2014年4月27日日曜日

言葉遣いに気をつけよう

まあ、このブログでこんな風にいささか砕けた文体の文章ばかり書いていて言うのも口はばったいのだが、日本語の規範意識、どうにかならないかな、と思うのだ。

今年、駒場の1、2年生相手に「レビューを書こう」なんて授業を持っている。そんな授業じゃなくても、たいていの授業で授業内課題のようなことを課して、学生に何か書かせ、添削したりコメントしたりして返している。全体的に言ってみなさん優秀なのではあるが、それでも、そのわりにやはり、規範意識、とでも言うのかなあ、そんなものの欠如具合は甚だしいような気がしてならないのだ。だから「目線」とか「真逆(まぎゃく、らしい。まっさかさ、でなく)」とか、「立ち位置」とか、そうした俗語を使って毫も気にならない。うーん、どうしよう……

! 

鎌田美千子、仁科浩美『アカデミック・ライティングのためのパラフレーズ演習』(スリーエーネットワーク、2014)

「上級日本語学習者対象」なのだそうだ。つまり、留学生向けのワークブックだ。日本の大学などで「アカデミック・ライティング」というと、英語(やその他の外国語)の書き方の練習の授業だったりする。そしてこれは留学生向け。中級か上級であるはずの日本語話者向けのアカデミック・ライティングの本というのが、ないのだ。「論文の書き方」みたいなのに、一部の言い回しや言葉遣いに対する注意を促す項目くらいはあったとしても、日本人に対して、日本語でアカデミックなものを書くときに必要な日本語の訓練をする機会、というのを誰も想定していないらしいのだな。だから、しかたがない、こういう留学生向けのものなど参考にしてみようじゃないか、という話になるのだ。

留学生向けといったって、手強いぜ。「レポートや論文ではあまり用いない表現に下線を引き、言い換えなさい。/……/4. 航空運賃の改定は、原油の金額の高騰によるものである。」(30ページ)な? 難しいだろう? 


困ったな。これ、日本人学生にも使いたい気分だな。いや、つまり、日本人学生の教師たちにもさ……

2014年4月26日土曜日

Q.E.D.

こういうニュースが伝わった(わかりにくいかもしれないけれども、リンクが貼ってある)。

ぼくはかつてこんなことを書いた(同じく)。安倍晋三が言葉をないがしろにしているということと、彼が食事の場が外交の場だという基本的な事実を知らないのじゃないか、ということを書いた。

どうやら今回のニュースでぼくの仮定は実証されたようだ。そうみなしてしまおう。この人はありったけの侮蔑の念を込めて見下げなければならないほど無知である。

2014年4月25日金曜日

女はいるじゃないか、たくさん

村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋社、2014)

9年ぶりだそうだ。短編小説集。全6編からなり、最後の表題作が書き下ろし。他は4作目(単行本掲載順ということ)の「シェエラザード」(Monkey vol. 2に掲載)を除けば『文藝春秋』に掲載されたもの。

最初の2作(「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」)はビートルズの歌のタイトルから取ったのだが、この2作には雑誌掲載時、ケチがついたらしい。そのへんの事情を珍しく「まえがき」を書いて作家自身が説明している。曰く、「イエスタデイ」の関西弁自由訳のようなものに著作権者から注文が入ったのだと。そして何と言っても有名なのは、「ドライブ・マイ・カー」での中頓別町の扱い。ここの出身だという女性運転手が窓からタバコを投げ捨てたのを見て、視点人物が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と考えるというパッセージ。これに町議らから質問状が寄せられ、村上春樹は単行本収録時に書き換えると約束。が、この出来事を知った人々が怒り、逆に中頓別町が非難を浴びた、というもの。

町名は「上十二滝町」という架空のものに換えられた。『羊をめぐる冒険』で羊博士の別荘があったとされる、物語のクライマックスの舞台となる町が「十二滝町」だった。それに「上」がついたのだ。

このことについての判断を差し挟む気はない。ともかく、「ドライブ・マイ・カー」はその北海道の町出身の運転手を相手に、妻が浮気した相手と、その死後、友達になろうとした話を語る俳優の物語だ。

