2013年8月9日金曜日

ああ! めんどくさ!……

6月中に献本をいただいていたのだが、7月もだいぶ遅くなってから電車内でちまちまと読み始めたので、今、読み終えた次第(という言い訳めいた言辞を、自分で書いておいて情けなく思う。しなければいいのだ、こんな言い訳)。

マリオ・ヂ・アンドラーヂ『マクナイーマ:つかみどころのない英雄』福嶋伸洋訳(松籟社、2013)。

〈創造するラテンアメリカ〉シリーズ第3弾だ。第2弾(というのは、アイラの『わたしの物語』拙訳だ)についで、ですます調で、かつひとをくったような話だ。原書は1928年。モデルニスモ真っ盛りのブラジルにおける、ひとつの頂点だ。

密林の奥で生まれ、生まれてから6年間は「ああ! めんどくさ!」以外ひと言も発しない奇妙な子として育ったマクナイーマは、母が死んで旅に出、森の母神シーと「じゃれあ」い、これを妻として、密林の皇帝になり、やがてサンパウロに出て、生涯の敵ヴェンセスラウ・ピエトラ・ピエトロと対峙し……と筋を追おうとすると、途中で、主人公とともに叫ばざるを得なくなるのだ「ああ! めんどくさ!」(これは作品中、何度も発される叫び)

実際、「つかみどころのない英雄」との副題は良く言ったもので、この小説において筋は二次的な問題だ。

「どっかに行け、疫病め!」
 そして兄さんたちのところにやってきました。
「もうぼくは小屋〔パピリ〕なんて作らないよ!」
 そしてレンガ石や屋根や金具を雲のようなサウーヴァ蟻の大群に変えると、それは三日間サンパウロを覆いました。
 ムカデはカンピーナスに落ちました。イモ虫はそこらへんに落ちました。ボールは運動場に落ちました。マアナペはコーヒー虫を生み出し、ジゲーは綿花を食べるピンクイモ虫を生み出し、マクナイーマはサッカーを生み出し、こうしてブラジルの三大害虫が生まれたのです。(64ページ。〔 〕内はルビ)

なんていう語りを小説のコードで読み解くことができるはずはないのだ。昔話のような、アレゴリーのようなこの語りは何かを思わせる。

同年に発表されたミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『グアテマラ伝説集』だ、例えば。

 風に運ばれてきた三人は、小鳥のように果物を糧〔かて〕としていた。
 川を流れてきた三人は、魚のように星を糧としていた。
 風に運ばれてきた三人は森のなかで、時にはすべり動く蛇がかさかさと音をたてている落葉にもぐって、またある時には、高い枝に登り、栗鼠〔りす〕、鼻熊〔はなぐま〕、尾長猿〔おながざる〕、ミコレオン、イグアナ、そして洗い熊などの間で夜を過ごした。(「火山の伝説」『グアテマラ伝説集』牛島信明訳〔岩波文庫〕、42ページ)

な? 

アストゥリアスが『ポポル・ヴフ』の翻訳からこの語り口を獲得したように、アンドラーヂも先住民の語りからこの題材と語り口を獲得した。底本としてあるのは、福嶋さんの「あとがき」によると、コッホ=グリュンベルク『ロライーマからオリノコ川へ』(1917)だという。アストゥリアスの盟友カルペンティエールに、その後、『失われた足跡』を書かしめた書だ。


アンドラーヂの場合、先住民の語りを取り入れつつ現代的な風味を加え、かつ、マクナイーマにブラジル民衆の中に息づく悪者(とでも言えばいいのか? マランドラードというやつだ)の典型のような人格を造型してみせたことが特徴なのだろう。だから、だいぶ愛されているようなのだ、この英雄は。「健康〔サウーヂ〕はわずか、サウーヴァ蟻はたくさん、それがブラジルの害悪だ」(もうひとつのくり返される口癖)という、このサウダーヂの国で。