2019年8月24日土曜日

演劇三昧


昨日、23日(金)には演劇をはしごしてきた。

マチネで見たのは

神里雄大作・演出『バルパライソの長い坂をくだる話』(岡崎藝術座@ゲーテ・インスティトゥート東京、翻訳ゴンサーロ・ロブレード)

入場前に座席表が渡された。こんなやつだ。

(写真のピンボケは意図的です)
自由席なのでどこに座ってもいいのだが、その客席というのが、こんななのだ。船、二等船室、二段ベッド、バー、沖縄の屋台。劇中に出てくる話題の雰囲気を再現し、客にその雰囲気に浸ってもらおうということなのだろう。父親の遺灰を散骨に来た男1が男2と出会い、世界に、沖縄に、小笠原諸島に思いを馳せて話題を広げる、そんな内容の戯曲だ。

かつて、このブログでも示したように、僕はあるところにこの戯曲を含む同名の戯曲集(白水社、2018)の書評を書くために読んだ。その時点でこの劇作家や劇団のことを知らなかったので、東京での再演となる今回、観に行った次第だ。長く続く独白と思われた台詞が、ただ横に物言わぬ母親を配するだけで劇になることを再認識した次第。戯曲集所収のエッセイに出ていた役者たちによる再演だった。スペイン語での上演。

会場にアルベルト城間らしき人がいるなと思ったら、それは本人で、事前に知らされていなかったのだが、終演後、神里と城間のアフタートークがあった。

夜はヴィトキェーヴィチ作(関口時正訳)、赤井康弘演出『狂人と尼僧』(サイマル演劇団×コニエレニ@シアター・バビロンの流れのほとりにて)

精神病院に入れられた詩人とその詩人のファンでもある修道女、脳外科の観点から患者を治療しようとする医師と精神分析の万能を証明するために患者に近づく別の医師らのやりとりを描く劇。精神分析への皮肉たっぷりでなかなか笑えるところがある。中心人物ふたり以外の人物にはひとりひとり檻のようなスペースが割り当てられ、その中に収まっているから、俳優同士が接触することはめったにない。ある種、図式的な演出だった。

ここでもアフタートークあり。演出家の赤井康弘と主演の赤松由美、それに翻訳の関口時正の3人。

対照的なようでいて共通する要素もある2本を見た、演劇デイであった。

2019年8月18日日曜日

休み明けが待ち遠しい!


昨日、17日(土)は下北沢B&Bで「読んでいいとも! ガイブンの輪」に出てきた。

豊崎由美が主宰する通称「よんとも」は、今は終了してしまったTV番組「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのコーナー方式でゲストを呼んでトークし、そのゲストに次の回のゲストを紹介してもらうという催し。今回は番外編で、先頃亡くなった鼓直さんを追悼する回。野谷文昭、斎藤文子、久野量一に僕が鼓さんとの思い出を語ったり彼の翻訳作品を紹介したりした。

僕が紹介したのはアレホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』(1974)。サンリオSF文庫の一冊として1979年に翻訳出版されたもの。サンリオが文庫事業から撤退して長らく絶版になっていたが、2017年、水声社から復刊された。

18世紀初頭、銀山で財をなしたメキシコ人が自分のルーツであるスペインに旅をする。途中、寄港先のハバナで召使いを疫病で亡くし、代わって身寄りはないが読み書きができ音楽の素養もある黒人フィロメノを使用人に雇い、大西洋を渡る。スペインに失望してヴェネツィアへ行ったところ、ヴィヴァルディ、スカルラッティ、ヘンデルといったバロック音楽の三巨匠に出会い、彼らのジャムセッションのような腕のひけらかし合いに立ち会う。フィロメノが宗教画に触発されてキューバの「蛇の踊り」の歌(カルペンティエールが得意としたモチーフ、公現日の祭の歌)を歌ったところからジャムセッションは一層の盛り上がりを見せる。これが第一の山場。翌日、カーニヴァルの変装で男がモクテスマに扮していたところから、ヴィヴァルディはこの人物に興味を持ち、オペラを着想する。そしてその翌日にはもうゲネプロの場面だ。オペラ的に脚色されたメキシコ征服の話に男は腹を立てたり感情移入したり。そして最後は自分がスペイン人というよりはメキシコ人であると意識を抱くようになる。翌日、新大陸に戻る主人から離れたフィロメノはルイ・アームストロングのコンサートに立ち会う。

