2012年11月28日水曜日

物語をハシゴする火曜日


授業のない昨日は、授業の準備としてある映画を見た後で、映画館で映画、次いで劇を、ハシゴして鑑賞した。

ロバート・B・ウィード『映画と恋とウディ・アレン』(アメリカ、2011)

マーチン・スコセッシ、ダイアン・キートン、スカーレット・ヨハンソンやウディの妹・マネージャーのレッティ・アロンソン、撮影監督ゴードン・ウィリスなど、関係者へのインタビューと記録映像、映画の一場面を交えて構成したドキュメンタリー。

が、そもそもインタビューを交えてのある人物の半生を再構成するというのは、ウディ自身が得意とした疑似ドキュメンタリーの手法だった。Woody Allen: A Documentary という原題のこの映画自体が彼の映画に見えてくる。

当然のことながら、本当はもっと大々的にインタビューがなされていいはずのある人物へのインタビューが欠けているものの(それはつまり、ミア・ファーローだが)、デビュー以来ずっと使っているタイプライターやその仕事ぶりなどが披瀝され、一ファンであるぼくには楽しい一編。

燐光群『星の息子』作・演出 坂手洋二、渡辺美佐子ほか @座・高円寺

ごく最近の脱原発デモや反オスプレイ運動を扱いながら政治的プロパガンダに堕さず、興味深い劇になっているのは、さすがは坂手洋二のストーリーテリングの妙。

ツイッター上で普天間や官邸前のデモを指導してカリスマとなった息子・秋山星児を探す母・佐和子(渡辺美佐子)が、沖縄にやって来てオスプレイ配備直前の高江村で座り込みをするまでの尋ね人の記録。秋山星児は秋山星児2、秋山星児3、……と増殖しては移動し、そのどれもが別人で、たどり着いた先の高江には訳ありの夫婦の子供・星児がいて、……

ツイッターというメディアを巧みに取り込んで(というのは、近年のデモという題材が要請するものでもあるのだが、同時にそれが物語作りにうまく利用されているということ)、どこまで行っても見つからぬ尋ね人を探す物語を紡いでいる。主演の渡辺美佐子は時に高い櫓の上にのぼり、その点ではハラハラさせられるのだが、さすがはヴェテランらしい安定感。

2012年11月23日金曜日

雨男、健在なり


今日は神大で講演をする。神大といっても神戸大学ではない。神奈川大学だ。このことは先刻宣伝のとおり。

ボラーニョと『野生の探偵たち』についてしゃべるようにとのこと。ボラーニョというと、常に還ってきたい場所というのがあって、それが、中編『チリ夜想曲』(2000)のこの一節。

列車がカタコトと音を立てたのでウトウトとすることができた。私は目を閉じていた。今閉じているのと同じように閉じていたのだ。だが突然、再び目を開けた。するとそこに風景があった。変化に富み、豊かな風景。おかげでときには熱くなったし、ときには悲しくなった。そんな風景。(Bolaño, Nocturno de Chile, 2000: 16)

「するとそこに風景があった」だ。「変化に富み、豊かな風景」だ! この手抜きとも思える描写は何だ? 

去年、12月に京都外語大で話したときは、これを列車の窓を通して眺めた風景、ある種の光学装置を通過した風景として理解し、ある展開をした。今回は、これをむしろ詩として理解しようと思う。ボラーニョの詩として。それが『野生の探偵たち』の解釈にも一役買いそうだという話。

しかし、まあ、今日は雨だ。今日も雨だ。ぼくは稀代の雨男なのだった。

Bolaño, Bolaño, gran poeta, poeta frustrado, poeta que nunca fue.
Bolaño, Bolaño, Roberto Bolaño, alias Arturo Belano.
Tocayo de aquel inmortal Rimbaud…

2012年11月21日水曜日

逃れがたい黄金強迫


この写真ではよくわからないだろうか? これは賑わうキャンパスの図だ。平日の昼間から。

今日から5日間、ぼくの勤める東京外国語大学は学祭期間だ。第90回外語祭だ。初日なのに、けっこう賑わっている。

ある学生がもっとよく賑わいのわかる写真をFBに掲載して、外語祭に遊びに来たことを告げていた。ぼくはそこに、やれやれ、こんな日に昼間から会議だぜ、と書き込んだ。次に、もともとの掲載者と同期の学生が書き込んでいた。

