2013年2月23日土曜日

感謝


いただいたのだった。花束。2年の学生たちに。

卒業生でもないし謝恩会の時期でもないのに、なぜいただいたかというと、それは秘密。秘密というか、まあ話せばいささか面映ゆいの観なきにしもあらずなこと。でもとにかく、ありがたい。

場所は歌舞伎町のいささかいかがわしい通りに入ったところ。地下に降りた途中にある貸しスペース(みたいなところ)。飲食店ではなく貸しスペース(みたいなところ)。そこを時間で借りて酒やつまみを持ち込んでのパーティ。

なるほど、こういう手があるのだな、と感心した。想像力は条件に応じて発揮されるのだ。

明日、……いや、今日もぼくは新宿に行くのだ。卒業生たちと食事に。こんなことなら新宿に引っ越したいものである。が、想像力も条件を変化させることはできないのだ。

その前に〆切りの原稿とか別の原稿とか、試験の採点とか……

えっと、もう宣伝したんだっけ? こんなのに出ます。

これがチラシです。

4月からあるところで連載を始めます。

2013年2月19日火曜日

官能を堪能


「堪能」は「かんのう」と読むのだ。「たんのう」は誤用。

さて、読み終えた:

アルベルト・ルイ=サンチェス『空気の名前』斎藤文子訳(白水社、2013)

モガドール(現エッサウィラ)の街で、謎めいた眼差しゆえに周囲の男たちの欲望を掻き立てる女に成長した少女ファトマが、公衆浴場ハンマームで擦れ違った運命のおんなカディヤと、めくるめくような官能の体験をするのだが、カディヤはその後ファトマの前から姿を消す。ファトマは官能の記憶にうっとりとなるあまり、他の男や女たちに愛撫され、口説かれても気づかないほどで、ますます欲望の対象となる。一方カディヤは実は娼婦で、その出自が、最後、街の語り部によって明かされる。その出自がファトマと交差し……

とストーリーを書いていけば何だかこの小説を実に陳腐なものに貶めてしまうようでもどかしい。繊細かつ官能的な散文詩だ。たとえば、こんな感じだ。

 ひとつひとつの伝説は多くの口から作られる。ひとりひとりが自分の舌の形に合わせて伝説を完成させ、欲望の形に合わせて記憶し、あるいは忘れる。(123ページ)

カディヤは目に見えない莢(さや)となり、そのなかで彼女の言葉は他のどこの場所よりもはっきりと響いた。今にも空中にその言葉が書けるほど、手のひらに収まり、口のなかに飛びこんでいくほど。(124ページ。( )内はルビ)

口や舌という有形のものが無形の伝説をつくりだし、その伝説が欲望という無形のものの「形」に合わせられていく。空気が体にまとわりつき、愛撫する、そんな動きを追求した文章だ。言葉による愛撫。

小説のハイライトのひとつは、ファトマとカディヤが出会うハンマームの描写。短い章から成り立つこの小説中、最長の章だ。訳者の斎藤さんもこの描写の印象は強いようだ。

が、ぼくはその描写を読みながら、官能性とは異なる不思議な感覚を得た。以下のパッセージだ。

そのハンマームには部屋が全部で二十五あるといわれていた。一部は有力者専用で、一部は隔離用の部屋だ。皮膚病患者、まだ出血が止まらない宦官、肥満を恥じる者、暴力を抑えられない者、外国人、愛撫を売ることを拒否する者、水が大嫌いで、ただ大勢の人と出会う目的でハンマームに来る者のための特別な空間だった。(60ページ)

うーむ。こうして書き写してみると当初ほどではないが、ぼくはこれを読んでボルヘスを思い出したのだ。フーコーが笑ったという、あの動物の分類。このハンマームにはコブラの部屋なんていうのもあるそうで、ますますぼくの印象は強化される。

