2022年3月29日火曜日

アピチャッポンに誘発されて

もうだいぶ前のことになるが、前回、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『メモリア』のことを書いた(リンク)。


このアピチャッポンの別のフィルムに魅せられて(かつフーゴー・アードルフ・ベルナツィーク『黄色い葉の妖精』を読み)タイに向かったのが金子遊。そこで言語学者の伊藤雄馬と出会い実現した映画が『森のムラブリ――インドシナ最後の狩猟民』(幻視社、2019)@シアター・イメージフォーラム。


伊藤雄馬はタイとラオスに住む少数民族ムラブリの言語ムラブリ語を調査している言語学者。一方で三つのグループに分かれてしまったムラブリを再会させたいという願いも抱いている。彼らの話では分離してしまった他のグループは身体に刺青を入れ、人を殺し、食うような残忍な連中だとのこと(これはもちろん、典型的な他者恐怖の言説)。


三つのグループのうち二つはタイの村に定住している。伊藤は(少なくもこの映画では)当初、そのひとつに留まって調査していたようである。彼の言語学的な調査に介入するように、ドキュメンタリー映画監督兼映像人類学者としての金子はムラブリの人たちに森での生活を再現するようにお願いする。すると彼らは竹を削って金具を先につけたシャベルのようなもので根菜を掘ってみせる。ふんどし一丁の格好(「森の生活」のころの出で立ちか?)で土を掘る者と、普通にTシャツなどを着てそれを見守る者、および伊藤がひとつのフレームの中に収まる。竹で枠組みをつくってバナナの葉をかけた仮住まいで火をおこして採った根菜を食べる人物の隣に実に親しげに肩を寄せるように座って別のムラブリの人々に会いたいかと訊ねる伊藤はなんだかとてもカジュアルだ。


彼のそんな気負いのない感じはこの記録にとても良い味を出しているような気がする。彼は実際、ラオスの側に住む、いまだに定住しないムラブリの人々に会いに行くのだが、近くの村にたまたま降りてきたムラブリのひとりカムノイと出会うところなど、あっけなくて演出を疑いたくなるほどだ。しかし、実はこれを手がかりに伊藤と金子が踏み込む彼らの野営地フアイハーンとそこでの彼らの生活は、こうしてカメラに収められ公開されるのは初めてのことだそうで、つまりとても貴重な記録なのだ。が、あくまでもその貴重な記録でくだんのカムノイとその妻リーが離婚するだのしないだのと喧嘩したりしているのだから、やはり微笑ましい。観る側の思い込みがここでもはぐらかされて快い。


本当は歴史的に分離してしまったエスニック・グループを再会させることは政治的行為でもあるだろう。繊細で緊張を孕むものだ。そして繊細で緊張を孕む瞬間というのは、繊細すぎてそうは見えないものである。クライマックスのタイ国内のムラブリの二つのグループの出会いはそんな感じであった。


言うまでもなく、言語学は(その一部は)文化人類学に隣接している。言語(文化)を記述する営みだからだ。バルガス=リョサの『緑の家』と『密林の語り部』、それに『パンタレオン大尉と女たち』を産み出したのは、文化人類学者フアン・コマスについていった研究旅行であり、それは夏期言語学研究所の主宰する研究なのだった。映像人類学者とそのカメラ、それに言語学者の組み合わせは最強だ。



ところで、320日には元同僚の岩崎稔さんの最終講義だった。久しぶりに行った多磨駅はこんな風になっていた。

2022年3月10日木曜日

語りやら話やら音やら

清水透(著訳)『コーラを聖なる水に変えた人々』(現代企画室、1984は僕が上京して買った240冊目の本だ(当時の習慣に従って裏扉にはナンバーがふってある。841210日刊行のこの本を僕は翌85121日に購入し8日後の29日に読了している。それも同じく当時の習慣で、裏扉に記載してある)。その月のうちに当時のサークルの機関誌(手書きガリ版刷り)に書評を書いている。


2部構成のこの本の第一部はリカルド・ポサス『フアン・ペレス・ホローテ』の訳だ。だから「清水透(著訳)」と書いたけれども、正確には著者名は「リカルド・ポサス/清水透」と併記されている。『フアン・ペレス・ホローテ』はマヤ系の先住民に取材したポサスがメキシコ革命に巻き込まれた彼の半生を自身の語りのような体裁で記述した民族誌の古典。


