ソチ発共同通信の配信として『中日スポーツ』のウェブ版速報がこんなニュースを伝えた。
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、ソチで記者会見し、森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。森氏は第2次大戦に触れ、英語は「敵国語だった」などと説明した。
英語力について、森氏は「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と話した。出席者からは「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑する声が聞かれた。
僕はこの森喜朗の態度の何に腹を立てるか? 記憶の詐欺、歴史の転倒とでも言うべきものに対してである。
森喜朗はここに明記されているとおり、76歳。1937年7月生まれだ。英語が「敵製語」(「敵国語」でなく、こう言ったと思う)だったのは、彼が8歳になってすぐのころまでの話だ。やっと小学校の2年生で「てふでふは……」とかやっていたころまでだ。中学生から全員が英語を履修するという学校制度を彼は潜り抜けてきたのだ。いかにも、最初の野球の経験くらいは「よし」「駄目」でやっていたのだろうが(それだって怪しい。8歳だぜ)、きちんと勉強すれば少しくらい英語が理解できるようになったとしても不思議はない世代なのだ、この早大出身の元総理大臣は。世代で語るならば、「よほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」ではなく、「まったく勉強しなかった私は外国語を理解しない」と言わなければならなかったのだ。
森喜朗より2歳年上の若桑みどりはどこかで、自分の母の世代は教育制度のせいで英語などろくに知らない、そのことをもって若いころには母を蔑んだこともある、だがそれは間違いなのだ、と反省していた。若桑みどりのこの悔悟の前に森喜朗は跪かなければならない。世代に対する裏切りだ。
たとえば、(今、別のところに引用しようと思って手もとに置いてあるので)早川敦子『世界文学を継ぐ者たち――翻訳家の窓辺から』(集英社新書、2012)第一章「自分を語り他者を語る」ではエヴァ・ホフマン『記憶を和解のために』が取り上げられるのだが、エリ・ヴィーゼルやヴィクトール・フランクルらの「ホロコースト文学」第一世代に対し、ホフマンらを第二世代と位置づけ、次のように概説している。
第一世代はまさに自身の記憶を言説化することに苦悩したのに対して、第二世代は「生還者の子どもたち」であり、ホロコーストの直接的な記憶と体験をもっていない。その不在こそ、彼らの苦悩なのだ。存在ではなく不在の意識を第二世代にもたらしたホロコーストのありようが、ぱっくりと口を開けた「裂け目」として照射される。自身との繋がり、関係性を断ち切られつつ、その不在をたえず意識し続けなくてはいけないパラドックスがホロコーストの「その後の生」なのだ。(50-51ページ。下線は原文の傍点)
この説明をパラフレーズして考えてみよう。「いやあ、我々の世代は英語ができなくてね」と、本当はそんなはずないのに、自虐気味に、別に英語なんかできなくてもいい立場の人が言うのが、英語敵製語政策がその不在において照射する「裂け目」だ。それを「いやあ、我々のころには英語は敵製語で教えられなかったからね」と、その世代でもない森喜朗が言うことは、誤魔化しなのだ。年齢をサバ読んでいるのだ。自身の眼前にある不在に、「裂け目」に目を向けようとしない知的不誠実なのだ。
こんな者の言葉は傾聴に値しない。
……ところで、オリンピックって、もう始まっていたのね……
……ところで、オリンピックって、もう始まっていたのね……