2012年9月27日木曜日

30年ぶり


熊本に来ている。

明日、熊本第一高校というところで、模擬授業みたいなものをやってくる。別に明日朝来ても充分間に合うのだが、そういう追い詰められた、忙しい、ばりばりに仕事してます、みたいなのが嫌いなぼくは、早く乗り込んで、今日は半日熊本城を歩いていた。

歩きながら、今度結婚するという教え子のことを考えたり、昨日引用したボラーニョの部分、最後の文章「彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった」というやつ。これは原文にはolímpicoという単語が使われていたのだったの、と考えたりした。「olímpicoな無知のために彼もその名を知らなかった」みたいな文章だ。

「オリンピック的な無知」とは何か? と悩む文章。

そんなボラーニョを、行きの飛行機の中で、珍しく半分くらいしか寝なかったので、少しは読んだのだが、それでも50ページがやっとだった。陣野俊史の提案のように100ページというのはオリンピック的だ。ツアーで取ったのでどんなホテルか知らなかったのだが、取ったホテルがけっこうないかがわしい場所……もとい、歓楽街にあって、こんな場所でボラーニョを読むなんざ、すてきだ。これから読む。ひたすら、読む。

あ、でもまだ〆切りの迫っている文章がいくつかあるのだった。

ぼくはばりばりに仕事してます、みたいなのが嫌いなのだ……

あ、ところで、豊崎由美さんが『TVブロス』にアイラの『わたしの物語』の書評を寄せてくださった。そのことを編集者の方に伺ったので、彼にはアイラに関してとっておきの話題をお伝えした。

それが何かというと……そのうち言います。


2666ページでなくてよかった


批評家の陣野俊史(『野生の探偵たち』の書評もしてくれた人だ)がツイッター上で書いていた。

長篇小説を読むときのコツは一日に読む量をあらかじめ決めておくことだと思うが、ボラーニョの『2666)の場合、一日100頁もけっこうきついが、100頁ずつ読んでも、一週間以上かかることになる。なんだか奇妙な旅をしている気分。

前段は実にためになるアドバイス。ページ数でなく、たとえば章数などでもいいだろうが、1日の分量を決めるのは、確かに、長編を読むコツだ。

で、ロベルト・ボラーニョ『2666』野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社、2012

をご恵贈いただいたので、熊本への出張のともに持って行きたいと思う。出張中には絶対に読み終えることはないだろうけど。

でもまあ、この前に読んでいたある小説に比べて、ボラーニョはぐいぐいと読み進んでしまう。読み進むのだが、3行も読むと、言いたいこと書きたいことがたくさん出てきて、読書を中断したくもなる。

読み進めるべきか、後々のことを考えてメモや文章作成を優先すべきか? これが次なる問題。

いや、実際、書き出しからして、面白いのだよ。ベンノ・フォン・アルチンボルディというドイツ人作家に魅せられた批評家・学者たちを紹介する第一部、最初に名が挙がるのがフランス人のジャン=クロード・ペルチエ。

彼の大学の独文科図書室には、アルチンボルディに関する文献はほとんど見当たらなかった。教師たちは、その人物について聞いたことすらなかった。教師の一人が、名前には聞き覚えがあるとペルチエに言った。十分もすると、その教師が名前を覚えていると思った人物はイタリアの画家だったことが判明し、ペルチエは怒り(驚き)を覚えたが、彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった。(13ページ)

な?

面白いだろ?

「彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった」だ。この一文が実に効果的で面白いのだと思うのだ。思うのだが、これを説明しようとすると、気が遠くなるのだ。

うーむ。読み進めるべきか、書き進めるべきか……

2012年9月16日日曜日

読んでから観るか、観てから読むか?


体が動かないので、映画でも観よう。

表題のフレーズは角川が映画に乗り出したときのキャッチコピーだっただろうか? そういえば、小学生のぼくは、観てもいないのに読む、と宣言して森村誠一『人間の証明』などを読んだりしたものだ。高校に入ってからポランスキーの『テス』を観て、当時配本中だった集英社の世界文学全集に入れられたトマス・ハーディ『ダーバビル家のテス』など読み、ペンギンのペーパーバックでも読み、三重に楽しんだのは、主演のナスターシャ・キンスキーに恋をしたから? 

