野々山真輝帆編『ラテンアメリカ傑作短編集:中南米スペイン語圏文学史を辿る』(彩流社、2014)
は副題に「文学史を辿る」と言っているのだから、極めて歴史的な短編を集めたアンソロジーだ。劈頭には
エステバン・エチェベリーア「屠場」相良勝訳(5-31ページ)
を置く。1830年代、フアン・マヌエル・デ・ロサスの治下、四旬節のころの屠場の様子と、続く中央集権派の若者への拷問を扱ったもの。
を置く。1830年代、フアン・マヌエル・デ・ロサスの治下、四旬節のころの屠場の様子と、続く中央集権派の若者への拷問を扱ったもの。
アルゼンチンは独立後、中央集権派と連邦派の内紛が続いた。ロサスは連邦派。これがまた稀代の独裁者ともされるので、エチェベリーアのこの短編は、ラテンアメリカの最初の短編とも、最初のロマン主義の発露ともされると同時に、最初の独裁者小説ともみなされることがある。
ロサス自身は出て来ないけれども、肉の塩漬け業者から大統領まで上り詰めたこの人物を支持するのが屠畜業者であり教会であるという図式が鮮明だ。自由主義者とも同定される中央集権派に「野蛮人」の語を投げかけながら野蛮な仕打ちをする畜殺人たちの残酷さが印象的だ。
そうした19世紀アルゼンチン特殊事情も、貧困層が腹いせのために為政者の尻馬に乗って憂さ晴らしをしている現在のどこかの国ではアレゴリー的に読まれてしまうかもしれない。が、今はそんな深読みは措いておこう。屠場における(カーニヴァル的? 「カーニヴァルと四旬節の戦い」的?)騒擾に、鮮やかに暴力のモチーフが重なるのが、次の段落。
そして実際、叫び声と、とりわけ尻尾を小突く二本の尖った牛追い棒とに追い回された牛は、投げ縄の緩むのを感じるや鼻息を荒らげ、左右にその赤く燃えたぎる視線を放ちながら門に向かって突進した。馬に乗った男がぐいと引っ張って角から縄を外すと、空中に耳障りなきしんだ不快な音が起こり、同時に囲い場の二股の支柱の上から子どもの頭が、まるで斧の一撃で首根っこからすっぱりと切り離されたように転がり落ちるのが見えた。胴体は木に跨がったまま残り、血管からは血しぶきが高々と吹き上がった。
「縄が切れた。そっちに牛が行くぞ」と何人かが叫んだ。(20ページ)
ひゃー!
思わず首をすくめてしまった。「耳障りなきしんだ不快な」音だぜ。形容詞の三連発だ。不快だろう? そして首が刎ねられる。
ひゃー!