2016年7月31日日曜日

おのれの愚図なるを嘆く

昨日はある人の博士論文の事前審査(というのをやるのだ)があって、それは3時間ばかりの仕事なのだけども、何やら疲れるもので、その後の時間を無駄に過ごした。

事前審査では論文そのものに教えられることもあったが、いつものごとく他の審査員の先生たちの態度や言葉に学ぶこと大であった。

今日はある原稿の〆切り日で、前からわかっていたはずなのだけど、結局、当日になってうんうん唸るはめに陥っているのはいつものこと。

お題はキューバ映画について。3,000字。

こんな、目の前の〆切りに追われているときに限って、長期的な約束を少しでも先に進めたい、あの本の原稿を書いてしまいたい、この目の前の仕事があるからあれができないんだ、と逆恨みする(ある雑誌への記事を書いているわけで、僕はここ数年、こんな仕事をあるていどしてきて、それらの原稿を集めれば、もう2冊分くらいの分量にはなるはずなんだけど、実際には単行本にするにいたってはいない。そして、単行本を書く約束は、こうして遅々として進まない、と……)のは、典型的な愚図の思想なんだな。

愚図なんだ。
 
でももうすぐ書き終えると思う。「もうすぐ書き終える」からと、こんなところに寄り道しているようでは、結局、書き終えることはないのでは、との不安も頭をもたげる。

実際に何か原稿を書く時には、それ以前にメモを取り、メモを基にしたパラグラフがいくつもあり、それらを組み合わせたり書き換えたりしながら、どうにか文章を成形して行く。その成形過程のことを「書く」というのだが、メモやパラグラフが足りないまま〆切り当日を迎えると、こんな風になる。そしてこんな風になると、こんな風に他の文章を書いたり、よせばいいのに、最近、見る習慣をなくしているはずの野球を見たりしている。そしておそらく、もう少ししたら、夕食を作り始めるだろう。脱稿は、かくして、先延ばしにされる。


ともかく、書き終えたら、明日は現文研究室の合宿♪ (書いておかないと忘れてしまいそうだ)