2016年12月11日日曜日

声を聴く、感覚を表現する、招喚する

昨日は昼から6時間の長丁場で行われた「和田忠彦教授退任記念シンポジウム 遊戯のはじまり」@東京外国語大学に行ってきた。

第一部「感覚の摘み草」では岡田温司、小沼純一、沼野恭子、福嶋伸洋、山口裕之、松浦寿夫が登壇。感覚を言葉で、絵画で表すことの困難についてそれぞれの立場から話した。

第二部「ことばのたろんぺ」(たろんぺというのは秋田の方言でつららのこと)に登壇したのはジョルジョ・アミトラーノ、木村榮一、澤田直、都甲幸治、栩木伸明、西成彦、久野量一。みんな面白い話をするものだ。

第三部に和田忠彦さんご本人の講演「声の在り処 詩から詩へ」。エウジェニオ・モンターレをよりどころとして記憶を召喚したふたりの作家、イタロ・カルヴィーノとアントニオ・タブッキについての話は印象的だった。

最後に「読みまどろむ」として土肥秀行、くぼたのぞみ、ぱくきょんみ、山崎佳代子がそれぞれ和田さんの書いたものや訳したものの一節を読み、コメントした。時間が押していたので和田さんご本人は朗読できなかった。

なんでも和田さんご自身が、若い頃、まだ京大の大学院生だったころと言っただろうか?、ドイツ文学の野村修さんの退職記念連続講演(つまり、最終講義として自分が話すのでなく、野村さん自身が聞きたいと思う人の話を聞く、という会を開いたのだそうだ)で話すことになったのだとかで、それをヒントに、最終講義でなく、こうした会にしたのだとか。

パーティーも盛況だった。パーティー後は、何人かの仲間たちとひさしぶりに吉祥寺の〈けむりや〉に行き、結局午前様、池袋からタクシーに乗ることになった。カメラをなくしたことに気づいて慌ててタクシー会社に電話したら、どうやら車内に置き忘れたようだ。着払いで送ってもらうことにした。


今日は、これ(リンク)。僕も登壇する。来てね。