ま、ともかく、順番なんざどちらでもいい。映画と原作小説は比べてみるところに面白みがある。

というわけで、ビセンテ・アランダ『クラブ・ロリータ』(スペイン、2007/DVDはタキ・コーポレーション、熱帯美術館)。

これはフアン・マルセー『ロリータ・クラブでラヴソング』稲本健二訳、現代企画室、2012の映画化作品だ。

映画化されたストーリーを言うと、こういうこと。双子の兄弟(エドワルド・ノリエガ)がいる。兄ラウルは荒くれ者の行き過ぎた刑事。ビーゴに勤務中に、ちょっとしたことで売春組織を牛耳るマフィア、トリスタン家の息子を負傷させ、父の恨みを買う。謹慎を食らってオレンセの実家に帰ると、知的障害を持つ弟バレンティンが、そのトリスタン家の経営する娼館ロリータズ・クラブの厨房兼雑用係として働き、そこの娼婦ミレーナ(フローラ・マルティネス)に入れあげていることを知る。怒ったラウルはバレンティンをそこから引き離そうとクラブに乗り込み、脅したりミレーナを買ったりする。が、バレンティンはラウルと間違えられ、トリスタン家の刺客に殺される。ラウルは以前、トリスタン家の手下だった者から手に入れた情報をもとに彼と交渉、あることを勝ち取るのだが……

娼館の名前は "Lolita's Club" この 's というのは英語法で、伝統的なスペイン語にはないはず。通常なら Club Lolita だろう。それを斟酌して映画は「クラブ・ロリータ」としている。さりとて「ロリータズ・クラブ」という言い方は日本語にも馴染まないので、小説の翻訳では「ロリータ・クラブ」なのだろう。

映画と小説の根本的な違いだな、と頷いたのは、まず、娼婦たちの訛りだ。一瞬にして彼女たちがコロンビアやキューバなどから買われてやって来たことがわかる。活字ではこうはいかない。たとえば単語の選択などで差異化することは可能だろう。cocheと言わずにcarroとかautoと言っている者がいれば、その者の出自を想像することはできる。が、それを翻訳に反映させるのはますます難しい。原文でもイントネーションや発音の特性などは、すぐには分からないのだ。ちなみに、映画にはcoach de diálogos というスタッフがクレジットされていた。「会話コーチ」だが、要するに日本のTV番組などでときどき見る「方言指導」みたいな立場だろう。

もうひとつたちどころに理解できるのは、双子の実家が訳あり家族だということ。父親ホセの妻オルガ(ベレン・ファブラ)が若すぎて、後妻だということがすぐに察せられる。小説も、最初からこの不穏さを示唆してはいるのだが、オルガの年まではわからないものだから、勘を働かせないことには見逃してしまいそうだ。

 濃い霧に包まれたビーゴを出て、運転している間に、携帯電話で父親の家へ電話した。
「バレンティンなの? あなたでしょ?」
「ラウルだけど?」電話に出た女の声に気が動転して、調子外れの声を出してしまったが、無言のまましばらくが過ぎた。一体どうしたんだ? しかし、父親と話している振りをした。「やあ、父さん。移動中なんだけど、夕方には家に着くと思う……」
 無言のまま。
  (略)
「で…… オルガは元気?」いや、奥さんと言うべきだったかな、と思った。(38-39ページ)

ちなみにこの翻訳、今年の2月に出版されたのだが、半年以上経って、実はぼくは書評することになったのだった。さて、ちゃんと読み返そう。

2012年9月14日金曜日

戦時の想像力?


砂川仁成作・演出によるプロパガンダステージの公演『獅子』@阿佐ヶ谷ザムザ。友人が客演しているのだ。

あれ? 劇場って、こんなにたくさん若い人が来るところだっけ? というのが第一印象で、何しろこのところぼくは劇場での客の平均年齢の高さに常に不安を感じていたからなのだけど、でもまあ、こんなに平均年齢が若いのはいいことに違いない。

ぼく自身がまだ20代だったころ、同じくらい若い人の多い小さな劇場で観た劇では、盛んに最終戦争後のディストピアを思わせる話が展開されていて、これが「核時代の想像力」というものなのだろうな、などと、まだその大江の本など読んでいなかったのに思ったものだ。

ところが今回は、戦争の話。たったひとつの事例をとてつもなく拡大解釈して考えれば、うーむ、どうやらぼくたちは今、戦時にあるらしい。とりわけ映画会社で助監督として働く進藤栄太郎(吉川元祥)を中心とした友人3人組が、それぞれに違う人生を歩き始めたと思ったら、それぞれに召集を受けて出征、満州、沖縄、硫黄島、と散り、それぞれの関係者も東京の大空襲に消え、広島で原爆を浴び……という話。映画の話だと聞いていたが、むしろ戦争の話というべきか。阿部寛みたいな声でエキゾチックな顔立ちの鎌田秀勝の存在感が水際立っていた。