そんな印象を抱きながら読むものだから、次のような、あからさまな官能的な一節も、なにやらボルヘス的な分類の妙に思えてくるのだから不思議だ。

 別の部屋では絵は燃え上がる炎であるだけでなく、火への手引きでもあり、その前を通りすぎる者に千通りのテクニックを図解していた。唇を使って亀頭を愛撫する方法、クリトリスのまわりを舌でなぞる方法、順にあるいは同時に吸い込み、持ち上げて噛み、愛撫する方法、互いに身体を離すことなく寝台から落ち、起き上がる方法、執拗な固さを振り払い、早すぎる柔らかさを払いのける方法、涸れた井戸でふたたび飲めるようにする方法、膝まで滴が流れる井戸を枯らす方法。(61ページ)

ぼくは変におもしろがりすぎているだろうか? だって「互いに身体を離すことなく寝台から落ち、起き上がる方法」だぜ! 実に手強い文章なのである。

雪の上野で前屈みになるについて


六本木に行く前に上野に行った。

エル・グレコ展(東京都美術館)

クレタ島、ヴェネツィア、ローマ、トレードと各時代のエル・グレコの作品を揃え、肖像画、聖人画像、祭壇画などと章分けして展示。たとえば「ディエゴ・デ・コバルービアスの肖像」をエル・グレコのものとアロンソ・サンチェス・コエーリョのもの、2つ並べ、エル・グレコの特長を際立たせるなどの工夫も面白い。最終章は「近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として」と題し、さすがに、教会での配置そのままに展示はできないまでも、実際にはこの絵はこんなところに描かれている、という説明つきで見せ、タブロー中心の近代絵画に慣れ親しんだ我々の感覚に問題提起している。

展示の意図を汲み、ぼくはたとえば、丸天井の天辺に描かれている「聖母戴冠」(1603-05)を前屈みになって見上げる恰好で眺めていた。きっと周囲はそんなぼくを胡乱な目で見ていたのだろうな。

ベルニーニ「聖テレジアの法悦」などに顕著だが、エル・グレコにも特徴的なのは、神秘体験をする者が首を傾げているということ(『裁かるゝジャンヌ』でのアントナン・アルトーもひどく首を傾げていた)。エル・グレコを観ていると、さきほどのかがむ姿勢でなくても、自然と首が傾いてくる。この後観た映画も、ぼくは首を傾げながら観ていたかもしれない。

雪の六本木、美味しい食事とすてきな部屋


雪の日に六本木まで行ってきた。試写会にご招待いただいたので、観に行ったのだ。

ホルヘ・コイラ『朝食、昼食、そして夕食』(スペイン/アルゼンチン、2010)

原題を 18 comidas という。『18食』だ。朝食、昼食、夕食の三食三章、合計18の食事シーンから成り立つ(数えていないけど、たぶん、18食なのだと思う。だって、そんなタイトルなんだもん)映画。幾人かの登場人物が複数の食事シーンを渡り歩くことによってストーリーに関連性が生まれる。

中心的なプロットは3つ。1)製作も務めるルイス・トルサ演じるストリート・ミュージシャンと、昔お互いに惹かれ合いながらも結ばれなかったかつての友人女性ソル(エスペランサ・ペドレーニョ)との久しぶりの出会い。2)俳優ヴラドが仕事仲間のラウラを誘い、朝食、昼食、夕食と準備するが、すっぽかされ続ける話。3)ビクトル(ビクトル・クラビッホ)とセルヒオ(セルヒオ・ペリス=メンチェタ)のホモのカップルとビクトルの兄との久しぶりの会見と会食。いずれも繊細な心理描写が心にいたい。

3箇所を除いて食事はいずれも誰かの住居でのものなのだが、引っ越しを控えたぼくとしては、食事もともかくそれぞれの部屋も気になるところ。映画だから当然なのだが、すてきなところばかりだ。ちなみに、舞台はサンティアーゴ・デ・コンポステーラ。ガリシア語もふんだんだ。

気になることがひとつ。ビクトルとセルヒオのシーンで、兄を迎えるために料理の準備をしているとき、セルヒオが『苺とチョコレート』のセリフを引用する。この映画はスペインのゲイ文化の参照系を構成しているということだろうか?

