2021年9月14日火曜日

いったいどこの国の話なのか? 

デヴィドヘア作、常田景子訳、坂手洋二演出出演『悪魔をやっつけ——COVIDモノローグ——』@座高円寺2



高円寺2というのは座高円寺の地下二階のステージのこと。


坂手洋二というか、燐光群はヘアの作品をよく取り上げているが、その取り上げる作品がヘア本人が出演し、実際の人物も実名で登場するという、いわば近年のオートフィクションに対応するかのようなつくりが気になって見てしまうのだな。今回は、アフタートークでの話によると、役者たちでの普通の劇にしようと思ったが、役者が難色を示した(難しい、覚えられない、と)ので坂手本人によるリーディング公演にしたとのこと。これはいわば追加公演だ。


デヴィドヘアはTVドラマの編集作業中にコロナウィルスに感染したようで、そのときの様子、病状の経過を報告しつつ、その間にイギリス政府によって取られた政策への批判を展開するというもの。


ボリスジョンソンは当初この流行を重要視せず、肝心な時期に公邸別荘で一方で離婚手続きしつつ他方で新たな妻の懐妊を祝っていた、などという事実は知らなかったことだが、まあともかく検査を広げるという判断をしなかっただの、当初は感染者への偏見があっただの、その後(ジョンソンの罹患後)感染者が英雄扱いされだの、以前から看護師の待遇を悪くしていたそのツケが回ってきただの、大臣どもが凡庸、いや無能だだの、まったくこれはどこの国の話だ? 日本のことではないのか? と叫びたくなるような内容。快哉を叫び、同時に暗鬱な気分になる。


デヴィド・ヘアのオートフィクション的モノローグにはリーディング公演という形式はよく似合っていた。



高円寺は決して初めてではないのだが、なかなか可愛らしい店などがあったぞ。

2021年8月25日水曜日

ガシガシ書いて、さらさら書いて

何度も書いているが、ふだんは万年筆を使っている。あるいはローラー。本への書き込みや映画を観ながらのメモには鉛筆を使う。


鉛筆といっても、メカニカル・ペンシルだ。いわゆるシャープペンシル/シャーペン。


右がファーバー・カステルの芯が1.3mmという骨太の一本。鞄の中や、上着を着る季節には上着のポケットに常に入れている。電車での読書などに使う。その次がカヴェコの0.9mm。筆箱に入れて持ち歩く。その次がぺんてるのTUFF速記用0.9mmというやつ。これは自宅の机上に置いている(消しゴムは引っ込めることもできるが、今は出している姿で写した)。その他ベッド脇に置いたものなどもあるにはあるが、とかもく、家の中ではこれを使うことが多かった。しかし、これになんとなく飽きてきたのだ。それで見つけて今回買ったのが、いちばん左のやつ。



北星鉛筆〈大人の鉛筆〉。芯が鉛筆の芯で、外のメカ部分は極めてシンプル。鉛筆感覚。芯が鉛筆なので、2mmもある。付属の芯削り器(左)で削って使うのだ。なかなかいい。



容器というか、台紙にはこれだけいろいろなことが書いてある。気合いが入っているようだ。2011年日本文具大賞デザイン部門優秀賞だそうだ。



これは今翻訳中のふたつの作品のひとつ。こんなふうに鉛筆で書き込みするのだ。この小説は訳し始めたら読んでいるときよりもずっと面白い。むふふ……



それからちょっと前にこんなのも導入した。乾燥機。


僕は晴れた日に露天で洗濯物を干すのが嫌いだし、何よりも公道に面した場所に物干し場兼用のベランダを置く東京の建築様式はどう考えても狂気だと思っている。それに食洗機や乾燥機の開発の相対的遅れ(今では充分普及しているとは思うが、テレビや洗濯機、冷蔵庫、マイクロ波オーヴンつまり電子レンジらに比べるとどう考えても遅れていたとしか思えない)は女性=主婦を不当なまでの滅私奉公的労働に縛りつけるための最後の紐だったと思っている。まあそれはどうでもいいのだが、ともかく洗濯物は乾燥機を使うべきという考えだ。浴室乾燥機のある家に住んでいるうちはそれですませていたが、今の家はそれがない。縦型洗濯機の乾燥機能は充分ではない。そこで、このたび買った次第だ。3kgサイズで安価だったので。