「くそいきてぇ、、、」

やれやれ。世の中「くそ」だらけだ(11月17日と18日の記事を参照されたし)。

たぶん、この書き込みをした学生は、何らかの事情で(あれ? もう卒業したんだっけか? だとしたら、仕事で)、外語祭に遊びに来たくとも来られないのだ。だから、この書き込みは、

「(外語祭に)たまらなく遊びに行きたい」

の意味なのだ。

でもなあ、どうしたって、こうみたら、トイレに行きたい、の意味にしか思えないのだけどな。

ええ。そりゃあね、人間なんて、五尺の糞貯めですとも。でもなあ、……おれ、そんな黄金趣味ないんだよな……

東京外国語大学の学園祭、外語祭の二本柱の一つは、主に1年生たちが出す、各国料理店です。学生たちは専攻する言語の話されている地域特有の料理を、それなりに真似て、作って、お出ししています。

2012年11月20日火曜日

スウィング・トップの正式名称


30年ばかり前、学生時代のぼくの写真を見返すと、たいてい、スタジャンか、そうでなければスウィング・トップを着ている。どこのブランドかは覚えていないが、オリーヴ・グリーンのやつだ。あるいはその辺のスーパーの衣料品売り場で買った安物かもしれない。

30年前の20歳の青年が着ていれば、定番のアイテム、という感じなのだが、50を目前に控えた中年男性が着れば商店街のオヤジのようかな、と危惧されたし、事実、商店街のオヤジ然としてしまうのだが、これ、楽でいいのだからしかたがない。スウィング・トップ。

スウィング・トップと言えば、高倉健だ。高倉健はいつもベージュのスウィング・トップを着ているというイメージがある。あれはMcGregorのだと聞いた記憶がある。これはMcGregorでもないし、「スウィング・トップ」の名付け親VANのものでもない。Mercの、実際はハリントン・ジャケットという名のブルゾン。サイズもぴったり。昨日のような本格的な寒さに突入する前の、今の時期には重宝する。

さ、仕事、仕事……といっても商品の出し入れではない。本の出し入れ。

2012年11月18日日曜日

きまりが悪い日曜日


今朝最初にやっていたのは、以前宣伝した講演のための原稿書き。もしくはその草稿書き。もしくはそのための準備。昨日さんざん電車の中で声高らかに小学校の校舎が「クソ」だと罵った乗客に対して覚えた違和感を書いたのに、今日のその最初の仕事で最初にやったのは、次のような一節を引用することだった。

ある日、彼が監督と喧嘩したって言うの。なぜって尋ねたけれど教えてくれなかった。つまり、文学に対する見解の相違だという程度のことしか言わなかった。わたしがどうにか聞き出したところによれば、監督はネルーダはクソだと、ニカノール・パーラこそがもっとも偉大なスペイン語詩人だと言ったとか。そんなようなことをね。(『野生の探偵たち』上巻228ページ)

あーあ、これ訳したのおれなんだよな。人のことは言えないな。いやね、そりゃあ、これはボラーニョがそう書いたからそう訳したんだけどね……あーあ。ま、「ケツ毛の先についたクソのかけら」(下巻16ページ)よりはマシか。

『野生の探偵たち』と言えば、今日、めずらしく『朝日新聞』書評欄に『2666』の書評が出ていた。評者は小野正嗣さん。いいな。『野生の探偵たち』のときには取り上げてもくれなかった『朝日』なのに……と拗ねた1日だった。先日、訳者の方に伺ったところでは、『2666』もう3刷りが決定したそうだ。慶賀すべきことだ。

写真は、奥泉光『虫樹音楽集』集英社。短編集の1作目は「川辺のザムザ」だ! そりゃあ、買いたいくもなるというもの。

2012年11月17日土曜日

めでたさも中くらいなり……


立石博高、塩見千加子編著『エリアスタディーズ110 アンダルシアを知るための53章』明石書店、2012年

ぼくの立場からしてみれば、単なる執筆者として4章+コラム1本を書いているだけだし(目次には名もないし)、啓蒙書たるこうした本の性質として、何か新しい冒険に出ることもなく当たり障りのないことを書いただけなので、だから表題のような小林一茶風の言葉が出てくるわけだが、とにもかくにも、無事出版されたのだから、めでたいことに変わりはない。買ってね。