「イエスタデイ」は浪人中の友人木樽から自分の恋人とつき合ってみないかと相談を持ちかけられる大学生谷村の話。

「独立器官」はやはり谷村を相手に、裕福な独身主義の整形外科医が、失恋を語る話。

「シェエラザード」は何らかの任務を帯びて「ハウス」に蟄居する羽原伸行を世話する女が、自分の前世(やつめうなぎ)や高校時代の話をする、というストーリー。いちばん短編小説らしい。

「木野」は妻と離婚した木野が自分の名のバーを始め、そこを訪れる客たちと取り持つ関係を扱っている、ようにみえる始まり。『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』にも通じる、村上春樹の長編の世界にいちばん近いだろうか。蛇淫。

表題作「女のいない男たち」は昔の恋人の自殺を知らされた「僕」が思い出と可能性とに思いをめぐらす、いささか技巧的な話。


既に書いたように、「シェエラザード」が最も短編小説らしいと言えるだろう。僕が一番身を乗り出したのは「独立器官」。渡会医師の思想というか志向性というか、そうしたものに、はからずも感情移入したかもしれないのだ、僕は。かつて村上春樹に対してあれだけの悪態をついていた島田雅彦の、当時のある思考実験と同様の試みを行っているのだ、ここで村上は! 

黒の時代の終焉

2000年をちょっと過ぎたあたりがピークだったと思う。身につけるものが黒が主流になったのは。ジャケットもコートも黒。せいぜいシャツを白くしてモノトーンとなった。持ち物も黒いのが多くなった。だんだん黒いジャケットの下にピンクのセーターなどを重ねるようになり、シャツがカラフルさを取り戻し、そして気づいたら昔のようにマドラス・チェックのジャケットまで羽織るにいたった。

鞄は相変わらず黒かった。もう何度か繰り返していると思うが、HERZ という革鞄の店のソフトダレスリュック。が、前者に穴が開いたし、もうひとまわり大きいサイズが欲しかったしで買ったソフトダレスが今度はチョコレート色。鞄まで黒の時代を脱したのだ。

そしてさらにはMac Book Airのケース。以前このブログでも紹介したこの紙のケースも、いまや茶色になったのだ。ぼくはこうして確実に黒の時代を脱却しつつある。世界が暗黒に包まれている今だからこそ、黒から脱却しているのだった。


とは言え、今日はシャツもパンツも靴下も、ハンカチまでが黒なのだけどね。ジャケットだけがオフ・ホワイトのコットン製。

2014年4月24日木曜日

国境について語り、国境を飲む

昨日の話。水曜5限「原典を読む」の授業を1回潰し、特別授業としてベラクルス大学のレティシア・モラさんにお話しいただいた。「カルロス・フエンテスと『ガラスの国境』について」。

フエンテスの『ガラスの国境』(『水晶の国境』? La frontera de cristal, 1995)は9編からなる連作短編集。連作短編集という構成の点でも、国境地帯を扱うそのテマティックにおいてもフエンテスの本質を体現した作品である、というのがモラ博士の主張。特に「残飯/残骸/略奪品」El despojo と「マキラのマリンツィン」Malintzin de las maquilas の2編が国境地帯における米墨の共犯関係というか、相互依存というか、交渉というか、……一定でも一枚岩でもなく流動する関係性をよく表していると、そんな話をしたのだった。


終わって懇親会では「国境」という名のワインを飲んだ。
(写真を撮るのを忘れちまったぜ。だから本の写真を載せるぜ)

2014年4月18日金曜日

ガボが死んだ

世界にガブリエルという名はたくさんある。スペイン語圏ならたいていのガブリエルはガボと呼ばれるだろう。だが、ここ50年ばかりの間、ガボといえばこの人のことでしかなかった。世界中のその他のガボを駆逐し、たったひとりのガボの名を独占していたのだ、ガブリエル・ガルシア=マルケスは。そのガボが死んだ。

たとえば、こんな報道がある。そしてこんなものも。ブームを二人して支え、ガルシア=マルケス論まで書いたのだが、その後、いまだによくわからな理由からガボにパンチを見舞い、袂を分かったマリオ・バルガス=リョサの戸惑いと悲しみ。新たなる「私たちは仲違いしていた。が、仲違いなど何でもありはしない」を求めているのだろうか。