2021年8月19日木曜日

休日は忙しい

僕らは裁量労働者と規定されているのに、一方で有給休暇というのを取る手続きをしなければならない。まったく矛盾した話だ。こんな矛盾を強いる役所は早晩滅びるに違いない。で、それはともかく、そんなわけで、有給休暇の昨日は、休日スケジュールを過ごすのに忙しかったのだ。


まず、午前中、仕事。大学業務でない仕事。翻訳とか執筆とか。


午後はプレス試写に行ってきた。


パトリシオ・グスマン監督『夢のアンデス』(チリ、フランス、2019)


『光のノスタルジア』『真珠のボタン』に続く三部作3作目。でもプレスリリース掲載のインタヴューによれば、4作目もあるかもよ、とのこと。


サンティアーゴ・デ・チレの街とその背後に控えるアンデス山脈の上空からのショットがオープニング。このアンデスが1973年とそれ以後のチリの社会の目撃者であるはずだとの発想を基にサンティアーゴ在住の人々へのインタヴューを繋げる。地下鉄モネーダ駅内のアンデスの壁画を描いたギジェルモ・ムニョス=ベラ(この人はサンティアーゴ在住ではないし、話もしない。ひたすら絵を描いている)を皮切りに、フランシスコ・ガシトゥア、ビセンテ・ガハルドというふたりの彫刻家、ミュージシャンのハビエラ・パーラ(ビオレタの孫だ)、映像作家のパブロ・サラス、作家のホルヘ・バラディト(Historia secreta de Chile)などだ。とりわけサラスが映像を撮り続ける姿、その活動を自ら語る内容、彼の撮ったフッテージは大いに利用されている。


これについては別のところに書かなければならないので、今は詳しく語らないが、ここには僕らの未来があると言っておこう。


夜は春風亭昇吉の真打ち昇進披露。昇吉は昇太の弟子で、初の東大卒真打ちとのこと。で、安田講堂でその披露の特別版を行い、それを東大関係者に配信、という催し。安田講堂内には最小限の関係者のみがいたもよう。


立川志らくが「たいこ腹」、昇太が「看板のピン」をやった後に口上。そして桂文枝の「笑わない男」、最後に昇吉の「たがや」と続いた。「たがや」など江戸の町人の気風を表現した出し物を披露の席でやるなんざ、大したものである……のかな? つまり僕は昇太の弟子だからきっと新作で勝負する人なのかな、と勝手に予測していたということ。


今日もまだ有給休暇中なのだが、原稿執筆だの翻訳だの、忙しくてしかたがない。ああ忙しい……



季節を終えたあじさいはこんな色になるのか! 

2021年8月16日月曜日

マルセリーノを見捨てて

ピラール・パロメロ監督『スクールガールズ』Las niñas アンドレア・ファンドス、ナタリア・デ・モリーナ他(スペイン、2020)


9月17日公開予定だが、一足早くディスクをいただいて見た。


1992年、サラゴサと思われる修道院経営の女子校に通う女の子、セリア(ファンドス)の成長の物語。年齢がはっきりわかる指標は映画内には観察できなかったと思うが、おそらく、小学校高学年くらいから中学生くらいだろう。友達の家で親のコンドームを引っ張り出してきて笑ったり、化粧をしてタバコを吸ってみたり、そのくせ胸の膨らみの遅れを他と比較して気にしてみたりもする。ディスコに行って男の子にナンパされるのを待ったり、というような行動から見ると、そのくらいではなかろうかと思うのだ。そう言えば、学校では性教育の時間があったりしたので、やはり、たぶん、そのくらいなのだろう。


そのくらいの年の少年少女は常に危うく、学校との関係、親との関係に問題ばかりだ。ほんの少しのきっかけでドロップアウトしかねない。セリアもそうだ。


セリアの場合を特殊にしていることは、家に父親がいないことだ。母親(モリーナ)が言うには父親はセリアが生まれる前に死んだし、彼女の両親も既に死んでいる。しかし、そんなことは嘘だとセリアは知っている。その嘘がいよいよ発覚した後のクライマックスでセリアが見せる涙には圧倒される。すごい! この映画はあの涙のためにある。