4月27日から新宿K'sシネマにて公開。

2013年2月15日金曜日

実り多き金曜日


金曜の1限から他の授業の試験監督に駆り出されて早起き。やれやれ。

ウンベルト・エーコ『小説の森散策』和田忠彦訳(岩波文庫、2013)

は、ハーヴァードのノートン講義録というから、これはつまり、かつて『エーコの文学講義』として出された本の文庫化。

佐竹謙一『スペイン文学案内』(岩波文庫、2013)

佐竹さんは今、乗りに乗っているようだ。このあいだエスプロンセーダの翻訳を出したばかりなのに、もうこんな著書を出している。二部構成で、第一部は文学史の概説、第二部で主要作品の紹介をしている。なるべく邦訳のある作品を、との配慮があるのだろうか? しかし、長く『娘たちの「はい」』として知られていたモラティンの El sí de las niñas を『娘たちの空返事(からへんじ)』とするなど、独自性を出している。いちばん新しいところではリャマサーレスまでを紹介している。

これを読んでぼくも勉強しなきゃ。なにしろぼくはどうやらWikipedia上では「スペイン文学専攻」となっているようだから。本人、そんなこと言った記憶はないのだけどな(ぼくは恩師・牛島信明先生の提唱にしたがい、「スペイン語文学」としている。近・現代だけど。かつ、「ラテンアメリカ思想文化論」というのが入るけど。これは勤務先の授業などに合わせてのこと)。

そして、

アルベルト・ルイ=サンチェス『空気の名前』斎藤文子訳(白水社、2013)

をご恵贈いただいた。ルイ=サンチェス初の翻訳だ。北アフリカのモガドールを舞台に、謎の眼差しを持つ女ファトマをめぐる欲望の物語、のようだ。冒頭、ファトマはただ水平線を眺めている。そして「何かおかしなことが起こっている、と最初に気づいたのは祖母だった」(11ページ)。つまり、客体化され、それでもなおかつ気づかないではいられない不穏な何かを抱え持つ少女の話。示唆するところは多い。

これに関しては、近日中にまた報告しようじゃないか。

2013年2月10日日曜日

祈る


いや、そんなことを書きたかったのではなかった。イェールの文学理論の授業とか、肋間神経痛の話など、するつもりではなかったのだ(ゴンサレス=エチェバリーアの講義の話ならしてもよかった)。

iTunes U の「アルファンソ・レイェス講座」の一覧に9日、見出したのだ、フェリーペ・ガリード、リリアーナ・ワインベルグ、アルベルト・エンリケス=ペレーアによる「2月9日の祈り」についてのトークショウを。

エンリケス=ペレーアはその前日に読んでいた(紹介した)レイェスの『日記』第4巻の編者だ。

レイェスの父ベルナルド・レイェスはポルフィリオ・ディアス時代の代表的な軍人にして政治家。ディアスの後継者と見なされていた人だ。ヌエボ・レオン州の州知事をしていたので、レイェスはそこで生まれることになる。メキシコ革命というのは、ディアスの三選を阻止しようとする勢力が武力蜂起したところからはじまるわけだが、ベルナルドを大統領にと推す人も多かったようだ。が、マデーロが大統領となり、反対勢力に回り、殺されてしまった。1913年2月9のことだ。

息子アルフォンソはそのことをたいそう気に病み、なかば自主亡命のようにして外交官としての辞令を受け入れ、ヨーロッパに向かった。17年経った1930年、アルゼンチンにいて、ブラジル大使として転任する直前くらいに書いたのが「2月9日の祈り」。実際には、これを死ぬまで公表せず、1963年に死後出版された作品。

何しろそんな内容の本なので、トークの参加者がそれぞれの父との思い出もしくは父への思いなども吐露しながら、たとえばワインベルグはボルヘスがそうしたように、軍人でもあり文人でもある父とレイェスとの対話という性格を強調したりしていた。

エンリケス=ペレーアが、自分は3歳のときに父を亡くした、と自身のことを語り始めたときに、ぼくはふと思ったのだ。ぼくは生まれる前に父を亡くした。このことへの思いなども、ぼくがレイェスに惹かれることになにがしか関係しているのだろうか? 父が失踪したカルペンティエールに魅力を感じるのはだからなのか? 「私にはフロイトのいわゆる超自我がない」と豪語したサルトルの言葉を覚えているのはだからなのだろうか? 

