのことを充分知っているはずなのに、最後の1行を加える。無粋だな、と思うのだ。「独裁制」という言葉に引き摺られ、引用の遊びではなく、ボルヘスの独裁制への嫌悪感を読み取り、そこに共感するつもりで言葉を足しているのだ。


正直言ってこのふたつの対話以外の文章をまだちゃんと読んではいないのだが、対話は少なくとも、ボルヘスへの興味からみて面白い。相容れなさを前面に押し出して愚直に政治的なことなども質問するバルガス=リョサのインタヴュアーとしてのそれが手腕なのかもしれない。63年当時のパリでのボルヘスに対する熱狂もうかがい知れるし、2つ目の対話では最後にノスタルジーというキーワードを引き出している。


外語時代の教え子が1日に亡くなった。病気療養中だった。同期のある友人が彼女に会いたがっている、となぜかメッセンジャーのような役目を果たし、一段落ついたら3人で会おうと連絡し合ったのが3月17日のことだった。それが最後になった。悲しい。