2013年9月28日土曜日

捧げてばかり

教え子の結婚式に出た。21日(土)のことだ。スピーチしろというから軽い気持で引き受けたら、主賓の挨拶だった。仕方がないからルベン・ダリーオの詩「花嫁に捧ぐ」を朗唱した。

Alma blanca, más blanca que el lirio; (白き魂、百合よりも白く)
frente blanca, más blanca que el cirio (白き額、主の祭壇を照らす)
que ilumina el altar del Señor:    (ロウソクよりも白く)
….

と。皆さまO(花嫁の名だ)とは実にこういう人物なのであります。等々。等々。

「ロベルト・ボラーニョ捧ぐ」という催しがセルバンテス文化センターであった。26日(木)のことだ。スペインの国営テレビrtveが製作したボラーニョついてのドキュメンタリーの字幕つき上映会と、それについてのトークショウ。行ってきた。行ったついでにトークショウにも参加してきた。野谷文昭さん、小野正嗣さんと語ってきたということ。

皆さま、ロベルト・ボラーニョとは、若き頃、アンファン・テリブルにして、晩年は周囲に愛され、愛した人間であったわけです。等々。等々。

そんなこんなの合間に引っ越しした。引っ越すたびに部屋は狭くなるが、都心には近くなる。だからといってどうということもないのだが。

今回住むことになったのは、かつて東京外国語大学のキャンパスがあった北区西ヶ原4丁目からほど遠からぬ場所。大学の近く(滝野川一丁目の電停付近)に住んでいたぼくが自分の庭の端っこあたりと認識していた場所だ。

やれやれ。

少しずつほのめかしてきたのだが、ぼくは外語を辞めようとしているのだ。それで過去の外語の記憶の中に生きるはめになった、と。パラドクサルだなあ。

で、学生時代は見向きもしなかったのだか、この界隈だと実は赤羽が要所なのだと改めて気づいた。そのことをセルバンテス文化センターでのレセプションでさる編集者にお話したら、ちょうど都市論の本を準備している最中らしく、赤羽がいかに重要かを教えていただいたのだった。


あ、いや、ぼくは赤羽に住むわけではない。くれぐれも誤解なきよう。