と思っていたら、さきほどリンクを貼ったイェールの授業でゴンサレス=エチェバリーアが言っていた。ドン・キホーテには家族がいない。50も過ぎた大の男だ、家族なんて何だっていうんだ? 彼は彼だ、等々……

さて、そしてこのトークショウを見終えてから、ふと気づいた。昨日は奇しくも1913年2月9日、つまりベルナルド・レイェスの死から100周年の日だったのだ。

祈る。名前を挙げることは祈りの原初の形だ、と言ったのは当のレイェスだ。レイェスの名を挙げ、祈る。

きりきりと痛む肋間


早めに風呂に入る方である。だから入浴中に電話がかかってきて取れないなど、あっても不思議ではない。見知らぬ番号なら、そのまま放っておく。本当に用があるならまたかけてくるだろう。という理解だ。

さて、昨夜はそれからしばらくして、Amazon で買い物をした。自動返信の後、すぐにメールが来た。カードが決済できなかった、と。

はて? 

不思議なこともあるものだ。違うカードを使って決済した。以上は昨夜の徴候。

今日、また昨夜のところから電話がかかってきた。カード会社のセキュリティ係。1月某日、オーストリアでの鉄道切符を買ったか、2月某日ロシアのホテルに払い込みをしたか……などなど、使った覚えのない決済が来ているのだという。

やられた。情報を盗まれてカードを悪用された。ひとつひとつの額は小さいけれども、日に何度も、そして何日も何日も使っている。積もればけっこうな額だ。電話の係のひととひとつひとつチェックし、不正を確認した。

確認したはいいが、すでに銀行に請求が行っているので、今度の引き落としでいったん引き落とされ、その後、返金されることになるとか。請求額はふだんの10倍以上にのぼる。

参った。この時期、確定申告があったり、先日書いたとおり引っ越ししたりと、何かと入り用なのだ。打撃はあまりにも大きい。

今月末の引き落とし日から、来月返還があるまで、頼むからぼくのことは飲み会なんかに誘わないでくれ。

……11年前にもカード情報を盗まれたのだった。そのときは今回と違って心当たりがあった。迂闊にも出してはならない場所でカードを出したことがあった。

その時は、さらに、神経を病んでいて、特に肋間神経痛に悩まされていたのだった。

今日、電話を切ったぼくは、食べ物を嚥下する先を間違えたときのような支えを急に感じ、続いて胸のあたりの疼痛に見舞われた。肋間神経痛だ。11年前のあのときと同じように……

iTunesに学問を学ぶ


最近、同僚とiTunes U の話をしたのだった。iTunesストアで無料もしくは限りなく無料に近い安価でいろいろな大学が配信しているコンテンツのことだ。ちょっと前にNHKがマイケル・サンデルの授業を放送して話題になったが、あんな感じで授業の様子を伝えるものだったり、何らかの文化活動の記録だったりを配信する。

たとえばUNAM(Universidad Nacional Autónoma de México: メキシコ国立自治大学)は作家に自作の一部を読ませたものを配信したりしている。Jordi Soler, La fiesta del oso を今年度前期、大学院の学生と読んでいたのだが、作家自身がその第1章を読んだものを聴くことができるのだ。

あるいはモンテレイ工科大学の「アルフォンソ・レイェス講座」の講演の記録など、ぼくは聴いたり見たりしている次第。

たとえば先日ここで報告した講演会とか、他大学に聴きに行ったのだが、誰かの最終講義とか、そんなものをどこの大学もこうして発信すればいいのだと思う。

で、昨日見つけたのがイェール大学の配信するLiterary Theoryの授業。iTunes Uでなくとも大学のサイトでも見ることができる。こちら。(ロベルト・ゴンサレス=エチェバリーアによる『ドン・キホーテ』講義もある!)