ともかく、そんな経緯のせいか、バルガス=リョサの『ガブリエル・ガルシア=マルケス 神殺しの物語』は今では手に入りにくいし、翻訳も許可されないので出ていない。その代わり、と言ってはなんだが、『疎外と叛逆――ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』寺尾隆吉訳(水声社)なんてのが、つい最近出された。かつて野谷文昭訳で『日本版エスクァイア TIERRA』にその3分の2ほどが掲載された二人の対談とその他のバルガス=リョサのテクストを併載した本だ。この書評を昨日、仕上げてあるところに送ったばかりだったのだ、ぼくは。


でもぼくがガボの訃報についての誰かのコメントを読みたいとしたら、プリニオ・アプレーヨ・メンドサだな。『グアバの香り』(木村榮一訳、岩波書店、2013)のインタヴュアー。『百年の孤独』が売れる前からガボをガボと呼ぶ特権を得ていた友人。Aquellos tiempos con Gabo (Barcelona: Plaza & Janés, 2002)で遠い存在になってしまった旧友を情感たっぷりに懐かしんだプリニオ。

……と思ったら、さすがにここにはこんなのがあった。プリニオの思い出話のビデオ。

2014年4月12日土曜日

ひとりでは生きづらい

午後、図書館で少し調べ物をした。東大の図書館にもEspasa-Calpeの70巻(+数十巻もの付録)におよぶ Enciclopedia Universal ilustradaEnciclopedia de México なんてレファレンスがある。ラルースのスペイン語版百科事典も欲しかったところだが、まあいい。ともかくぼくらはまず、こうしたレファレンスを読み、論点と参考文献を手探りしていく。

東大中央図書館のレファレンス室(参考資料室)は二層構造のたっぷりとしたスペースで、そこのテーブルでぼくは50ページばかりもある百科事典の "tranvía"(トラム。路面電車)の項目などを読んでいたわけだ。

余談ながら、たっぷりとしたレファレンス室でレファレンスをめくっているらしい人は、ぼくをのぞけばひとりだけだった。たいていが学生らしい利用者たちはみな、図書館を、レファレンス室を、体のいい勉強部屋ていどに思って利用しているようだった。井上真琴(『図書館に訊け!』ちくま新書、2004)が言うように、日本の大学ではレファレンスをまず導きの糸とする教育が欠けているようだ。

で、ともかく、既に何度か書いたと思うが、ぼくはジャパンナレッジ(JK、といっても女子高生ではない)を個人契約している。何種類もの辞書に『日本国語大辞典』、『日本大百科全書』、『国史大事典』らが横断検索できるし、文庫クセジュ、日本古典文学全集、東洋文庫、なども読める。今ではたいていの図書館がJKと契約していて、自分で契約しなくても参照は可能なのだが、学内のみからアクセスできるという制限付きだったりするし、いつ大学を放り出されるかわからないし……で、個人で契約している。

研究室に帰ってから、ひょっとしてエスパサの百科事典もネットで閲覧できるのでは? と思い立った。案の定、できる。で、登録しようとしたのだが、どうもうまく行かない。不正に国名を入れてはならない、と言われて拒否される。

しかたがないから、今度は考え方を変えて、ブリタニカを使うことを考えた。ブリタニカ・ジャパンは、英語版と日本語版だけでなくスペイン語版など多言語が参照可能なのだが、これがどうやら、個人契約は受けつけていないらしいのだ。少なくとも料金設定の説明に「個人」の項目はない。やれやれ。どこまでも所属がないと生きづらいのだ。

iPadソフトはあった。スペインの王立アカデミー辞書と同じで、検索用のソフトが無料で。ただし、アカデミー辞書と違うところは、別個、ブリタニカと閲覧の契約を結ばねばならないこと。年額1,500円也。(PCのブラウザでならもっと高いと思う)


そのブリタニカ。 "Mexico City" の項目全28ページの中に、わずか1行、"By the end of the 19th century, streetcars pulled by mules linked the centre of the city with villages like Mixcoac". とある。この1行が実に大きな示唆となるのだ。だって、……なんでわざわざこう書くの? ということだよ。

