2015年3月4日水曜日

毒を食らわば皿まで? 乗りかかった船?

今回の来日、二度目のイベントに行ってきた。ジュノ・ディアス×円城塔×都甲幸治、「未来と文学」@la kagu 神楽坂

ディアスの「モンストロ」は『ニューヨーカー』に掲載され、それが都甲幸治の『生き延びるための世界文学』(新潮社、2014)に翻訳・転載された短編だが、実はあれは未完の長編の一部で、ゾンビものとして始まったその短編が、最終的には火星まで舞台が展開するのではないかとの噂があるが、どうか、という質問から始まった。火星に行くつもりはないそうで、あれはともかく、感染の語りというものを試みているものなのだとか。

それに反応して円城塔は、シリアの反政府組織の司令官のノートにすら描かれるキティちゃんというのがひとつの面白いテーマで、実はキティちゃんの広がりについての小説を考えている、とか書いている、とか。あの「これはペンです」の円城塔がキティちゃんを書くなど、楽しみではないか。ディアスは、キティちゃんと言えば、サンリオのプレスリリースは傑作で、キティちゃんは猫ではありません、との命題こそ、それを発するプレスリリースこそSFだ、と断言。なるほど、と思うのであった。

MITってどう? (ディアスはMITで創作コースを担当している)との質問には、20人ばかりの世界最優秀の学生を教えているわけだが、合衆国の大学生はみな一様にあるオブセッションに囚われていて、それはつまり、恐怖だ、と。間違えることへの恐怖、正しい道を選んでいるだろうかという恐怖、等々。その恐怖を外して差し上げて、恐怖があっては本は読めないとさとすのだ、とのこと。

4月から駒場で1年生相手の授業を持たなければならない身としては、東大の1年生たちのことを考えないわけにはいかなかった。以前、駒場で1、2年生のスペイン語の授業を担当したことがあって(非常勤として。今はスペイン語は担当していない。4月から担当するのも、スペイン語ではない)、その時に一部学生に感じた、強迫観念。東大は全員が教養学部に入学し、3年生でそれぞれの学部学科、専攻課程に進学する。成績によっては志望先に入れないこともあるので、彼らは必死だ。必死だということはオブセッションに囚われているということだ。そのオブセッションを強いる一種の言説がある。それが教師に対してひどく抑圧的に作用することがある。ぼくらはきっと、抑圧されないために、彼らの言説を解体し、オブセッションを取り払って差し上げなければならない。難しい作業だけれども、そうしなければ、彼らは読書の喜びなど経験することはできない。


うむ。4月に向けて大いに助けになるお話であった。

……話を戻せば、Rodrigo Fresán, El fondo del cielo など、円城塔は好きではないかな、と漠然と思った。可能世界により多様な9.11、SFの体裁を借りたロマンティックな物語。