2016年9月4日日曜日

シリーズ〈ボラーニョ〉を締めてきた

昨日、9月3日(土)、丸善ジュンク堂渋谷店で『第三帝国』プロモーション第3弾のトークショウに行ってきた。お相手は野谷文昭(『アメリカ大陸のナチ文学』)さんと斎藤文子さん(『はるかな星』)。

野谷さんが議論を進行する形だった。では、柳原君、『第三帝国』の内容を一分でまとめて、って感じだ。

我々3人が〈ボラーニョ・コレクション〉で訳した作品に共通する項目(『はるかな星』は『ナチ文学』の最後のエピソードからのスピンオフだから共通するのは当然だが)は飛行機で空に文字(詩)を書く試み。『ナチ文学』のカルロス・ラミーレス=ホフマン、それを展開した『はるかな星』のカルロス・ビーダー、そして『第三帝国』の名もなきセスナ機。『第三帝国』ではこのエピソードが9.11(カタルーニャの日、かつチリのクーデタの日)に設定されていること、これのモデルと思われるラウル・スリータのことなどにも話が及んだ。

ボラーニョの描く悪、その描き方(描かずに皮膚感覚へ訴えかけてくる仕方)、空(天気)への意識、風景描写との対比、などを語った。

斎藤さんは『第三帝国』の結末部には物足りないものを感じたようだ。終わり方は、確かに、意見の分かれるところかもしれない。あれはあの終わり方しかないのだと意見する人もいる。



昨日も少し、『コロニア』について言及したのだった。事実に根ざしつつそれをいかにも映画的もしくは小説的エンターテインメントに仕立てるというのもひとつの手だろうが、そうではなく、描かないで描くという描き方をしているのがボラーニョなのだと。