そしてもうひとつの特殊な点は修道院の経営する学校に通っているということ。少女たちは声を奪われている。つまり、静かにすることを必要以上に強調される。これがオープニングとクロージングの繋がりに通じてくる。そして、授業の形態! 上にほのめかした性教育の授業がそうだが、生徒たちはただ教師の読み上げる文章を書き取るだけだ。ちなみにこうした形態の授業はスペインの大学ではつい最近まで一般的であった。「つい最近まで」というのは、その「つい最近」(たとえばボローニャ・プログラム導入後)以後どうなったか、知らないからこう書いただけ。


興味深いのはその学校でラディスラオ・バホダ『穢れなき悪戯』(1955)なんてフランコ時代のカトリックのプロパガンダ映画をいまだに見せていたことだ。カンヌで特別子役賞を貰った作品とはいえ、1992年にこれではいかにも反動的だろうと思うのだ。主人公の少年マルセリーノが奇跡に立ち会い、イエス・キリストと会話を交わすクライマックス・シーンで映写室を立ち去るのがセリアの反抗の頂点なのだ。


(ちなみに『穢れなき悪戯』Marcelino pan y vino はこの映画の舞台よりもさらに後、1997年にイタリアでリメイクされ『マルセリーノ・パーネ ヴィーノ』のタイトルで日本でも公開されている。だからといって92年に『穢れなき悪戯』が反動だという論旨に支障は起きないと思う)


僕らは皆、かつて10歳だった。10歳のセリアは親を理解するのに苦労しているけれども、かつて10歳だった僕らには10歳の少女の苦しみはよくわかる。……ように思える。少なくともなつかしく思いだせる。そして楽しく眺められる。



(写真はイメージ。最近、Word for Mac が画面設定に合わせて黒地に白字で表記されるようになった。モニターの下はゲラ)

今夜も眠れない

就寝前に本なんか読んだら、ついつい先を読みたくなって読み終えるまで眠れない、てな随筆を書いたのは誰だっただろうか? まあ、誰でもあり得るだろうけど。


昨日、敗戦の日に届き、結局またその日のうちに(正確には日を跨ぐことになったのだが、感覚としてはその日のうちに)読んだのが、以下。結果として敗戦の日たる昨日読まれることを待っていた小説だった:



アキラ・ミズバヤシ『壊れた魂』水林章訳(みすず書房、2021)


水林章さんは外語大時代の同僚(というか、僕が博士に入学したころ新任として異動してきたばかりで、僕の面接官でもあった人なのだが。だから水林先生、なのだが)で、その後上智に転任、転任後、2010年代には続けざまにフランスでガリマールから小説を発表している。それがアキラ・ミズバヤシ。その彼の今のところの最新の小説(2019年刊)の自己翻訳が、これ。「訳者あとがき」もついているし、巻末には著者アキラ・ミズバヤシと訳者水林章の略歴が別々に書いてある! 2020年には読者大賞みたいな賞(?)を始め、いくつかの賞を獲ったらしい。原書のオビに喧伝している。映画化の話もあるという。


物語は1938年に始まる。交戦中の中国からの留学生たちと弦楽四重奏団を組みシューベルトのカルテット十三番「ロザムンデ」を練習していた英語教師(でアマチュアの音楽愛好家)水澤悠は留学生たちともども憲兵隊に連行される。彼の妻は早くに死んでいたので11歳の息子・礼もその場にいたのだが、軍人たちの突入直前にその場にあったタンスの中に隠れていて助かる。天涯孤独の身になった少年水澤礼が家に帰り着くとその日父を訪ねる予定だった知人のジャーナリスト(父のフランス語の個人教師)フィリップがやって来る。


フィリップの養子となった礼はヴァイオリンやヴィオラなどの弦楽器職人となり、パリで暮らしている。既に老境を迎えた2010年代の話だ。パートナーの弓職人エレーヌが、ミドリ・ヤマザキという名の若い日本人女性ヴァイオリニストの存在を知らせる。実は彼女が睨んだとおりその山崎美都理は礼が会うべき人物で、そこから一気に礼の失われた日々と断片的だったその日の記憶が回収されていく。


「訳者あとがき」にも開陳されているとおり、強固な反戦の意図に貫かれたものだからこそ、昨日読まれてしかるべきだったということだ。が、やはりそこはあくまでも自己翻訳による翻訳小説としてのあり方が気になるところ。フランス語で書かれた小説であるから、日本の出来事や風習の細部に関して説明的な箇所があるのは当然なのだが、それをあえてそのまま訳すなどして、これがあくまでも翻訳小説であることを意識させる。たとえば、「有名な昔話に、善良な男に救われた鶴が美しい女性に変身してお礼にくるというのがあるが、……」(219ページ)などという一節があるが、これなど、自然な(?)翻訳作品なら「鶴の恩返しのおつうよろしく……」など簡単にすませられそうなところ。それをあえて現状のように残しているところが、一種の戦略なのかもしれない。


