2022年3月10日木曜日

語りやら話やら音やら

清水透(著訳)『コーラを聖なる水に変えた人々』(現代企画室、1984は僕が上京して買った240冊目の本だ(当時の習慣に従って裏扉にはナンバーがふってある。841210日刊行のこの本を僕は翌85121日に購入し8日後の29日に読了している。それも同じく当時の習慣で、裏扉に記載してある)。その月のうちに当時のサークルの機関誌(手書きガリ版刷り)に書評を書いている。


2部構成のこの本の第一部はリカルド・ポサス『フアン・ペレス・ホローテ』の訳だ。だから「清水透(著訳)」と書いたけれども、正確には著者名は「リカルド・ポサス/清水透」と併記されている。『フアン・ペレス・ホローテ』はマヤ系の先住民に取材したポサスがメキシコ革命に巻き込まれた彼の半生を自身の語りのような体裁で記述した民族誌の古典。


このフアンの息子ロレンソに話を聞き、それを文章化したのが第二部「コーラを聖なる水に変えた人々」。ロレンソはフアンの死からはじめて自らの人生、変わりゆく村のことなどを語っている。「フアン・ペレス・ホローテ」の続編が日本語で書かれたということなのだ。


その続編が最近、スペイン語での出版計画が進んでおり、最初の2章が既に雑誌に掲載された(リンク)。残りも連載し、ゆくゆく単行本化する予定だという。


このテクストの基となったロレンソの語りを直に聞き、清水先生から製作過程についての話を伺おうという集まりに行ってきた。37日(月)のこと。慶應大学の様々な学部に所属するラテンアメリカニストたちが行っている研究会の一環で、僕がこの一連のペレス家の物語およびそれを書いた清水著書に興味を抱いていることを知った友人が呼んでくれたもの。


どこまで忠実に言ったままを表記するべきか、などといった点について丁々発止のやりとりがなされて楽しかったのだ。



メキシコ産アボカドを使ったフレッシュネスバーガーのアボカド・フェア。


8日は「斎藤文子先生を送る会」@東大駒場キャンパス


同僚というか、キャンパスは異なるけれども東大の総合文化研究科の斎藤文子先生が今年で定年退職。最終講義、というほど大袈裟なものではなく、教え子たちと同僚たちのささやかな集まりで、ということで、行われた催し。


斎藤さんは自身のセルバンテスとの出会いを語り、『模範小説集』に見られる少数者への眼差しを語り、その後、教え子たちが近況報告と挨拶をしたのだった。


今日、10日は映画を観たぞ。


アピチャッポン・ウィーラセタクン『Memoria メモリア』ティルダ・スウィントン他(コロンビア、タイ、イギリス、メキシコ、フランス、ドイツ、カタール、2021


メデジンで蘭を栽培しているジェシカ(スウィントン)が入院中の妹カレン(アグネス・ブレッケ)を見舞いにボゴタにやって来た晩、大砲の発砲音のような大きな音に目覚め、眠れなくなる。妹の夫フアン(ダニエル・ヒメネス=カチョ)に紹介された彼の教え子だとかいう音響技師エルナン(フアン・パブロ・ウレーゴ)に頼んで、その音を再現してもらう。


と、ここまでは音をめぐるエピソードの積み重ね(タイヤのパンク音、雨、カフェの隣の席の会話、等々)による日常に思えるのだが、ある日、ジェシカが仕事場に訪ねていくとエルナンなんて人物はいないし知らないと言われるあたりから話に異なる次元が貫入してくる。


ピハオと思われる田舎町で診察を受け、薬を出してもらったジェシカは、せせらぎに導かれ、もうひとりのエルナン(エルキン・ディーアス)に出会う。彼は石に刻まれた音を通じて、この石に腰かけていた男に降りかかった事件を語り、「我々の種族は夢なんか見ないんだNuestra especie nunca sueña」などと言って半目を開けて眠ったりする。このエルナンは苗字も一緒だし、どうもあの音響技師のエルナンと同一人物のようでもある。さすがは元オルランド(オーランドー)のジェシカ/ティルダは時間を旅し、そしてついには空間(スペース)をも旅する記憶を回復するのだった。


うーむ。なるほど、道理で車たちの防犯ブザーが共鳴して鳴くはずだ。