土曜日だというのに、大学院冬入試面接のために大学に来ている。この時期、土日はない。
Alfonso Reyes, Diario IV: 1936-1939, México, Fondo de Cultura Económica, 2012
が届く。ついにFCEおよび後のコレヒオ・デ・メヒコとなるスペイン協会の運営に乗り出す時代。メキシコ知識人史にとって重要な時代に突入した。
で、大切なお知らせ、もうすぐぼくのサイトCriollismo.net は閉鎖する。このブログCrioll
ísimo ではない、HTMLによるウェブサイト
Criollismo.netのことだ。
独自のドメインを持っているが、サーバーは現在住んでいるアパートのそれを使っている。そのアパートを引っ越そうとしているのだ。これにまつわる話は、長くなるしとても個人的なことだから、書かない。でもともかく、住居も引っ越すことだし、最近、更新も怠りがちになっているサイトを閉じようと思うのだ。
大切……かどうかはわからないが、お知らせ。以前書いて送っていた原稿がアルゼンチンの新聞
La Nación に掲載された。印刷されたものにも出た模様だが、ともかく、オンラインで閲読可。
こちらだ。
タイトルと、あと数カ所(たぶん)書き換えられているが、犯してしまった文法ミスも含め、基本的にはぼくが書いたまま掲載された。なんだか気恥ずかしい。 "la artes culinarias" だものな。"las" としなきゃいけないのに。日本語の大意は以下のようなもの。あくまでも大意。
___________ここから________________________
「岐路に立つ翻訳者」
(当初ぼくが書いたタイトルは「わたしはどのようにバルマセーダとアイラの翻訳者になったか」だった。で、今、「岐路に立つ」と訳したけれども、「あれこれ悩む翻訳者」とでもしたいな)
カルロス・バルマセーダの『食人者の指南書』(邦題『ブエノスアイレス食堂』)を訳し終えてすぐ、セサル・アイラの『わたしはどのように修道女になったか』(邦題『わたしの物語』)の翻訳に取りかかった。この二つの小説の違いときたら、目眩を覚えるほどだった。
2作品の差が目眩を催すだけでなく、2作はそれぞれに目眩のする作品だ。バルマセーダの場合は、時代を跳び越え歴史を語るその語り口と、美味しそうな料理の描写で目眩を覚える。辞事典類にどれだけ頼ることになったか。
アイラの場合は、主人公兼語り手が目眩を感じている。アイスクリームにあたって幻覚を見るのだから。頼ったのはむしろ国語辞典だ。
さて、外的なことだが、この対極的な2つの小説には共通点もある。ひとつは、これが初めての翻訳だということ。それぞれ白水社の〈エクス・リブリス〉、松籟社の〈創造するラテンアメリカ〉という恰好の場を見つけられたと思う。
ふたつめの共通点は、いずれも邦題が原題とことなるということ。バルマセーダの場合は『ブエノスアイレス食堂』になった。企画書に既に提案されていた邦題。「食堂」という単語の採用がミソ。
アイラの場合は、大問題。『ホトケになったわたし』なんて考えも浮かび、盛り上がったが、やはり二の足を踏んだ。「修道女」ほ「ホトケ」に置き換えることは可能か? 異文化間の翻訳はどのていどまで「相同」と見なすことができるのか? 等々……悩んだのだ。
で、どんなタイトルになったかって? 知りたきゃ日本に来て本を買いなよ。