実際、水澤礼が38年のその日、壊されてしまった父のヴァイオリンを抱えたままフランスに渡るという話であるこの小説は、中心のプロットはそのように楽器の命運の物語に違いないのだが、礼少年がその日読んでいた吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もまた一生をかけて読み続けるというはなしでもあり、それはつまり、翻訳の行為に違いないのだ。


そういえばこのタイトル『壊れた魂』Âme brisée の「魂」âme とは、ヴァイオリンの表板と裏板を支える柱(魂柱)の意味でもある。ダブル・ミーニングの翻訳者泣かせのタイトルでもあるのだ。


犬も実は重要な存在である。独りになり家に帰り着いた少年の礼が、帰途、柴犬と巡り会うエピソードがあり、その後も犬が彼の人生の重要なパートナーとなるのだが、それとの交流がまた水林さんの特長。今は閉鎖されている自身のサイトで、かつて飼い犬メロディーMélodieへの愛をつづっていたが、その犬が死んだのかな? 何かのおりにその名をそのままつかった作品も発表している。Mélodie: chronique d’une passion (Gallimard, 2013)  


夜更かしして遅く起きた今朝、髭を剃るために鏡を覗くと目が腫れぼったい感じであった。きっと昨夜泣いたせいなのだろう。僕の部屋に流れている「ロザムンデ」はあと5分くらいで最終楽章が終わる。


2021年8月15日日曜日

動物に共振する人びと

昨日届いたのは、これら:



『歌劇』8月号には僕のインタヴューが載っている。花組が『哀しみのコルドバ』を上演するとかで、それに関連して少しばかりしゃべっている。


今問題にしたいのは右側のもの。


グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』宇野和美訳(現代書館、2021)。


原書は2013年。5篇からなる短篇集。翻訳でも本文は150ページに満たないので、昨日いただいて昨日のうちに読み終えた。


いずれの短篇も一人称の語りであることが一貫した特徴。ただしその語り手=主人公は女性だったり男性だったり、国籍も職業も様々だ。年齢は同じくらいの模様。そしていずれも動物と共振する状況を生きている。


表題作「赤い魚の夫婦」では妊娠中の夫婦の危機とそのカップルがもらった金魚(シャム闘魚とも呼ばれるベタ・スプレンデンスの一種)のつがいの危機がパラレルに語られる。


僕はここに、コルターサル「山椒魚」の影を読み取らないではいられない。


彼(三匹目のオブローモフと名付けられた魚:引用者注)が幸せだったとはとても思えない。昨日の午後、真っ赤なヒナゲシの花びらのように水面に浮いているのを見たとき、それが何より悲しかった。彼のほうは、夫のヴァンサンとわたしが彼を見るよりもずっとじっくり冷静に、こちらを観察する時間があったはずだ。そして彼なりに、わたしたちのことを憐れんでいたに違いない。(11ページ)


そして「わたし」は自分のもらった金魚のことを調べるために図書館(おそらく、「山椒魚」と同じサント=ジュヌヴィエーヴ図書館。「わたし」はパリ在住の産休中の弁護士)に調べ物に行くのだ。


2作目「ゴミ箱の中の戦争」は今では昆虫学者として大学で教鞭を執る「ぼく」が、少年時代、両親の離婚の危機のために預けられた伯母の家でゴキブリと関係を持つはめになる話で、リスペクトル『G・Hの受難』を思い出す。


読み終えた後で書き出しを読み返すと大いに笑わないではいられない。


ラボや教室に入ったとき、ぼくはいつも隅っこに行きたがると、研究仲間から指摘されたこどかある。また、道の真ん中より、塀ぎわを歩くほうが安心できる。これといった理由は説明できないが、その癖には、きっとぼくの気質が深くかかわっているのだと思う。(49ページ、下線は引用者)

言うまでもないが、こうしてこれを引用している僕自身もまた、端っこが好きで、塀ぎわしか歩かないのだ! 