ところで、電車の中で、中学生くらいの女の子が、目の前に座った父(か祖父)を相手に突然心情吐露を始めた:わたしさ、小学のころ、学校嫌いだったじゃん。それってさ、校舎がクソだったからなんだよね。チョー汚くて、ほんとに嫌だった。等々、等々……

あのね、校舎が汚いのが嫌なんだったら、その言葉遣いも少しは考えた方がいいと思うよ。美しく雅やかな言葉を使えとまでは言わないけれど、せめて斜め前で本を読んでいる中年オヤジ(つまり、ぼくだ)が、びっくりして目を白黒させてしまわない程度の言い方で表現してくれないかな。ぼくは本当にびっくりして、思わず君を見つめてしまったじゃないか。「クソ」なんて言葉は本当に我慢がならなくなったときのために取っておこうよ。君は6年間、その「クソ」に耐えたんだろう? だったらそれは「クソ」なんかじゃない。「クソ」は君のこれから先の人生のどこかで、必ず待っているからさ、だから、頼むから今は、小学校の校舎が汚いくらいのことで「クソ」なんて言わないでくれ……しかもそんな大声で……ぼくは本当にびっくりしたんだ。何しろぼくが読んでいたのは、

「その必要はないわ」わたしは、銃剣を払い上げる。そして、ママの手を取ってキスした。「ママ、神さまのお恵みを(ラ・ベンディシオン)」幼いころ学校に出かける前に、よくこう言ったものだ。(フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社、2012、145ページ。( )内はルビ)

というパッセージだったのだから。

生まれる時代と場所が違うと、いろいろなことを考えさせられるね。

2012年11月16日金曜日

たえて日本映画のなかりせば


昨日、15日(木)、東京外国語大学総合文化研究所講演会、兼・スペイン語特別授業と銘打って、マリオ・ピエドラさんの講演会を行った。タイトルは「キューバにおける日本映画の存在と影響」。

300人ちょっと収容の大教室101が会場だったので、あまり少ないとさびしいと思っていたのだが、ある程度席が埋まったので助かった。

キューバでは、革命後の政策、および合衆国との関係、それからICAIC(キューバ映画芸術産業庁)初代長官アルフレド・ゲバラの示唆などにより、日本映画の紹介が広くなされたこと、黒澤のような「芸術映画」も多く取り入れられたが、一方で、ハリウッドの娯楽映画に対するオルタナティヴとしてチャンバラものなどもたくさん輸入されたこと(そこで最大の人気を博したのが座頭市シリーズ)、などをデータを交えて紹介された。そしてピエドラさんは、フェルナンド・ペレス(『永遠のハバナ』)、セネル・パス(『苺とチョコレート』)、レオナルド・パドゥーラ(『セブン・デイズ・イン・ハバナ』)といった、日本でもお馴染みの映画関係者の証言を織り交ぜて、日本映画がキューバ映画に与えた絶大なる影響を説いた。曰く、60年代、70年代の若者たちは日本映画で映画作法を学んだのだ。結論として、日本映画なければ、われわれはわれわれではなかっただろう、との見解を述べた。

こんな機会にしてはめずからしく学生たちも積極的に質問し、質疑応答も盛り上がったのだった。聴衆のみなさん、盛り上げてくれてありがとう。

2012年11月14日水曜日

時間差の偶然


日付が変わったのでもう昨日のことだ。13日(火)には講演会をハシゴしてきた。いずれも、@東京大学本郷キャンパス

まず、マリオ・ピエドラ「キューバと日本映画座頭市はなぜヒーローになったのか?」

ほぼ時間どおりに始まった。最初、そんな時間に関する冗談が主催者の野谷文昭さんから述べられ、話が始まった。スライドショーで座頭市シリーズのキューバにおけるポスターなどを見せながらの1時間あまりの話の後、質疑応答。これが盛り上がり、予定を30分過ぎて7時少しすぎまでのセッションだった。

あさってのこと、よろしく、などと挨拶して、そそくさと、次の会場へ。次は、

パトリック・シャモワゾー「戦士と反逆者──クレオール小説の美学」

星埜守之と塚本昌則が相手を務めた。遅れたと思って急いで行ったら、まだ始まっていなかった。こっちの方がキューバ時間だ。

それぞれの話の内容はとても面白く、ここで書き始めたら止まらなくなる。なので、ひとつだけ、とても面白いなあと思った現象を:

