2013年4月28日日曜日

縮小経済を生きる


主権回復の日など、何の悪い冗談かと思ったら、3月12日に閣議決定されたのだとか。引っ越しにかまけてチェックできていなかった。

主権回復の日は屈辱の日だ、と沖縄の人々は言うという。ぼくだって、この日から激しくなった本土復帰運動の話を、その只中にあった母の世代の者から語り聞かされた世代だ。その「主権」とやらの「回復」のために何を切り捨てたかに無自覚な鈍磨した神経の持ち主の主権意識には常に疑念が呈されなければならない。

小選挙区制のマジックによる勝利を圧倒的なポピュラリティと勘違いしてのぼせ上がっている安倍晋三の暴挙の数々を、ダサイだの品がないだのと言って高踏的に構えているだけでは、もうすまされないのだろうと思う。公約を覆してTPP交渉に参加するし、憲法は変えやすくすると意気軒昂だし、そういえば大学教員を年俸制にしろなどという答申をなんとか委員会に出させるし(そんなことより国立大学授業料無償化こそが焦眉の急だろう)、……話はずれるが、いまやグローバル企業となった服屋のCEOが「年収1億か百万か」の時代が来るだろうと、その立場で言ってはならないことをしたり顔で言い、それを大新聞が他の特集との兼ね合いで、あたかも肯定するかのような報道をし、……

もうこの国はだめなのだと思う。「年収1億か百万か」というが、努力すれば全員が1億の年収を得られるわけではない。そんなことをわかりきっている学生たちに、何の道を説けというのか?

ぼくは今のところ、「年収百万」ではない。が、一方で、どう足掻いても「年収1億」には届かない仕事だ、この仕事は。それどころか、最近、生活の規模を縮小させているのだ。「年収今よりマイナス百万(から200万)」の生活を送ろうとしているのだ。

引っ越しや生活の規模縮小に関係する記事に「縮小経済を生きる」というタグをつけてみた。ちょっと意識して生活のことを書いてみようかという意向。実はあまり自身の生活を語るタイプではないのだが、がんばってみようと思うわけだ。