2025年11月9日日曜日

じかに訴えるか、囲い込むか

 最近買ったもの。

JVC のヘッドフォン HA-SW02。

弦楽器好きの僕は、だいぶ前から JVC のウッドコーンのスピーカーを使っている。イヤフォンも同じメーカーの同じシリーズを使っている。が、イヤフォンよりもヘッドフォンのほうがいいぞ、と言われることも多く、そうなのだろうか、と気になっていたところ。で、だいぶ安くなったので、これを買ってみたという次第。

Amazon のレビューではエイジングが必要だと書いていた人もいたが、特にそうしなくとも、最初から充分にいい音ではある。イヤフォンと比べて格段にいいというほどではないと思う。でもまあ、いいことには間違いない。イヤフォンに対して否定的な人は、つまり耳に直接音の振動を伝えるので耳が疲れると主張する。そうには違いないのでが、ヘッドフォンはヘッドフォンで、外側から耳を包むので、周辺部が圧迫されるような気もする。僕の耳がパッドに比して大きいだけなのかもしれない。いずれにせよ、一日中つけているわけにはいかないようだ。

こうして FiiO BTR17 にさして使う。

もうひとつは、これ。

Voigtländer ULTRON 27mm f2 マニュアル・フォーカス・レンズだ。

長年愛用してきたFujijilm X-E4 を X-E5 に乗り換えた。前者がだいぶ値上がりしているおかげで、下取りに出したら半額ほどで後者が買えた。

で、ちょっと前から 7 Artisans とか TT Artisan といった中国製の1-2万の安いマニュアル・フォーカスのレンズをためしに買って使っていた。もともと長年 Olympus OM 10 とマニュアル・フォーカスの50mmのレンズを使っていた。だからマニュアルには抵抗はないのだが、とりわけX-E5 と組み合わせるとマニュアル・レンズが楽しく感じるようになった。そこで、評判のいいこのフォクトレンダーのレンズを手に入れてみたのだ。

こんな感じで、これまで常備していた XF 27mm f2.8 と同じくらいのコンパクトさで、ぴったりだ。
こんな感じの写真が撮れる。

2025年11月7日金曜日

砧へ行こう

利根山光人展@世田谷美術館 「自然と魂 利根山光人の旅――異文化にみた畏敬と創造」


利根山は以前(今年の2月から5月まで)埼玉県立近代美術館でやっていた「メキシコへのまなざし」展でも取り上げられていた人物のひとり。遺跡の拓本などが異彩を放っていた。今回、世田谷美術館が、それを引き受けるように利根山ひとりの展覧会を開いたという形か? メキシコに行って憧れのシケイロスにも会えたとのことだが、今回出展されている初期の作品などを見ると、そもそものはじめからシケイロスであったことがわかる。拓本のみならず、いろいろなものをメキシコで収集してきたらしく、いろいろ楽しいものが展示されていた。




(最初のルームは撮影可能とのことだったので、撮影した太陽とキリン)


利根山はダム建設現場や鉱山なんかで働いたりもしている。各地の祭りなども表現。抽象に振り切ることなく、晩年はドン・キホーテのモチーフに取り憑かれていた。


11月9日までなので、ぎりぎりの訪問であった。


ちなみに、僕は美術館はわりと素早く見て回るタイプだ。部屋をざっと眺めわたし、その中から気になった作品を気になった箇所を中心に見、さらに興味がわけば図録などを買って楽しむ。



2025年11月2日日曜日

ギターを聴こう

実は先週の土曜日にはわが家の比較的近所でレオナルド・ブラーボ(日本在住のアルゼンチン人ギタリスト)を聴きに行ったのだが、今日も、ギター。


大萩康司デビュー25thコンサート「原点回帰」レオ・ブローウェル室内楽曲集@東京文化会館小ホール。


同年代より下のアーティストなどをその活動のごく初期から認識していると、ついついこの人は俺が育てた、みたいなことを言いたくなるのが年寄りの悪い癖。そんな癖を発揮したくなるひとり、大萩康司ももう25年になるのか、しかもブローウェルをやるのか、これは聴きに行かねば、と思った次第。

 