シャモワゾーはクレオールの言語を語りながら、実に規範的なフランス語に聞こえたということ。フランス語は苦手なので同時通訳のイヤーセットをつけていたのだけど、なくてもたいていわかった。それに対し、ピエドラはいかにもキューバ人らしく、しばらくそこから離れていたぼくはいくつか聞き落とした箇所があった。

つまり、フランス語の規範というものの強さと、スペイン語の規範そのものの多様性が対照的だったということ。スペイン語の各地方の言語はもうそれだけでクレオール語だと言ってしまいたくなることがある。キューバのスペイン語など、まだ慣れている方だからマシだとしても、馴染みのない地方の人の発話など、たまに聞くとそう言いたくなることが多々ある。

別にこんな機会でなくても、常々思っていることではあるのだが、改めて実感。

2012年11月13日火曜日

告知ふたつ、あるいは詩人気分


他人のイベントの話ばかりしている場合ではない。ぼく自身の宣伝。

まず、明後日、15日(木)12:40-14:10 東京外国語大学研究講義棟101マルチメディアホールにて、
マリオ・ピエドラさん(ハバナ大学)の講演を行います。「キューバにおける日本映画の存在と影響」。
スペイン語、通訳つき。総合文化研究所講演会、兼スペイン語特別授業

それから、今月23日(金・祝)には、ぼくが講演することになっている@神奈川大学。告知は、こちら

当初、「ボラーニョとチリ文学」というようなテーマで頼むと言われていたけれども、そのうち「ボラーニョと『野生の探偵たち』」になったので、『野生の探偵たち』の面白いところについて、話しておこうかと思う。講演の後に詩の朗読会が開かれるのだから、小説内の詩的要素についての話になるかと思う。

 小説は書き出しが命です。ボラーニョの『野生の探偵たち』は書き出しが非常に印象的な小説です。
 そういえば、最近私は、書き出しのとても印象的な小説に出会いました。キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(金子奈美訳、白水社)です。「魚と樹は似ている」と始まります。わたしはこれを「さかな と き は にている」と読んでいました。ところが、先日、セルバンテス文化センターで作家本人を招いての講演+朗読会を開いた際、管啓次郎さんはこれを「うお と き は にている」と読みました。
 そこでわたしはうおー! と思ったわけです。あるいはぎょっとしたわけです……

と、こんなダジャレめいたことを言うと、あまり、説得力ないかな? いや、でも書きだしに加えて、その読み方によって小説の魅力はその数倍にもなるのだとわかった瞬間なのだけどな。

まあ、ウリベはともかく、そんなわけで、読み方にも気をつけなきゃね、という話……なのか? ところどころ本文を朗読しながら話を進めていこうと思っているというわけだ。

2012年11月11日日曜日

花嫁の教師、または勘違いとすれ違い


昨日は結婚式だった。卒業生の。
ぼくが外語に奉職した年に入った学生だ。そういう学生に対しては、やはり何だか特別な感慨を抱いてしまう。比較的よくしてくれた学年の、とりわけなついてくれた学生たちのひとりだ。

彼女は就職も決まっていたと思うのだが、そこに行くことを拒んだ。かといって路頭に迷うつもりもなかった。ちょうどサラゴサの万博での日本館のアテンダントを募集しているという情報が舞い込んだので、勧めてみた。そして選考に受かり、サラゴサで数ヶ月を過ごし、帰ってきたと思ったら、その日本館をオーガナイズした会社の上司に目をかけられ、声をかけられ、そこに就職した。そこの仕事で知り合ったある国立大学の先生と結婚することになったのだ。

昨日は朝から忙しかった。披露宴に参加するために午前中にたまった仕事を終えなければならなかった。仕事だけではない、半分個人的な用も混じっていた。同窓会の名簿の整備のために、同期卒業の人々の動向を点検してはくれまいか、と頼まれた友人が、さらにぼくに協力を求めてきていたからだ。いくつかの友人の動向を教えて差し上げた。

名簿の中に、ちょっと目を引く名前があった。

仮にYとしよう。5年かけて大学を卒業したぼくにとって、入学年度はひとつ下になる女性だった。その女性に対するぼくの特別な思いがどんなものだったかは、また別のストーリーなので今は書かない。ともかく、他の名前とは少し違った輝きを持った名前だということだけを確認しておこう。加えてその日Yの名がぼくの目を惹いたのは、そこにメールアドレスが載っていて、そのアドレスのサーバーが "es" で終わっていたからだ。つまり、スペイン在住ということなのだろうか? 

