2014年2月26日水曜日

2日続けて渋谷に出張る

ヴァディム・イェンドレイコ『ドストエフスキーと愛に生きる』(スイス、ドイツ、2009)

ドストエフスキーの小説のドイツ語への翻訳者スヴェトラーナ・ガイヤー(1923-2010)を追ったドキュメンタリー。原題は『女性と5頭の象』というほどの意味だろうか?  Die Frau mit den 5 Elefanten. 彼女が訳すことになっているドストエフスキーの5作品を象にたとえているからだ。 

それが『ドストエフスキーと愛に生きる』という邦題になっているし、公式ガイドブック(つまりパンフレット)には「スヴェトラーナの食卓」なんてレシピ・コーナーがあるしで、これは彼女が父や息子の看病のために料理を作ったというエピソードに最大限に光を当てたいという意図の現れなのだろうか? ウクライナで生まれた彼女は、父親がスターリンの粛正で投獄され、45Kgの痩せこけた体になって戻って来たという。少女の彼女の思い出は父に食べさせる料理についての指示を医者に聞きに行ったというものだった。こうして父に食事を食べさせた。そしてこのドキュメンタリーの撮影に入った直後に、学校の技術教師をしている息子が、機器の故障で怪我をして入院したというエピソードが語られる。翻訳を中断して毎日、息子のための料理を作ったという。父のための料理が息子のための料理のリハーサルになった、と。

けれども、見た限りではやはり彼女の人生の回顧が中心になっているように思われる。ウクライナで生まれ、ドイツ語を学べば結婚に有利だと母に言われてドイツ語を学び、それが堪能であったがゆえに「スターリンからの解放と人々が考えていた」(!)ドイツの協力者となり、おかげで奨学金を得てフライブルクの大学に学ぶことになり、結婚、離婚、……という人生だ。つまり、フランス風に言えばコラボだ。ドイツに渡ってからはアーリア人種ではないとの烙印を押されたりもするのだが(そしてそのことに目をつむった将校は、後に東部戦線に送り込まれることになるのだ!)、ウクライナで対独協力者として戦後を迎えることとどれが大変だったのかはわからない。

言語は人と人との間にあるもので、だから貨幣にたとえられたりもするのだが、たまたまドイツ語ができてしまったがために立場が二転三転して、2言語間の間にあることを選んだということ。講演を頼まれてウクライナに60年以上ぶりに戻り、昔の生活の痕跡をたどったりもするのだが、その時、カメラの背後からディレクターだろうか? これまでウクライナに戻らなかった理由は何だ、と訊ねる一場があった。ガイヤーは「それは逆だ。これまで戻る理由がなかったのだ」と答える。言語のように貨幣のように、くるっと転回する切り返しがいい。その後の得意げな笑顔(なのか?)がチャーミングだ。

翻訳作業の進め方や言語観、テクスト観なども、なかなか参考になった。今どきタイプライターの前で口述し、友人の音楽家に朗読してもらって気になるところをいちいち指摘してもらう(「プロトコル」というやつだ)。うむ。


そしてまた公式ガイドブックには何人かの翻訳家の方々の仕事風景の写真とともにインタビューが載っている。サイト上でも公開されている。のぞき見趣味のぼくとしては、皆さんの書斎などがとても気になるところ。