自らを不遇だと思っている人間は環境を嘆き、自身の不遇をそのせいにする。こんな国に生まれなければ、こんな職場でなければ、こんな学校にいるから、こんな家では……等々。
仕事上のツールも環境の一部だ。こんなトロいPCでなければ、この楽器では、この鞄がつらい、鉛筆が手に合わない……等々。
裏を返せば、こだわりとは、こうした不平を言わないための予防線だ。住みやすい家、働きやすい仕事場、理想の書斎、手に馴染む万年筆……等々。
僕は、自分では環境適応能力が高い方だと思うので、あまり環境に対するこだわりはない。どこでもいつでもやりたいことをやるだけ、という姿勢。
が、仮にも住むため部屋を持っている(先日、ある女性に「すてきな部屋ですね」と感心され、有頂天になっている)。そこには仕事をするための机がある。机に座って仕事をしていると、体が疲れてくる。
……
ヘミングウェイは立って執筆していた。ゲーテも立って執筆していた。
ヘミングウェイもゲーテも、それほど好きではない。
サイードも立って読む姿がある写真から確認できる。
立って執筆したいのだ。いや、僕は怠け者だから立ってばかりだと疲れて、やがていやになる。そんな時には座って仕事をする。立ったり座ったりとどの姿勢でも仕事ができる環境が欲しいのだ。
その後、折りたたみ式の小さなテーブル(卓袱台と言いたい)を必要とあらば机に載せて立って書き、それを取り払って座って書き、していた。しかし、まあ、それも面倒だ。
でも、ともかく、立ったり座ったりしながら書ける机が欲しいというのが、僕のここ数年のオブセッションだったのだ。教え子の中にはオフィスの机がそうであることを自慢している者もいて、うらやましさに身を捩る思いだったのだ。
で、ふと気づいてみれば、国産メーカーでも昇降式のデスクを作っているところはあったのだった。僕が数年前に夢見始めたころにはなかったと思ったのだが、今では、アマゾンでだって買える。
そんなわけで、買ってしまったのだ。昇降式の机。えへへ。月賦だけどね。
わかるかな? 椅子の高さと比較してくれればどれくらいの高さかわかると思う。
さあ、これで、体の凝りも解消して、バリバリ仕事をするぜ! たまった仕事も、すぐに片付くぜ!
……だといいな。
今まで使っていた机は、こうして、本棚の前に置き、当面の仕事に使う資料などを置くスペースとなる予定。
追記: こんなふうに並べた方がわかりやすいかも。