大学の教員、つまり研究者の重要な仕事のひとつに本を書くというものがある。今も何冊かの本の計画を抱え、書けない書けないと唸っているのが僕の現状である。
しかるに、同僚たちは実に生産的で次から次へと本やら翻訳やらを出すものだから困る。こちらの立つ瀬がないのだ。
最近僕を苦しめている(?)ひとりが阿部公彦さんである。ついこの間、
阿部公彦『名作をいじる――「らくがき式」で読む最初の1ページ』(立東舎、2017)
という本を出したかと思ったら、数カ月としないうちに
阿部公彦『史上最悪の英語政策――ウソだらけの「4技能」看板――』(ひつじ書房、2017)
なんてものを出した。困った困った。
本に対する態度は、人によって、本によって目的によって違うだろうが、だいたい、次のように分類できるだろう。
1) 何も書かない、貼らない。2)付箋などを貼るが、何も書かない。 3)書きこみはするが、傍線(下線)やある種のマークだけ。 4)何らかのコメントも書きこむ。
まあ、書きこみをした上で付箋を貼る、貼らない、とか、線やマークを鉛筆で引くかペンで引くか、ペンは1色か多色か、などといくつも下位区分はできるだろうが、ともかく、こんな感じ。僕もこの4つのパターンを使い分けている。
(写真はある日の僕の書きこみ。ここでは赤の傍線のみ)
で、問題は4)だ。僕が書くコメントはいささか、機能的にすぎるような気がする。他の参照のほのめかしとか、章ごとのあらすじ、キーワード、等々。どうしても「いじる」のではなくまとめたり捌いたり、といった感じだろうか。ここは阿部先生のインストラクションにしたがって「いじる」タイプの書きこみを身につけたいところである。
後者は阿部さんご本人がここ数カ月、折に触れ、「4技能」入試の欺瞞についてツイッターでの連投などにより批判を展開していたのを拝読しており、その延長線上で思う存分、書いた本となれば、そりゃあ、読んでしまうじゃないか。「4技能」導入の話題が、背後に民間テスト導入の野心が隠れていること、導入決定のプロセスが「有識者会議」という怪しげな集団の会議で決められたことなどを指摘して痛快だ。有識者会議の議事録のおかしさを指摘する手並みは、さすがに「らくがき式」で読んでツッコミまくった結果なのだろう。
教育に関しては、誰もが口を出すに充分な資格がある「有識者」を自認してしまう(だって教育受けてきたんだもん)ところが厄介だ。英語に関しても、不思議と誰が口を出すに充分な資格がある「有識者」を自認してしまう(だって授業を受けてきたんだもん。しゃべれないけどさ)ところが厄介だ。英語教育だと二重に厄介な話になる。そんなところで果敢に戦っておられるのである、阿部先生は。あとがきには、このように書いておられる。
今回の英語政策の変更過程を見渡してみて驚くのは、政策推進を声高に主張した方々が、信じられないほど古い固定観念にとらわれているということです。ご自分では改革派を自認しているつもりが、実は五〇年以上前から繰り返されてきた――とっくに賞味期限の過ぎた――「妄想」を再生産しておられる。そのため、有識者会議でも議論はほとんどかみ合わず、昔からあるイデオロギーが振りかざされただけでした。もう少し言葉について、あるいは教育や文化についてじっくり考えたことのある方の意見を聞きたいとつくづく思います。有識者会議がこの程度の「有識者」で構成されるというところに、日本の今の危機がもっともよくあらわれているのでしょう。もちろん、会議を組織した政治家の問題がもっても大きいのは言うまでもありません。(150)
本当に、教育に関してなど、古い考えを自慢げに開陳して恥じない人は多いよな。僕も時々思う。
……でもなあ、繰り返すが、もう少し前の著書と今度の著書の間は空いていると、僕としては助かるのだけどな。引け目を感じずにすむ。差し上げたりいただいたりの献本の不均衡が少しは是正される……
ま、僕ががんばればいいのだが……ええ。がんばりますとも。