2016年5月17日火曜日

墓参りの詩学


マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』金子遊、井上里、水野友美子訳(水声社、2016)の刊行を記念した催し。色々と面白い本なので、聴きに行ったのだ。

質疑応答の時間になって、指名を受けてしまった。タウシグのフィールドがコロンビアだったし、この本の中にもコロンビアのことが書かれているし。で、管さんが「コロンビアに行ったことある?」と訊いてきたので、そのまま第2章「アメリカの構築」についての質問をした。

……が、違うのだ。そんなことを言いたかったのではない。僕は第1章の表題作「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」についてコメントすべきだったのだ。それがもたらしたある種の出会いを……

「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」は、ベンヤミンが自殺したフランスとスペインの国境の町ポルト・ボウでのベンヤミンの墓を訪れた人たちの話だ。墓を見出せなかったけれどもそこにある種の感動を覚えたハンナ・アーレント、偽の墓を見つけて憤ったゲルショム・ショーレムのことなる2つの立場を説き、自分自身が同じ場所を訪れて記念碑を見出すストーリーを添えたこのテクストによく似た体験(他人の体験)を僕はつい最近、目撃したのだった。

地主麻衣子のヴィディオ・インスタレーション「遠いデュエット」をトーキョーワンダーサイト本郷に見に行ったのだ。地主は当初からのロベルト・ボラーニョのファンで、『2666』の朗読パフォーマンスを行ったりしていたアーティスト。その彼女が2015年にスペインに滞在し、撮ったのが「遠いデュエット」。4章構成のどの章も考えさせられるところは多かったのだが、とりわけ、第1章に軽い興奮を覚えた。

地主さん本人らしい人物がボラーニョ臨終の地ブラーナスを訪れ、彼の足跡を辿るというのが第1章の内容だ。墓に行こうとしたらボラーニョは遺灰を地中海に散骨するようにと言い残したので墓はないと言われ、ボラーニョのことを記憶している人物を探す。出会ったのがMというアルゼンチン人。彼はボラーニョを知っているという。しかし、話は食い違いを見せる。Mの言うにはボラーニョはマリリン・モンローの恋人だったとのこと。彼は証拠写真(ネット検索で得られたもの)まで見せる。

何のことはない。Mが言及しているのはメキシコ人俳優ホセ・ボラーニョスだったのだ。勘違いに気づき、曖昧な誤魔化しかたで対話は終わる。

そして地主さんはブラーナスの高台に上り、地中海を眺める。「ここがボラーニョの墓だ」と。

この章を見て僕は、これは「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」じゃないか、マイケル・タウシグじゃないか、と興奮した次第。

ブラーナスの町からポルト・ボウの町までの海岸線をコスタ・ブラーバと呼ぶ。コスタ・ブラーバの両端での墓をめぐる、墓参りする人々の話。


地主作品を見に行ったのは、場合によってはパネル・ディスカッション「世界の中のボラーニョ」で触れてもいいかもしれないと思ったからだ。結局は触れなかったけれども、パネルディスカッション自体は昨日、無事に終わった。

2016年5月11日水曜日

ボラーニョをディスカスする

5月16日(月)18:00-

昨年も来日したチリの批評家ロドリゴ・ピントさんをお招きしてのイヴェント。ピントさんは短編「目玉のシルバ」の献辞に名の挙がっている人物。

ピントさんから問題提起として送られてきたペーパーの出発点になっているのが、この本:

Wilfrido H. Corral, Bolaño traducido: Nueva literatura mundial (Madrid: Escalera, 2011)
(『翻訳されたボラーニョ:新たな世界文学』)

世界文学としてのボラーニョとはどういうことだ? この本だけではよくわからんが、日本ではどう読まれているのだ? という設問。


僕は現在、『第三帝国』の校正作業中で、この話をいただいた時に、それが見越されたから、『第三帝国』について話すと伝えたせいか、『第三帝国』は日本ではどう読まれているのだ、との質問もいただいた。まだ読まれていないけど。でもまあ、これらの設問にしたがって、世界文学としてのボラーニョという概念、日本での受容のされ方、まだ読まれていない『第三帝国』がどう読まれる可能性があるか、という話をしてこようかと思う。