第3話「牝猫」は「わたし」の妊娠と同時に飼い猫が妊娠する話。あるいは逆。飼い猫が妊娠し、「わたし」が妊娠する。「わたし」は卒論を仕上げ、プリンストンの大学院に進学しようとしている歴史学の学生。


第4話「菌類」は不倫と身体に取り憑いた菌の話。語り手の女性はヴァイオリニスト。


最終話「北京の蛇」はいささか異質。語り手「ぼく」が蛇にとりつかれた父を語る話だ。つまり、語り手が動物との共振の当人ではない。父は中国生まれでフランス人に養子にもらわれた劇作家。母はオランダ人女優。


動物との共振はまた、語り手の自身の肉体への意識をも鋭敏にする。やはり表題作から。


産婦人科の前回の定期検診で、児頭が骨盤にもぐりはじめていると言われた。それはわたしが腰に感じていた感触とぴったり合致していた。あたりが静まりかえった午後、ときおり恥骨がきしむ音が聞こえた。(23ページ)


訳者の宇野和美は「とりわけ表題作は、自分が似たような境遇だったころの息苦しさや戸惑いを思い出しながら何度も読み返した」(「訳者あとがき」148ページ)とのことだが、うまれた娘のリラが高熱を出した日、夫が会計監査とその後の打ち上げを口実に午前様となり、「わたし」が怒りを爆発させるというくだりなどは、なんだか東京のサラリーマンもののようで、その意味でも共感を呼びそうだ。


最初と最後のものはパリ、他はメキシコ市を舞台にしているのだが(「菌類」はコペンハーゲンやらバンクーバーやらとあちこち飛び回るし、住まいはメキシコ市とは特定されていないが)、主人公たちの住む住環境がなんとも言えずいい。「いい」というのは単にすてきという意味ではなく、その住環境への主人公たちの適応のしかたがいいといえばいいのだろうか? みたび、表題作から:


わたしは茄子のパスタを作って立ったまま食べながら、むかいの建物の修繕をしている二人の作業員をキッチンの窓から見た。食べ終わると、使った鍋と汚れた食器をさっさと洗った。それからぶらりと散歩に出て図書館に行った。(16ページ)


こういうパッセージがあると、僕はついつい引き込まれて読んでしまうのだな。それで、昨日のうちに全部読み終えたという次第。


表題作からの引用をこれだけしておいて言うのも何だが、猫好きでかつ大学人である僕としては「牝猫」がいちばんのお気に入り。メキシコ市が舞台だし。

2021年8月13日金曜日

Reculez, reculez, reculez!

昨日届いたのが、これ。




映画オーレル監督『ジュゼップ 戦場の画家』(フランス、スペイン、ベルギー、2020)劇場用パンフレット(左)。ここに「ジュゼップ・バルトリのRetirada」(pp.12-3)という見開きの文章を書いている。


ジュゼップ・バルトリはバルセローナのイラストレーターで、バルセローナ職業イラストレーター組合の設立メンバーのひとり。UGTに繋がる組織なので、共和派だ。それで内戦後フランスに逃れ、フランスでの収容所体験を経てアメリカ大陸に渡った。フリーダ・カーロとも関係を持ったことで、フリーダ側の資料でその名は確認できると思う(たとえば、最近のものでは、マリア・ヘッセ『わたしはフリーダ・カーロ――絵でたどるその人生』宇野和美訳、花伝社、2020、p.87)。ヘッセのこの書ではふたりはアメリカ(合衆国)で出会ったことになっているし、事実そうだと思うのだが、映画内ではメキシコで二人でコヨアカンの「青い家」を青く塗ったりしている。それはまあフィクションとしての虚飾。なんらこの映画の価値を貶めるものではない。


さて、このジュゼップ・バルトリ、フランスに逃げた際に、多くの人同様、アルジェレス=シュル=メールの収容所を手始めに、いくつかの収容所を転々とし、アメリカに渡った。収容所にいる間に、彼が描いたイラストがたくさんあって、それをまとめた本が、上の写真で隣に映っている La retirada: Exode et exil des républicains d’Espagne (Actes Sud BD, 2009). 監督のオーレルもこれに触れたのが発想の始まりだったと述べている。映画も大半は収容所での暮らしの悲惨をひたすら絵に描くジュゼップの姿と、その彼が描いたイラストとで構成されている。