2014年4月10日木曜日

地球の形

『神奈川大学評論』77号「特集 ラテンアメリカ――グローバル化と新政治地図」が届いた。

ここに「共同体から個人へ――ラテンアメリカ文学の五〇年」という小論を寄せている。特集の副題がこういうものだから、それにそぐうよう、現在ではブームの時代とはまったくことなるタームで語るべき作品が書かれていること、そしてまたここから振り返れば、例えばガルシア=マルケスだってずいぶん違った読み方ができるはずであること、などを述べた。

ぼくはともかく、「ラテンアメリカ文学」なんてものを特殊語彙で語って何だか良く知らないわけのわからない場所のちんぷんかんぷんな文学、という隔離された位置に置きたくはない。そういうことだ。

ここには様々な分野からラテンアメリカを論じる論文が載っているばかりでなく、ニカノール・パラの詩2編「エルキのキリストの説教と教えXXIV」、「想像上の男」(南映子訳)カルロス・フエンテスの短編「二つのアメリカ」(石井登訳)が掲載されている。それぞれの作品も、訳者の解説も面白い。素晴らしい。

フエンテスの短編はコロンブスと日本のノムラさんを中心とするパラダイスINCの面々がカリブで出会うというもの。コロンブスは日本も中国も目指しておらず、実は楽園にたどり着くことこそが目標だった、のではないか、と自分で疑っている、という点と、彼がスペインを追放されたユダヤ人である(サルバドール・デ・マダリアーガの唱えた説)という点において、彼のアメリカ到着の業績をエディプス・コンプレックス的回路に接続する。

コロンブスは第三回の航海でベネズエラのパリア半島とトリニダード島の間の海峡にまで達している。そこで海水に淡水が混ざり込んでいることを観測し、その先に大河のある大陸が存在することに気づく。そしてそこを「地上の楽園」と呼び、近づくことを拒否する。エドムンド・オゴルマンによればそれは、アジアに来るつもりだったコロンブスが、当時の地図上では大陸のあってはならない場所に大陸を認めるわけにはいかず、そこに探索に行かずにすむための方便として「楽園」の語を持ち出してきたのだという。人間の近づいてはならない場所として、近づかなかったのだ。

その際にコロンブスは、プトレマイオスなど古今の碩学の分析を引用し、地球が「女の乳房」のような形で、乳首のように盛り上がった場所に楽園がある、という世界観を展開した。それは第三回の航海の記録に書いてあるとおりだ。フエンテスは、幼くして母の乳を吸い尽くし、乳房から引き剥がされ、乳母の乳房に吸い付かなければならなかったコロンブスの「官能のメタファー」の帰結として提示している。

すごいなあ。官能のメタファー。アメリカの発見とクリトリスの発見を結びつけたフェデリコ・アンダーシ『解剖学者』(平田渡訳、角川書店、2003)みたいだ。

ちなみに、ぼくはフエンテスの本を読んでオゴルマン『アメリカは発明された』(青木芳夫訳、日本経済評論社、1999)の存在を知った。つまりフエンテスは当然、オゴルマンの分析は知っていた。その上で、説話上の要請から、コロンブスがパラダイスを目指していたのだ、とする仮説を紡いでいるのだ。


うん。面白い。というか、とてもフエンテス的、というか……

2014年4月9日水曜日

本の中の情報と記憶

本には様々な情報が詰まっている。小説となると、その情報量たるや膨大なものだ。筋を追うのでなく、そこに込められた情報を読み解くことにこそ小説を読む楽しみはある。

「原典を読む」という授業を担当している。文学部以外の学生にも受講可能な授業で、既に古典として定着した名作を原典で味わおうというコンセプト。今年はフアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』を読む。

岩波文庫版(杉山晃・増田義郎訳、1992)を開けてみた。「岩波」の印の隣に「コマラ/コントラ/メディアルナ」の書き込みがあった。物語が展開する場所のことだ。ぼくはこの小説は大学2年の時に授業でスペイン語で読んだのだが(読んだふりをしたのだが)、当時は岩波の別のシリーズに入っていたが、絶版だったか、あるいは単に金がなくて買えなかったかで、それは買っていない。そして92年に文庫化されたときに買って読み返したようだ。見返しや扉など、空いた場所に人物や舞台をメモするのはよくあることなので、これは、ちゃんと読んだという形跡にほかならない。