ぼくだって文学と名のつく授業をやっていて、具体的なテクストを扱うわけで、そのさいに理論など参照しながらテクストを読んでいくわけだが、ぼく自身は文学理論と名のつく授業をやったことも受講したこともないから、人がどんな授業をしているんだろうというのは、とても気になる。ましてや名にし負うイェール大学だ。ひところ、「イェール学派」で名を馳せた、脱構築読解の牙城だ。気になるじゃないか。

と思って、ちょっと観、聴いてみた。授業の中身よりも前に、なんだか気取った発音するな、というのが気になった。これを担当している英文学ロマン主義の専門家Paul Fry先生は。いや、実際に気取ったものなのかどうかは知らないが、ぼくにはそう響く発音。嫌いではないのだよ、念のために言っておくと。で、ときどきひとりで笑ったりもするし……さらには、意外に講義の、いわゆる講義の形式だし、細かい議論に立ち入っているのだな、と、そんなことばかりが気になるのだった。

2013年2月9日土曜日

¡OJO!


土曜日だというのに、大学院冬入試面接のために大学に来ている。この時期、土日はない。

Alfonso Reyes, Diario IV: 1936-1939, México, Fondo de Cultura Económica, 2012

が届く。ついにFCEおよび後のコレヒオ・デ・メヒコとなるスペイン協会の運営に乗り出す時代。メキシコ知識人史にとって重要な時代に突入した。

で、大切なお知らせ、もうすぐぼくのサイトCriollismo.net は閉鎖する。このブログCriollísimo ではない、HTMLによるウェブサイトCriollismo.netのことだ。

独自のドメインを持っているが、サーバーは現在住んでいるアパートのそれを使っている。そのアパートを引っ越そうとしているのだ。これにまつわる話は、長くなるしとても個人的なことだから、書かない。でもともかく、住居も引っ越すことだし、最近、更新も怠りがちになっているサイトを閉じようと思うのだ。

大切……かどうかはわからないが、お知らせ。以前書いて送っていた原稿がアルゼンチンの新聞La Nación に掲載された。印刷されたものにも出た模様だが、ともかく、オンラインで閲読可。こちらだ

タイトルと、あと数カ所(たぶん)書き換えられているが、犯してしまった文法ミスも含め、基本的にはぼくが書いたまま掲載された。なんだか気恥ずかしい。 "la artes culinarias" だものな。"las" としなきゃいけないのに。日本語の大意は以下のようなもの。あくまでも大意。

___________ここから________________________

「岐路に立つ翻訳者」
(当初ぼくが書いたタイトルは「わたしはどのようにバルマセーダとアイラの翻訳者になったか」だった。で、今、「岐路に立つ」と訳したけれども、「あれこれ悩む翻訳者」とでもしたいな)

カルロス・バルマセーダの『食人者の指南書』(邦題『ブエノスアイレス食堂』)を訳し終えてすぐ、セサル・アイラの『わたしはどのように修道女になったか』(邦題『わたしの物語』)の翻訳に取りかかった。この二つの小説の違いときたら、目眩を覚えるほどだった。

2作品の差が目眩を催すだけでなく、2作はそれぞれに目眩のする作品だ。バルマセーダの場合は、時代を跳び越え歴史を語るその語り口と、美味しそうな料理の描写で目眩を覚える。辞事典類にどれだけ頼ることになったか。

アイラの場合は、主人公兼語り手が目眩を感じている。アイスクリームにあたって幻覚を見るのだから。頼ったのはむしろ国語辞典だ。

さて、外的なことだが、この対極的な2つの小説には共通点もある。ひとつは、これが初めての翻訳だということ。それぞれ白水社の〈エクス・リブリス〉、松籟社の〈創造するラテンアメリカ〉という恰好の場を見つけられたと思う。