ところで、今回の文章、泣く泣く割愛したものがある。まず、図版2点。La retirada の書影と、バルトリの描いたポスター画2点を図版として載せたかったのだが、叶わなかった。パンフレットはパンフレットで映画関連の図版がたっぷりなので、まあ僕の図版がなくても充分楽しめる。本の表紙に載った傷病兵のイラストはパンフのp.11(僕の文章の直前)にも出ているので問題ない。


要するにジュゼップ・バルトリのポスターの図版を俺は持ってるぞ、と示したかったのだが、それが叶わなかったので、ここに引用しておこう。 Jordi Carulla & Arnau Carrulla, La Guerra Civil en 2000 carteles, Postermil, S. L., 1997, II-p.190



もうひとつ割愛したのは、字数の問題から。かつて僕の訳したアレホ・カルペンティエール『春の祭典』(国書刊行会、2001)でのアルジェレスの収容所の描写。主人公の友人(国際旅団での戦友)ガスパル・ブランコが収容所に入れられた話を主人公に語るシーンだ。


国境を通過すると、一場の情景には数名のセネガル人が銃床を高く掲げ、 “reculez, reculez, reculez” (「後退、後退、後退」)という声に合わせて入場し、逃走兵たちの一人たりとも、わずかなりとも道を外れさせまいと、傷つきぼろをまとった、虐げられた者たちを統率し、アルジェレス=シュル=メールの忌まわしい強制収容所に導いて行った。そこでは砂に掘った穴の中で眠らなければならなかったという。食事は一日に捕虜四人につき鰯の缶詰一個だった。三重に巻かれた有刺鉄線。そして便所もなければそれに代わる場所もなかったので、人々は砂浜で、海水を汚さないように引き潮をうまく利用して、用を足さなければならなかった。しかし、事態はまったく逆で――とガスパルは語る――、日々広がり、厚みを増し、悪臭芬々としてゆく糞尿まみれの海の鼻先で暮らす羽目になったのだ。程なくして蚤、虱、疥癬の大量発生が始まる。そして赤痢、嘔吐、発熱がやって来る。(240)(今では「後退」でなく「撤退」と訳した方がよかったかなと思う――訳者兼引用者注)


ジュゼップもまたセネガル人兵士に導かれていたし、僕は映画を観ながら、カルペンティエールのこの一節を思い出していたのだ。が、さすがにこんなに長い引用はできなかった。なので、ここで、お披露目。

2021年8月5日木曜日

餓死するまでやるぞ!?

ちょっと前から高橋源一郎が集英社のサイトで「読むダイエット」という連載をしている(リンク)。


その第一回で紹介されたのが(リンク)、食べないことによって健康になると主張した二人の人物。水野南北(生没年が書いていないが、江戸時代の人。『養生訓』の貝原益軒などとも同時代人なのかな?)とルイジ・コルナロ(1464-1566)。水野については二次文献(つまり孫引きとして)だったけれども、ともかく、少食こそが健康の秘訣だと主張し、自らも長生きしたふたりだ。


高橋の文章を読む1年ほど前、体重がいよいよ危険領域に達しそうだと感じた(靴下を履くためにかがむと邪魔な何かが僕を息苦しくした)僕は食を減らし、ちょっとだけ運動したことで1年足らずの間に10kgほど減量した。その後、1-2kgほどリバウンドして、そのあたりの数値で安定している模様。おかげできつくなっていた服は元通り着られるようになった。あと5-6kg減らせば20-30歳代から40代前半くらいのころの数値に戻るはずである。


が、考えてみたら、一度病気でだいぶ体重を落としたこともあって、筋肉量が減っているのだし、数値を昔にもどしたくらいではいけないのではないかと思い、あと10kgは減らさなければと思い立った。


そんなころに高橋の文章を読んだのだった。なるほど、食事を減らしたのは正解だったのだな、と納得し、自身の正しさを追認した。


が、その後はなかなか体重は減らない。ここから先はもっと努力が必要なのだろうとも思う。一方で、10kg減らしたことで少し油断して、また間食などたまにするようにもなったから、それもいけないのだろうとも思う……そんなことを考えていたら、別の連鎖によって僕の目の前に現れたのが、南北の『修身録』とコルナロの『無病法――極少食の威力』中倉玄喜翻訳・解説(PHP、2012)。アマゾンのページに浮上してきたのだ。で、買ってみた。『修身録』はまだ届かない。とりあえず先に『無病法』が届いた次第。