新旧両大陸の出会い、文化のそしてとりわけ音楽の混交、時空間を自在にゆがめる手法など、カルペンティエールらしい作品だ。ヴィヴァルディのオペラ『モテズーマ』は、作家がこれを書いた時点で台本だけが確認されていて、つまりまだ幻の作品だったのだが、その後、楽譜が発見され、何度も演奏され歌われ、今ではCDDVDになっている。あるいはYouTubeでも見られる。フィロメノが歌う「蛇の踊り」の歌もカルペンティエール自身がアマデオ・ロルダンと組んだバレエ組曲「ラ・レバンバランバ」で台本に取り込んだので、今では聴くこともできる。実は最後に言及されるルイ・アームストロングの楽曲のいくつかだけが、僕はまだ聴くことができていない。皮肉な話だ。

今日、こんなのが届いた。

何だろう?

弁当箱だ! 

これを使うのはひと月以上先の話だけどな。

ところで、僕はポテトサラダを作る際にはタマネギとキュウリをドレッシングで浸し、マヨネーズで和え、そこにジャガイモを入れるようにしているのだが、最近、ただマッシュポテトにマヨネーズ(と塩コショウ)をかけただけの作り方もあると知った。かつ、スペイン語の辞書で “ensalada rusa” を引くと、ポテトにタマゴやツナなどを混ぜたサラダとの定義もある。なるほど! ツナを入れるのか、と思いつき、キュウリやタマネギは使わず、ゆで卵とツナフレークを加えただけのが、

これ。うまそう。と自画自賛。

こんな作り置きなども既にあるのだが、ともかく、空いた時間はこうして忙しい日々に備える。

あ、でも9月に入ったらしばらく東京にいないから、8月のうちに食べ終えなきゃ!

2019年8月14日水曜日

修正シエスタ宣言


85日に博士論文の審査を行った翌日、6日からは一泊二日で湯河原に合宿に行った。現代文芸論研究室の合宿だ。

なかなか立派な研究発表などを拝聴した。

帰京して翌8日はオープンキャンパス。研究室ツアーというので高校生たちを迎え入れた。

さらに翌9日には運転免許証の更新に行ってきた。

年々人相が悪くなる。写真は旧免許証。

前回、シエスタ宣言をしたのだが、修正。

昼、外に出ないということは、昼、仕事をすればいいということだと気づいた。僕はだいたい朝仕事をして昼に移動、夜も仕事、という感じで生きている。そうではなくて、昼、仕事をして朝や夜に移動したり外出したりすればいいのだということだ。

昼間仕事して、夜に出かけてみた。不思議なものを発見した。

ところで、去年だったかおととしだったか買った、これ。

エスパドリーユ。スペイン語で言うalpargata。夏はこれがあるとひどく助かる。エスパドリーユといえば地中海。今年の夏はこれをはいて地中海に行くのだ。


でもその前に、もうすぐこれ(リンク)だ

2019年8月2日金曜日

シエスタ宣言


『百年の孤独』や『失われた足跡』に描かれたような永遠に降り続く雨がやんだと思ったら、暑い。

夏の間はサマータイムではなく、シエスタを取ることにしたいとの宣言を、今日、ツイッターで行った。真っ昼間12:00から16:00くらいの間は昼寝をするか、家に籠もってじっとしている。午前中と夜の涼しい時間を活動に充てる。そういえば昨日、ある友人の出ているTV番組で1日の睡眠を2回に分けて取る人を紹介していた。僕のような人間には案外、いいかもしれない。

とはいえ、まだ業務は終わっていないので、シエスタの時間の仕事もある。

たとえば、これ

東大文(学部)Tシャツ201988日のオープンキャンパスで研究室ツアーというのを受け入れる。そのときに着るやつだ。

その前、85日にはこれ

博士論文の審査がある。ちなみに、この論文を読んでいるのは

こういう喫茶店。僕が学生時代からある老舗だが、ネルドリップで淹れるコーヒーがうまいのだ、ここの店は。

ところで、どうでもいい自慢だが、最近の買い物はこれ

L.L.Bean のボート&トート。これのSMサイズを持ってそれぞれ物入れに使ったり、時には小さな荷物を運んだりするのに使っていたのだが、Sサイズのが少しくたびれてきたので、新たに買ってみた次第。近所にちょっとだけ出かける時などは重宝する。本や論文をこれに詰めて、喫茶店に出かけていって、読む。てな感じだ。