個人情報を悪用して、メールを送ってみた。元気? こんなわけでただ君に挨拶したかったんだ、等々。

二次会の前にiPhoneのメーラーに何通ものメールが届いていることに気づいて、チェックした。そのうちの一通はYからの返信だった。悪用してくれてありがとう。でもごめんなさい、YはYでも、わたしはもうひとりのYです。スペイン在住で、フランス人と結婚しています……

二次会が始まったので、最後までちゃんと読まずにメーラーを閉じた。他のメールだってチェックしなければならなかったし。で、人違いだとわかった時点で、「特別な思い」の挫折も感じたことだし。(あ、もちろん、もうひとりのYだって、ちゃんと覚えていたし、大切な友人だと思うが……)

二次会、三次会と終えて、帰宅し、さわりだけ確かめて全部は読まなかったメールの数々を読み直した。もちろん、もうひとりYからのメールも。Yの話は続く、こちら(スペイン)で仕事は順調です。個人では裁ききれないほどで、会社も作りました。日本の企業などともつき合いがあり、サラゴサの万博では日本館のお手伝いもしました……

もちろん、花嫁にこのもうひとりのYと知り合ったかどうか確かめたところで、へぇー、奇遇だね、というだけのことだっただろう。二次会が始まる前にこの一文をちゃんと読んでいたところで、忙しい花嫁とそんな話ができたかどうかは疑問だ。でも、メールをちゃんと読まなかったことを悔やむのはなぜだろう? 

写真は引き出物にいただいたタンブラー。メールアドレスの間違いは、ぼくの見た名簿が、そもそも間違えていたのだ。もうひとりのYのところには、同じそのアドレスが記載されていた。

2012年11月7日水曜日

マイナーはマイナーではない


日付が変わったので昨日だが、今日、11月6日(火)、キルメン・ウリベの講演が東京外語大で開かれた。聴きに行った。フリオ・カロ=バロハの本にあった、「浜辺の聖母マリア」の昔話から始まって、グローバル化された現代における「マイナー言語」の話としてのバスク語の話、そして詩の朗読。さらには今福龍太を交えての小説『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』の挑戦の話。

『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』の中には、語り手のウリベがある詩人から、バスク語を特徴づけるのはxの文字であるとさとされるシーンがあるのだが、xをふんだんに含む詩の朗読など、堪能したのであった。


楽しい2時間であった。明日はセルバンテス文化センターでの管啓次郎とのセッション。

2012年11月3日土曜日

iPad mini の飛躍的重量軽減


昨日、卒業生たちとフォーなど食べている間に、わが家には到着していたのだった。iPad miniが。

「新しいiPad」には食指を動かすことのなかったぼくだが、mini発売の噂が出てからはそわそわ。このくらいのサイズのものなら、圧倒的に持ち運びがしやすくなるし、ちょうどいいなと思っていたのだ。だからすぐに注文した次第。

miniになったからといって、何かが変わるわけではない。用途はこれまでのiPadと同じだ。たいていは参照用。PDFファイル化した翻訳すべきテクストとか、Appアプリの辞書とか、ネット検索とかをする道具。ある売れっ子作家がかつて、常にPCを二台持ち、一台を検索、参照用に、もう一台を執筆用に使っているという話を読んで以来、ぼくにもオブセッションとして取り憑いた、二刀流の夢。ノマドワーカー、などという言葉は死んでも使いたくないが、ぼくだって出先で仕事をすることもある。そうでもしなきゃやっていけないことがある。その際に大いなる助けとなるはず。

さて、今回のiPad mini の発売にぶつけるようにKindleが新ラインナップをぶつけてきた。KindleストアもAmazon.co.jpのアカウントでアクセスできるようになったとか(これまではAmazon.comのみだった)。もともとiPadにKindleソフトを入れている。訪ねてみれば、ONE PIECEなどが全巻手に入るじゃないか。これはいい。いっそのこと、Kindleペーパーホワイトも買っちゃおうか。iPadは重いものな……そんなことを考えていた。

が、いざ届いてみたら、iPad miniはこの軽さだ! 50%近く軽くなったというのだが、この軽減率が実に嬉しい。軽いのだ。紀伊國屋BookWebやKindleのソフトをダウンロード済みのこのiPad mini一台でもう充分だと思う。