コルナロは35-45歳のころ飽食の限りを尽くして身体を悪くし、医者から節食を勧められ、実行してみたら健康を取り戻したとして、少食のメリットを説いている。また、70歳の時には落馬し、医者が瀉血を試みようとしたが断り、オイルマッサージだけで回復。これも少食のおかげだと言うのだ。


いささか循環論法めいたところもなくはないが、章の区切りで翻訳者の中倉が現代的見地からコルナロの立論を説明するという構成。


一方で僕はかつて、(10kgも太ってしまう前)、こんなことを書いたのだった(リンク)。空腹の方が読書がはかどる、と。コルナロの文章をすんなり信じ込むタイプではないけれども、読書という観点からも、腹は空かせていようと思うのだ。それに、外山滋比古は朝の空腹時の方が仕事ははかどると言った(『思考の整理学』)。


貧乏だった僕には空腹がいちばん怖い。若いころはそうだった。大学生だったある年、大晦日から正月の三が日にかけて非常食用のインスタントラーメン2個しか食べられなかったこともあった。そのときのつらさが恐怖とともに思い返されることがある。でも、考えてみたらそれが怖く感じられたのも、もっと若いころから、身体をつくり健康であるためにはたくさん食べなければならないという思い込みの下に僕に食べさせてくれる善意の人に事欠かず、子供のころから貧乏なわりに食べていたからなのだった。もうだいぶ前から僕は朝は食べずに、6時ごろの夕食の後、11時くらいの昼食までは朝コーヒー2杯とジュース1杯飲むくらいなのだった(朝を抜くのは実は外山の主張に後押しされて定着した習慣)。そこで経験する空腹も、特に耐えがたいものでも恐怖すべきものでもないということは経験的に知っているはずだ。空腹がいちばん怖いという先入観を抜けばいいだけのことなのだ。


唯一の危惧はコルナロがむしろ虚弱体質(99)で、彼の講話が「少し食べ過ぎただけでもすぐに気分が悪くなるといった、きわめて虚弱な体質の者たちにとって」(63)役に立っているらしいということ。俺、だいぶ頑丈な方だし、食べ過ぎても全然体調など悪くならないのだよな……あ、でも悪人正機説みたいなものか、虚弱体質な者も少食によって健康になる。いわんや丈夫な者をや、というやつ。


コルナロの本の下にあるのは、ゲラ。ある著書の復刻版だ。ふふふ……

2021年7月29日木曜日

マリオは人生を精算する

19日(月)にはオペラを観た@新国立劇場。ビゼーの『カルメン』アレックス・オリェ演出。劇場のプログラム冊子が充実していた。


カルメンに現代的な解釈を加え、ジャングルジムのような舞台装置にロックバンドなども(ちょっとだけ)入れてなかなか面白い試みだった。何しろ『カルメン』だ。オペラの中のオペラだ。そうした解釈を許す懐の深い作品だ。


今日届いた本の2冊。



Gabriel García Márquez, Mario Vargas Llosa, Dos soledades: Un diálogo sobre la novela en América Latina, Edición a cargo de Luis Rodríguez Pastor (Alfaguara, 2021)

Mario Vargas Llosa, García Márquez: Historia de un deicidio (Alfaguara, 1971 / 2021)


前者は1967年、バルガス=リョサがロムロガリェーゴス賞を受賞し、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』がベストセラーになった年の9月、リマの国立工科大学で行った対談(現実にはバルガス=リョサがガルシア=マルケスにインタヴューする形)に、その周辺的なテクストを揃えたもの。


この対談は、その一部が、かつて、野谷文昭訳で『エスクアイア日本版別冊 TIERRA』1990年1月号に訳出された。さらにその後『疎外と反逆』(寺尾隆吉訳、水声社、2014)の第1部として訳されている。元の対話は二日にわたって行われ、本書でも第1部と2部に分けて掲載されているが、『疎外と反逆』がその両方とも掲載していたかどうかは覚えていない(実物は大学にあり、今は自宅にいるので)。


