2014年7月16日水曜日

思い立って観てきた


自伝、というのかな? ホドロフスキーのような自意識をもって父と子、母と子の関係を描く作家(ましてや自分も息子たちも出演する映画作家)にとってはすべてが自伝のように思えるのだが、ともかく、今回は本人の生まれ育ったチリ北部の炭鉱町トコピージャにロケーションしており、イバニェスの時代を背景にしていることもあり、自伝の名に恥じない。

で、まとめてしまえばよくありそうな父と子の関係を扱った少年アレハンドロ・ホドロフスキー(イェレミア・ハースコビッツ)と父ハイメ・ホドロフスキー(ブロンティス・ホドロフスキー)の話が、なぜこんなに面白いんだろう? 

まずはロケ地トコピージャの、典型的なコロニアル都市風の色使いが、それだけで映画のセットのように見え、そこに〈理想〉という名の映画館(シネ・イデアル)があったりするのだから引き込まれるからだ。子供の万能感、世界との一体感を表現するのに、父につらく当たられたアレハンドロが「怒れ、猛り狂え」などと言いながら海に石を投げると、高波が襲来、鰯が大量に浜に打ち上げられ、カモメが群れをなして飛来する、なんてシークエンスをもってするからだ。母親サラ(パメラ・フローレス)が、ただでさえオペラ歌手のような風貌なのに、すべてのセリフを歌で表現して、本当にひとりオペラを演じているからだ。不況に喘ぎ、ファッショ的独裁制を招く直前の空気を商店の前に貼られた "Cerrado por quiebra" (倒産により閉店)の貼り紙だけでなく、怪我をして手足をなくし、職も追われた鉱山労働者たちの一団を登場させるからだ(『サンタ・サングレ』の蒙古症の子供たちの行進を思い出さない者がいるだろうか)。愛馬を慈しむ独裁者カルロス・イバニェス(バスティアン・ボーデンホーファー)が恍惚の表情をしているからだ。

……あと何があったっけ? ともかく、ひとつひとつのシーンが噓っぽくて、その嘘っぽさが逆にリアルで面白いのだ。


ところで、パンフレットにはホドロフスキーが原作者となったコミックスや自伝の翻訳が、フィルモグラフィーに並んで紹介されていたのだが、それらの版元は書かれていたけれども、翻訳者の情報はなかった。職業柄、思わざるをえないのだが、ちゃんと載せて欲しいな。