2014年2月25日火曜日

踊れ! 抵抗しろ! 

トニー・ガトリフ『怒れ! 憤れ!――ステファン・エセルの遺言――』(フランス、2012)

試写会+トークショーに行ってきた。トークは映画で扱われている15-M(キンセ-エメ)を取材したジャーナリスト工藤律子さん(友人だが)とU20デモ実行委員会の学生4名。

ガトリフがスペインのいわゆる15-M(2011年5月15日の大規模デモ行進、およびそれ以後の市民運動)を扱うのか、と思ったら、2010年、サルコジが演説でロマの排斥などを訴えたのに腹を立てたから、とのこと。

……しかし、それは動機だ。そうではない。ガトリフは音楽がそれ自体で体制に対する抵抗でありうることを知っているのだ。そしてそれを映画で表現してみせているのだ。

最初は劇映画にするつもりだったらしい。が、「アラブの春」、パリのバスティーユ広場占拠、マドリードの15-Mと続き、これはもう実際のデモの映像を撮ってしまえ、ということになり、ベティというアフリカ系の若い少女を連れてマドリードのデモを撮ったのだと。たぶんその後から、そのベティがアフリカからギリシャに不法移民し、ギリシャからフランス、またギリシャ、そしてポルトガル、スペイン……と漂流しては直接間接に上に挙げた市民運動のニュースに触れる行程を撮り足し、フィクション+ドキュメンタリーのような映画に仕上げた。

クランクインはスペインから始めたのかもしれないが、映画上のクライマックスはまさにその出発点だ。そこでは太鼓を叩きながら楽しそうに体制に抵抗するマドリードの市民たちが活き活きと映し出されている。人々は大小の太鼓を叩き、踊り、歌うようなシュプレヒコールを唱えている。小さなタンバリンのような太鼓など、リズムこそ違うけれども、まるで八月踊りのぼくの母みたいだ。母と言えば赤ん坊を抱きかかえ、乳房剥き出しで行進に参加している母親もいた。

抵抗とは楽しいのだ。音楽であるがゆえに。

いちばんの見どころは前半の1シーン。「アラブの春」の様子をインターネット経由で知って喜ぶパリの人々の描写の後に、2010年12月、チュニジアで青果商が焼身自殺、との字幕。そしてオレンジをいっぱいに積んだ荷車が傾き、オレンジが石畳の道に転がり出す。その様を追ったいくつものカットが秀逸なのだ。坂を転げ落ち、階段を転げ落ち、また坂道を下り、階段を下り、最後に桟橋に出る。

そう。このオレンジは『戦艦ポチョムキン』の群衆なのだ。ポチョムキン内で反抗したために死んだ兵士がオデッサの港に捨てられ、それを見た市民たちが続々と港に下りてくるシーン。そしてその後、その市民らがコサック兵に弾圧される、「オデッサの大階段」のシーン。群衆性(とモンタージュ)の最たる例としてのオデッサの市民たちの行列。ガトリフはこれを安上がりに、かつ象徴的にオレンジで再現したのだ。素晴らしい。これだけで観客は映画に引き込まれるというもの。

トークショーでは、特定秘密保護法案に対して立ちあがった「U20デモ実行委員会」の若い学生たちが、ラストのベティの金網の打擲が音楽に流れ込んでいくところのかっこよさに興奮していた。うむ。すばらしい。同時にあの場所は15-Mの原因ともいえる経済破綻によって半ばゴーストタウンのようになってしまった郊外の一区画なのだろうということにも気づいていただければもっとよかった。


ああいう若い衆を見ると、日本は明るい、と思えるのだった。