僕は『疎外と反逆』の書評を『週刊読書人』に書いた。翻訳者のあとがきの価値判断に反し、バルガス=リョサの(学究的であろうとするがゆえに陥らざるをえない)陳腐さとガルシア=マルケスの創作者としての真摯さを読み取り、それでも「本書はあくまでも六〇年代の記録だ」と書いた。今回、Dos soledades に一文を寄せたフアンガブリエルバスケスの言葉はそんな僕の価値づけを後押ししてくれるようでもある。VLlが常にメスを手に文学に分け入る批評家作家で、ガルシア=マルケスは無知の作家という自身のイメージを必死に守っているように見える、しかし、そうではないのだ、と。彼は読書の技術を知り尽くしているのだ、と(14-5)。


そして、なんといっても特筆すべきは2冊目。『ガルシア=マルケス——神殺しの歴史』だ。1971年に出版されたものの、ふたりが喧嘩別れして(柳原『メキシコDF』第8章参照)以来、再版されることのなかったこの批評書。ガラクシアグーテンベルクの全集版になってやっと再版されたらしいこの本を、実は僕も持っていなかった。それがつい最近、やっと再版されたのだ。


85歳になったバルガス=リョサは、きっと人生を精算しはじめているのだろうと思う。ガルシア=マルケスももう死んで7年になる。いつまでも意地をはっていないで、いろいろと思うところはあるだろうが、あくまでも歴史的資料としてこれの再版を許すことは自身の務めなのだと悟ったのだろうと思う。実に助かる。


さて、ところで、こうしてはじめてこの書を手にしたのだが、びっくりだ。650ページを超える大部であった。やれやれ。ボルヘスに関しては100ページしか書かなかったのに、ずいぶんとたくさん書いたものだ。どれだけ愛していたのか。


2021年7月9日金曜日

老いとスパイとニブと

マイテアルベルディ監督『83歳のやさしいスパイ』(チリ、アメリカ、ドイツ、オランダ、スペイン/配給アンプラグド、2020年)


トレイラーを観ても、『すばる』8月号掲載の野崎歓による映画評を読んでも、てっきりフィクション、というか、劇映画だと思い込んでいた。が、ドキュメンタリーなのだそうだ。驚異である。


もうすぐ83歳になるセルヒオが新聞広告に応募して探偵社に雇われ、老人ホームに潜入調査に向かう。ターゲットとなるソニアの子供が依頼主。ソニアがホームで虐待にあったりしていないか、窃盗に遭ったというが職員に泥棒がいるのではないか、それを調査に向かうのだ。女性の入居者が男性の10倍ばかりもいるそのホームで、新入りでスーツを着たセルヒオに恋する者(ベルタ)が現れたり、詩作して歓迎する者(ベティタ)がいたり、認知症なのか母親が迎えに来ると信じては外出したがるばかりか、手癖も悪い者(マルタ)がいたり、自身の記憶と論理の整合性に自信が持てずに不安を抱える者(ルビラ)がいたりして、それらの人物とセルヒオがことごとく向き合い、対処し、時には癒やしていくのだから、物語性はたっぷりだ。ドキュメンタリーだということがにわかには信じられないのだ。


広告に吊られやってきただけのセルヒオが、手癖の悪いマルタを結局はいちばん近くにいて(そして彼女の被害者であるはずのソニアすらもが)相手にしたり、ルビラを癒やすべく「泣いて良いのだ」とアドバイスし、彼女の娘や孫娘の写真を手に入れて癒やすなど、すぐれた知性を発揮するのも驚き。


探偵など雇って心配するより、家族が会いに行くのが老人にとっては一番の薬、というのは予想しうる主張であるし、予想しうる主張だとしても感涙を禁じ得ないのだが、そうした感動などよりも、やはりあくまでも驚きなのは、これがドキュメンタリーとして撮影されているということだ。クルーはセルヒオが潜入調査に入る2週間前にホームでの撮影を始め、たまたま入ってきた新入りであるセルヒオを追うという形で撮影を続けたのだという。監督が言っている「ドキュメンタリー映画製作者として私が用いる手法は、ロムロ(セルヒオの雇い主。つまり、探偵)が用いる手法と似ている」(プログラム: 9-10)。アルフォンソレイェスが言うように、スパイとジャーナリズムは根が同じなのである。




モンブランのマイスターシュテュック149のニブ(ペン先)のEFが細すぎたので、ペリカンのスーベレーンM800はMを使っていたのだが、ペリカンはモンブランよりペン先が太いので、これのEFがちょうど良いのだと気づいた。そしてペリカンは簡単にニブの交換ができるので、EFのそれを手に入れた。案の定、実にいい。(下は軸に装着したところだが、ピントの位置がずれているように思う)