が、よく見ると、その右側、いわゆる散りの端に、何やら女性の名が書いてある。「浦江アキコ」

うーむ、誰だろう。当時つき合っていた恋人か? つき合う以前に振られた相手か? うーん、記憶にない。

グーグル検索かけたら、なんのことはない。ロカビリー歌手だと発覚。はて、ロカビリーなど、ぼくはあまり聴かないのだが……? Wikipediaによれば、90年代には女優としても活動していた、と。画像検索結果をみれば、なるほど、確かにおぼろげに、見覚えが。

たぶん、その女優活動の一環をTVか何かで見たのだろう。そして名前をメモしたのだ。忘れないように、と。忘れちゃっていたけど。

しかし、なぜこの彼女の名をわざわざ忘れないようにしようと思ったのか、その当時の自分の思いが理解できないのだ。うーむ。

本には様々な情報が詰まっている。作者の思いも、訳者の思いも詰まっている。そしておそらく読者の思いも。読者は情報を頼りに作者の思いを読み解いていくことがある。でも読み解くのが難しいのは、実は読者の思いかもしれない。


先日は、同じく90年代の日付のある、バーのボトルキープ券が別の本のページの間から出てきた。他人名義だった。

2014年4月1日火曜日

終わりをめぐる冒険

昨日、3月31日にはふたつの終わりがあった。

まずはフジテレビの昼の長寿番組「笑っていいとも」。これが最終回だった。誰かがツイートしていたので、ぼくは何気なしにツイートした。一度も通しで見たことはないと思う、と。けれども、これが始まったときのことを鮮明に記憶しているのは、もうひとつの「いいとも」と同時期だったからだ、と。こう書いたのだ。

村上春樹『羊をめぐる冒険』が1982年10月発行。(『群像』8月号掲載)で、『笑っていいとも』が1982年10月放送開始。1982年秋、ぼくは「いいとも」という表現をとても新鮮に受けとめた。言うんだよ、村上作品の人物たちが、「いいとも」と。

どういうわけかこれをリツイートしたりお気に入りに入れたりした人が多く、さらには、『羊をめぐる冒険』の当該箇所を引用して反応した人もいたらしい。盛田隆二さんがさらにその反応を紹介してくださったりした。

ぼくが「いいとも」を新鮮に感じた理由はさらにあって、何しろ「よかど」の国での3年を終え、「いっちゃっと」の国に戻っていたからでもある。「いいとも」なんて言い回し、聞いたことがなかったのだ。TVのない国からTVのある国に戻っていたからでもある。かつてラジオを聞きながら機を織っていたはずの母がTVをつけっぱなしにして仕事をするようになっていた。昼どきにTVを見るなんてことはますます不思議な話だったのだ。

ふたつめの終わりは、同僚の退職。柴田元幸さんが3月をもって東京大学を退職された。その記念のイベントとパーティーに行ってきたのだ。(写真はあくまでも始まる前のイベント会場。ここがほぼ満席であった)

イベントは「世界文学朗読会」と題し、関係者など10人が自分のお気に入りの作品(の一部)を朗読する、というもの。ぼくはボラーニョ『野生の探偵たち』第二部23章からフリオ・マルティネス=モラーレスの証言を読んだ。終わって何人かの方から「ボラーニョ、いいね」との声をいただいた。ありがたい。やはりツイッターでの話だが、「が、『朗読、いいね』の声は聞かずじまい」とつぶやいた。その瞬間、思ったのだ、そして書いたのだ「朗読は翻訳に似ている」と。

ぼくはこれまで名前が出たのも出ていないのも、出版されたのもされていないのも含めると何千ページ訳したか知らないが、その中で最も意味不明な2ページ半を読む、として読んだのだった。ナンセンスな文章の積み重ねの中からポエジーが立ちあがる、そんな感じの文章だ。翻訳の手腕が問われるところ。朗読の手腕が問われるところ。訳したのはぼく。朗読したのはぼく。しかして、目指すべきは、ボラーニョ、いいね、のひとこと。

続くパーティーでは司会進行役を務めた。


2次会では柴田元幸さんが東京大学教授でなくなった瞬間に立ち会った。つまり、12時を回る瞬間、ということ。