ふたつめの共通点は、いずれも邦題が原題とことなるということ。バルマセーダの場合は『ブエノスアイレス食堂』になった。企画書に既に提案されていた邦題。「食堂」という単語の採用がミソ。

アイラの場合は、大問題。『ホトケになったわたし』なんて考えも浮かび、盛り上がったが、やはり二の足を踏んだ。「修道女」ほ「ホトケ」に置き換えることは可能か? 異文化間の翻訳はどのていどまで「相同」と見なすことができるのか? 等々……悩んだのだ。

で、どんなタイトルになったかって? 知りたきゃ日本に来て本を買いなよ。

2013年2月4日月曜日

俺のチョリパン、不味いたぁ言わせねぇ


Mi ChoriPan である。俺のチョリパンである。名前に込められたその矜恃たるや、見上げたものなのである。

コペバンのようなものにチョリーソをはさんだだけのものだ。が、メキシコのトルタをそう呼んではならぬように、アルゼンチンでポピュラーなこのメニューをサンドウィッチと呼んではならない。これはチョリパンなのだ、あくまでも。

 チョリーソを挟むのだ。チョリソーではなく。

 英語経由で日本語に訳す人たちが で終わる単語を長母音にするものだから、ブリートブリトーになった。チョリーソチョリソーになった。が、アクセントは にあるのだから、チョリーソの方がよかろう。ただし、チョリーソチョリソーになってモノまで変わってしまった。単にコショウの効いた赤身のソーセージに成り下がってしまった。
 
さすがに〈俺のチョリパン〉を自慢するだけあって、ここにはチョリーソが乗っているのだった。チョリソーではなくチョリーソが。

ぼくは残念ながらアルゼンチンには行ったことがないので、これが本当に現地のそれの再現になっているかと問い詰められれば自信はない。が、この食感、この色、……スペインのものほど赤くなく、固まってもいないこの歯触りと匂い、後味、これをたとえばメキシコでチョリーソであると主張すれば誰も疑いを抱かないだろう(これをタコスでも食べたくなったな、と……)。そのくらいにはチョリーソである。ご主人の自家製なのだそうだ。

メニューはチョリパンのみ。プレーンが750円、野菜トッピング自由で1,000円。

潔い。

飲み物はいくつかある。

夫婦でやっているのだろうか? オープンして間もないので、手探りなのだろう。店を手伝っている女性が、食べ終わると「どうでしたか?」と訊ねてきた。「美味しゅうございました」と答えたのだった。友人がFacebookのページに「いいね!」を押していたので、気になって来てみたのだ。代々木上原駅近く、井の頭通りを渋谷方面に5分ばかり。立地もいい。

2013年2月2日土曜日

最終講義


昨日のことになるが、東京大学に行ってきた。野谷文昭さんの最終講義を拝聴しに。

ガルシア=マルケスの2つの短編(「最近のある日」と「世界で一番美しい水死人」)を解説、分析してその背後にある政治的緊張関係を浮かびあがらせ、「裏切り者と英雄のテーマ」と『予告された殺人の記録』をシェイクスピアを介して結びつけ、対照的だと思われがちなボルヘスとガルシア=マルケスの近似性を浮かびあがらせる内容。こうして深く読むことによって文学は楽しくなると締めくくった。

斜め前に座っていたSさんがたくさんノートを取っていて、彼の知的活動の生まれ来るところを見た気がした。見習ってぼくも3行ばかりノートを取った。

会場は法文2号館1番大教室という場所。文字どおり一番大きな教室で、そこが満員。立ち見も数多く出るほどの盛況ぶりだった。その後の懇親会も100人以上出席したとかで、盛況。ミュージシャンである教え子たちの演奏のみならず、ご本人、教え子たちにプレゼントされたギターを弾いて場を盛り上げた。