2018年11月10日土曜日

俺が観なけりゃ誰が観る


クリスティーナ・ガジェーゴ、シーロ・ゲーラ監督『夏の鳥』(コロンビア、2018)@ラテンビート映画祭

冒頭、これが事実に基づいているとの字幕が提示されるし、エンドクレジットではクリスティーナ・ガジェーゴの発案からできたと注釈があるけれども、これは僕の訳したフアン・ガブリエル・バスケス『物が落ちる音』(松籟社、2016に対応するというか、それを補うものだ。「俺が観なけりゃ誰が観る」とタイトルをつけたのはそういう意味だ。

グワヒーラの先住民ワユーの青年ラパイエット(ホセ・アコスタ)が美しい娘サイダ(ナタリア・レイェス)と結婚したいと思い、サイダの母親のウルスラ(カルメン・マルティネス)に要求された品物を買うために、平和部隊のグリンゴ(北米人)たちに大麻を売ることにする。親戚のアニーバル(フワン・バウティスタ)が栽培するそれを友人のモイセス(ジョン・ナルバエス)と組んで仲買をしたのが間違いのもとで、金は儲けたのだが、トラブルが続き、……やがて破滅に至るという話。

周知のごとく、バスケスの『物が落ちる音』は平和部隊の隊員(彼女自身は麻薬取引には関与していない)と、その仲間の平和部隊隊員の麻薬密売の運び屋になったコロンビア人との話だ。この小説では栽培者である農民たち(先住民であることが多い)は特に言葉を持たない。その欠落を補っているのがこの映画だと言っていい。逆に平和部隊のグリンゴたちについては詳しくないこの映画は、先住民社会の贈与の体系が大麻の取引に関するトラブルに絡み合う形で描かれ、丁寧である。さすがは『彷徨える河』の監督なのだ。

荒野と家、煙、雲の図が印象的。