主人公が大船の撮影所に勤めているという設定だったので、松竹だろうが、そしてそれは蒲田から大船に移ったばかりの撮影所なのだろうが、ここでスター女優を張る高井絹代を演じるのが藤堂さわこ。なんだ、こんな今どきの子って感じの女優でも、戦前戦中のスターになり切れるんじゃないか。やるな。あ、ちなみに、客演している友人(って、本当は学生なんだけど)というのは彼女のことではない。サイトがあったので、ご紹介。

ともかく、そんなわけで、ぼくたちは戦時下にある。どのように降伏して、どのように復興を図るか、それが問題なのだ。と考えるのは、ぼく自身が復興計画を練っているからだろうか?

2012年9月8日土曜日

どこからがフィクションか?


「院生の毒舌な妹bot」というのが面白い。botとはロボットの略で、自動的につぶやくツイッターの仕組みのことだ。自動的にどうすればこんな呟きができてくるのかは、ぼくにはわからない。

面白いのだが、ぼくの立場でこれをただ面白いと笑っていると嫌味になる。真面目な顔して同じこと言うと脅迫になる。うーむ、難しい。しかたがないから、こんなのでも読んでみよう。

今野浩『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』新潮社、2012

筒井康隆の『文学部唯野教授』のような小説を期待すると欺かれる。今野浩は筑波大、東工大、中央大などで教鞭を執ったオペレーションズ・リサーチ学の研究者。東大を出てスタンフォードで学位を取り、合衆国の大学でも教えたことのある自らを「ヒラノ教授」(立場によっては「助教授」など)という者に擬し、周囲の学生や同僚たちが起こしていった騒ぎを書いたもの。軽いごまかしからセクハラ、アカハラ、場合によっては(東工大時代の)同僚の自殺や(中央大での同僚の)殺人など、悲愴な事件までを、大学の事情を説明しながら記している。

大学の事情を説明しながら、というのが重要なところ。だから、トンデモ学者たちを笑うというものでもなければ、その非常識を糾弾しているわけでもない。漱石は『三四郎』を書いたのは、当時、一部のひとのものしかアクセスできなかった大学の生活というのを書く必要があったからだ、とは誰が言ったのだったっけ? ともかく、大学改革という名の上からの改悪の始まりの時代には先の筒井の小説のようなものが生まれ、そして、その帰結として「院生の毒舌な妹bot」が存在する時代にはこうしたものが必要なのだろう。

今野が明言していることで一番重要な(とぼくには思われる)ことは、少なくとも彼の学生時代の日本の大学は「学部一流、大学院二流」であったこと、そしてその逆がアメリカ合衆国の大学であったという判断だ。

でも、ところで、これ、小説ではないと書いたけれども、どう位置づければいいのだろう? 今野は「ヒラノ」に擬している。そこに語り手と中心人物との乖離が起きている。これは、フィクションとは言えないのだろうか? うーむ。

2012年9月3日月曜日

端倪すべからざる


先週末、9月1日には『早稲田文学』新人賞授賞式というのに招いていただいたので、行ってきた。新人賞が発表される同じ雑誌に「十二人の優しい翻訳家たち」という座談会があって、それに参加した縁で。

座談会も楽しかったのだが、新人賞の受賞者、黒田夏子さんの「abさんご」という小説がなかなか面白い。そして選考委員の蓮實重彦が、文学作品に敬意を表する手段は引用することだと思う、と言って、書き出しの数行を暗誦してみせたことにも唸ってしまった。だってその数行というのは、

 aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが、きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから、aにもbにもついにはむえんだった。その、まよわれることのなかった道の枝を、半せいきしてゆめの中で示されなおした者は、見あげたことのなかったてんじょう、ふんだことのなかったゆか、出あわせなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして、すこしあせり、それからとてもくつろいだ。

というものなのだ。かっこいいのだ。

ぼくは最近、『ドン・キホーテ』の書き出しとアラルコン『醜聞』の書き出しを並べて、少し解説するという文章を書いたのだけど、そんな文章が揺らいでしまいそうなくらい、衝撃的な書き出しだ。端倪すべからざる、というのはこういうことだろうか? 

日曜日は、別の原稿の関係で、何本か映画を観ていた。アレックス・デ・ラ・イグレシア『マカロニ・ウェスタン 200発の銃弾』(スペイン、2002)とか……