2016年5月4日水曜日

(トド)ポデローサと今日も行く

昨日、「トドポデローサ」と書いたのは、若きゲバラが南米大陸縦断に使ったバイクの名がそんなのだと思っていたからだが、実は、ポデローサだった。Poderosa 力のあるやつ(女性形なのはバイクmotoが女性名詞だから)。Todopoderosaだともっとすごい力になってしまう。万能だ。

まあいいや。そんな感じなのだ。そんな感じのバイク(自転車)で、今日も散歩に出かけた。小石川植物園だ。

ここは東大の付属施設だから関係者としてただにしてはくれまいか、せめて割引してはくれまいか、と交渉する気満々で行ったら、今日は入場料無料だと。

……みどりの日とはそういうことなのだ。

ここも大学時代、クラスメイトの女の子を誘って訪ねた記憶はあるのだが、……はて? どこまで進んでも記憶はよみがえらないな。

芭蕉なんて木はわが家の庭にもあったので、よくわかる。よみがえるのはもっと昔の、幼時の記憶だ。

ソテツだってあるし。

ヒマラヤスギには木登りするなと書いてあるし。だから木登りした幼時の記憶だけがよみがえるし。

メンデルのブドウ? なんのことだ?

ニュートンは本当にりんごが落ちるのを見て万有引力の法則を思いついたのか?

水晶宮と呼びたくなる温室。ここには立ち入り禁止なのが残念。

でも池の周りはかすかに記憶に語りかけてくるようだ。何だっけかな?……

植物園産ののど飴。本郷キャンパスでは520円のところ、植物園では500円で売っています。右は夏季限定。


東大の学生たちは、とりわけ農学部でない人たちは、自分たちのキャンパスにこんなのがあることを知っているのだろうか? これもまた自分たちのアルマ・マーテルなのだとの自覚があるのだろうか? 

2016年5月3日火曜日

僕のトドポデローサ……2……


僕のトドポデローサ。ただし、2号。

前のアパートの駐輪場が雨ざらしで、しかも当時はあまり乗らなかったので、すっかり錆びついてしまい、チェーンも切れそうな勢いだったので、思い切って買い換えたのだ。自転車。

連休といえども家でちまちまと書いたり訳したり校正したり読んだりするだけの生活なので、少しは行楽らしいことを。

といっても、家のすぐ近く、六義園。日々の散歩だと思ってくれ。せめてこんなことでもしなければやってられないのだ。

学生時代、クラスメイトの女の子を誘ってここに来たら、翌日、スペイン語作文の授業(たまに出た)で担当の頑固者で知られるある先生が「昨日は授業をサボって六義園にデートに行きました」なんて例文を出してやろうか、とニヤリと笑ったので、監視社会の恐怖に背筋が凍ったものだ。そんな思い出の庭園。

ツツジが見頃との触れ込みだったが、このところの高温のせいだろうか、だいぶしなびていた。

比較的見頃なものを。


そして、まだタケノコのような竹。あるいはもう立派な竹のようなタケノコ。

2016年5月2日月曜日

ゲラ露出趣味


さて……

ゲラが届いたのだ。住所の間違いがあったにもかかわらず、奇跡的に。

このところ、ゲラが届くとその写真をFacebookにアップして自らを追い込んでみたりしていたのだが、あまりFB上にあげてばかりも何なので、今回はここにあげてみた。

さて……

それで呆然としているのだ。現在、本文の最終ページは386ページ。わかってはいたが、〈ボラーニョ・コレクション〉の中で最長だ。都甲幸治さんによる「解説」と僕の「あとがき」を加えれば400ページくらいにはなろうか。

難物なので、だいぶ赤が入ることが見込まれるのだが……

だいぶ久しぶりに2666マグでコーヒーなど飲んでみた。『2666』の出版後行ったイベントのシリーズに出席した景品だ。これで仕事がはかどる……だろうか? 

Facebookには連休を謳歌する友人たちの行楽地や海外の写真が。


さて……