定番中の定番「11月のある日」(これの前半部を下手なりに練習する、その自分の音に慣れてしまった今、大萩の演奏の美しさに目が覚める思いである)に始まり、松尾俊介(コンセルヴァトワールの同期生らしい)とのデュオで2曲。「トリプティコ」(3部曲)と「ミクロピェサス」(5曲=ピェサス=)、そしてメゾソプラノの波多野睦美を迎えての「愛の歌曲集」。歌曲は3曲だが、最後はガルシア=ロルカの詩のようだ。ブローウェルが歌のある曲を書いているのは知らなかった。初。波多野の透きとおるメゾソプラノの声が素晴らしかった。


休憩後、ふたたびソロで「鐘のなるキューバの風景」。いかにもブローウェルらしいミニマリズムと日常の音の擬声に満ちた曲。そして「クインテット(ギターと弦楽四重奏のために)」。これも初。大萩が高校生の頃、沖縄で村治佳織が演奏するのを聴いて興奮し、村治にきいてすぐに楽譜を手に入れた曲だそうだ。ヴァイオリンの瀬崎明日香、加藤えりな、ヴィオラの田原綾子、チェロの上森祥平とともに。特に2楽章でのヴィオラが存在感を放っていた。ブローウェルというと、指の横腹で6本の弦すべてをバーンと叩くフレーズが印象に残るのだが(たぶん、映画『低開発の記憶』の音楽に由来する)、ヴァイオリンも弓で弦を叩いたりしていた。楽しい曲だ。

 

アンコールはエリセオ・グレネ/ブローウェルの「キューバの子守歌(ペルスーズ)」、そして最後にふたたびの「11月のある日」。違うギターで弾くと違って聞こえるのである。



さばの味噌煮を頼んだら、思いがけず半身まるごとの味噌煮であった。


2025年11月1日土曜日

『サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー』なんて邦題、本当にやめて欲しい

アントニオ・メンデス・エスパルサ『サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー』スペイン、2023@シネマ・カリテ

 

フアン・ホセ・ミリャスの『誰も寝てはならぬ』Que nadie duerma ( 2018 ) の映画化作品。映画原題も同じ。ならばなぜこんなタイトルになるのか? それは映画内演劇のタイトルAlgo va a pasar に由来するわけだが、それにしても『何かが起こる』ではなぜだめなのか? 映画館の案内の女性はこのタイトル、発音するのに苦労していたぞ。こんなタイトル、本当にやめていただきたい。せめて語呂の面から言っても英題の音表記で許されるのは(冠詞を除く)2語の句だけだろう。パンフレットでも公式サイトでもロクに俳優の紹介もしない(パンフレットではふたりの女優だけが紹介されている。インタヴューで監督が何度も原作に触れているのに、原作者ミリャスの紹介すらしない)配給会社のこの作品への愛が疑われるところ。


映画の内容自体は、いかにもミリャスの原作の雰囲気を再現し、面白いものだ。20年来勤めたIT会社の社長が横領して逃亡、失業したルシーア(マレーナ・アルテリオ)は、タクシーの運転手になる。それ以前、アパートの通風口から聞こえてくる(この辺がいかにもミリャス的だ)『トゥーランドット』に魅了され、音を辿って上の階の男性の部屋に行く。男(ロドリーゴ・ポイソン)は俳優で、オペラにちなんでカラフと名乗った。ルシーアは彼と恋に落ちそうになる。が、その矢先、カラフはいなくなる。彼は実はブラウリオという名だった。ルシーアは声楽の個人レッスンに通うほどに「誰も寝てはならぬ」が気に入ったようだ。


タクシー・ドライバーとして最初に乗せた客ロベルタ(アイターナ・サンチェス=ヒホン)は演劇プロデューサーで、ルシーアは彼女と仲よくなり、色々と相談したりする。


一方で、ある晩、酔っぱらったかつての会社の社長エレーロス(マリアーノ・ヨレンテ)を乗せたルシーアは彼が寝入ってしまったので高架下に放置、不払いの給料代わりに金品も奪う。エレーロスは翌日、屍体として発見される。人を殺したかもしれないという恐怖もミリャス的と言えそうだ。


また、作家のリカルド(ホセ・ルイス・トリーホ)とも関係を持つに至るが、……(ここから先は、ここでは明かさないようにしよう)


実はミリャスの原作は未読なのだが、カタストロフの不気味さも、ミリャス的ではある。


写真(意図してピントをぼかしている)は東京国際映画祭の会場・日比谷。今日はここで観たわけではない。ましてや屋外ではない。