このフアンの息子ロレンソに話を聞き、それを文章化したのが第二部「コーラを聖なる水に変えた人々」。ロレンソはフアンの死からはじめて自らの人生、変わりゆく村のことなどを語っている。「フアン・ペレス・ホローテ」の続編が日本語で書かれたということなのだ。


その続編が最近、スペイン語での出版計画が進んでおり、最初の2章が既に雑誌に掲載された(リンク)。残りも連載し、ゆくゆく単行本化する予定だという。


このテクストの基となったロレンソの語りを直に聞き、清水先生から製作過程についての話を伺おうという集まりに行ってきた。37日(月)のこと。慶應大学の様々な学部に所属するラテンアメリカニストたちが行っている研究会の一環で、僕がこの一連のペレス家の物語およびそれを書いた清水著書に興味を抱いていることを知った友人が呼んでくれたもの。


どこまで忠実に言ったままを表記するべきか、などといった点について丁々発止のやりとりがなされて楽しかったのだ。



メキシコ産アボカドを使ったフレッシュネスバーガーのアボカド・フェア。


8日は「斎藤文子先生を送る会」@東大駒場キャンパス


同僚というか、キャンパスは異なるけれども東大の総合文化研究科の斎藤文子先生が今年で定年退職。最終講義、というほど大袈裟なものではなく、教え子たちと同僚たちのささやかな集まりで、ということで、行われた催し。


斎藤さんは自身のセルバンテスとの出会いを語り、『模範小説集』に見られる少数者への眼差しを語り、その後、教え子たちが近況報告と挨拶をしたのだった。


今日、10日は映画を観たぞ。


アピチャッポン・ウィーラセタクン『Memoria メモリア』ティルダ・スウィントン他(コロンビア、タイ、イギリス、メキシコ、フランス、ドイツ、カタール、2021


メデジンで蘭を栽培しているジェシカ(スウィントン)が入院中の妹カレン(アグネス・ブレッケ)を見舞いにボゴタにやって来た晩、大砲の発砲音のような大きな音に目覚め、眠れなくなる。妹の夫フアン(ダニエル・ヒメネス=カチョ)に紹介された彼の教え子だとかいう音響技師エルナン(フアン・パブロ・ウレーゴ)に頼んで、その音を再現してもらう。


と、ここまでは音をめぐるエピソードの積み重ね(タイヤのパンク音、雨、カフェの隣の席の会話、等々)による日常に思えるのだが、ある日、ジェシカが仕事場に訪ねていくとエルナンなんて人物はいないし知らないと言われるあたりから話に異なる次元が貫入してくる。


ピハオと思われる田舎町で診察を受け、薬を出してもらったジェシカは、せせらぎに導かれ、もうひとりのエルナン(エルキン・ディーアス)に出会う。彼は石に刻まれた音を通じて、この石に腰かけていた男に降りかかった事件を語り、「我々の種族は夢なんか見ないんだNuestra especie nunca sueña」などと言って半目を開けて眠ったりする。このエルナンは苗字も一緒だし、どうもあの音響技師のエルナンと同一人物のようでもある。さすがは元オルランド(オーランドー)のジェシカ/ティルダは時間を旅し、そしてついには空間(スペース)をも旅する記憶を回復するのだった。


うーむ。なるほど、道理で車たちの防犯ブザーが共鳴して鳴くはずだ。


2022年3月6日日曜日

奄美空港売店には今回ミキが売ってなかった

老母がまた入院ということになり、急遽、手続きに向かったのが228日。蔓延防止対策期間でもあり、島外からやってきた僕は病人(つまり母)には会えなかったのだが、ともかく、手続きは済ませてきた。



翌日、31日からはしばらく閉館していた鹿児島県立奄美図書館が再開したので、そこで少し時間を潰し(この図書館は左右を奄美高校と奄美小学校にはさまれているのだが)、昼はここ



僕が子供のころからある瀬里奈で



ナポリタンを食べてきた。見舞いにも行けないので、その後、飛行機に乗って帰宅した。いつも買うミキが空港待合室内の売店には今回は置いていなかった。残念。


瀬里奈はここ:


通称アーケード街にあるのだが、日本中に数多くあるアーケード街は、もちろん、パリのパサージュを手本にしている。


で、そのパサージュの名を冠する共同書店(リンク)に、僕も参加しているのだ(そのことは以前、開店前に、ご報告済み)。自分の著書や訳書、重複して買ってしまった本などを置いている。昨日(5日)2冊売れたとの報告が入ったのだ。嬉しい。