2013年4月10日水曜日

耳をそばだてる


さて、君たちはぼくのブログを読んできたのだから、ピグリアの「短編小説のテーゼ」など訳したりして、それを授業なんかでも使って、短編を読む訓練だ、などと息巻いていたことを知っているだろう。

では、今日のレッスンは、これだ。

旦敬介『旅立つ理由』(岩波書店、2013)

何しろ、敬愛する先輩、旦敬介さんの実にほぼ20年ぶりの短編集だ。旅を扱った旅行短編集だ。こんなきれいな挿し絵つきだ。挿し絵は門内ユキエさんのもの。そりゃあ、読むだろう。

読むだけじゃなく、出版記念イベントが下北沢のB&Bで開かれるとなりゃあ、行くだろう。

イベントで朗読してくれたのが、2作目の短編「初めて見る異国の情景」だ。ぼくもこれはとても印象に残った一編だけに、これが選ばれたときは喜んだな。

ケニアとウガンダに慣れ親しんだ、アフリカ人の「彼女」が、同棲していた外国人(ってのが日本人なのかな? でもそれは今は些細な問題)とザンジバルに旅行に出かけるんだ。アフリカに慣れ親しんで、それを我が物と思っていた「彼女」が、ザンジバルには違和感を感じたというのだ。

 インド洋の沖合三十五キロに浮かぶザンジバル島はタンザニアの一部で、タンザニアはケニアとウガンダの両方に隣接した同じ東アフリカの国で、かつてはこの三国で東アフリカ共同体を形成していたこともあったくらい近しい関係にあり、ことばだって通じるところだったが、たしかにこの島、ザンジバルは、彼女にとって、生まれて初めて見る異国となった。(13)

というのだな。近いはずなのに、異国に感じる。

なぜか?

さて、君たちは上に言ったような理由で、短編小説ってのが常に語らない事実を含むために謎に包まれたプロットをひとつ展開するものだってことを知ってるだろう? この短編ではこれがその「謎」になるわけなんだ。

「彼女」と外国語人の「彼」がとても立派なスワヒリ語を話すらしいタクシー運転手とともにホテルを探して歩き回り、疲れ果てるのだが、どういうわけか、酒が飲めそうなところがない。やっとビールが飲める場所に着いたかと思うと、今度は、酒場らしくない雰囲気が漂っている。で、ビールを頼もうとすると、彼女はなぜか頼めないんだ。そして、ついにはクラブ・ソーダを注文してしまう。

これが謎。なぜ彼女はビールを注文できなかったのか? 

ここで読書の難しさというテーマが加わるのだが、ぼくは最初に読んだときには、そこがザンジバル島であるという事実だけが、その謎の解明の手がかりだと思って読んでいたんだ。そしたら、今日、旦さんの朗読を聞いていたら、ちゃんと書かれていることに気づいたのだな。「彼女は飛行機に乗って、かつてオマーンのスルタンが統治したこの島に、生まれて初めて観光旅行で行くことになったのだった」(13-14)と。

さて、その謎がわかったところで、では、その状況から生まれた緊張を、どうやってやり過ごすか、というのが作品後半の読みどころになるのだが、それを言ってしまっては、君たちは「ネタバレ」だと言って怒るのだろう? だから話さない。自分で読んでくれ。とてもすてきな解決方法が披露されている。

そしてまた、朗読を聞いていると明らかになるのは、語の採用のしかたの妙だな。たとえば笑い声。

「(彼女は)満足げにけろけろと笑った」(15ページ 強調は柳原)
「ふたりの口から同時に、くすっ、と小さな笑いが漏れた」(17 同)
ニヤっ、といたずらな笑みが浮かんだ」(21 同)

わずかなページの間に3つもの異なる笑いとそのオノマトペが紹介されている。

いやあ、やはり音読って、聞いてみるものだ。

イベントって、出てみるものだ。美しいユキエさんから、こんな風にBeijo(スペイン語でいうBesoだな)までいただいたんだから。家宝になるね。