2016年7月28日木曜日

エマ・ワトソンは大人なのだ

フロリアン・ガレンベルガー『コロニア』(ドイツ、2015)

試写会で観てきた。コロニア・ディグニダーというチリに実在したドイツ人コロニーを舞台にしたフィクション。このコロニーはコロニア・レナセルとしてボラーニョが『アメリカ大陸のナチ文学』に記した同様のコロニーのモデルだと思われる。幼児の性的虐待やピノチェト時代(そしてそれ以前から)の拷問の場所としても知られる。

アジェンデ政権に連帯してチリに滞在していたダニエル(ダニエル・ブリュール)がクーデタによって監禁され、このコロニアで拷問を受ける。ルフトハンザのCAとしてちょうどチリに来ていた恋人のレナ(エマ・ワトソン)は帰りのフライトをキャンセルし、自らこのコロニアへの入所を志願して恋人を助けようとする。

リアリティとしてみれば、脱出劇の最後の最後のサスペンスは、さすがにそこまではあるまいと思う。また、その状況での脱出は不可能とは思われる。でもまあ、これも追っ手の恐怖の隠喩なのであり、映画のサスペンスを高める手法なのだから、僕たちはそういうものとして手に汗握って観る。

幼児虐待や性的虐待をあからさまに描いていないところは品を保っていると言うべきなのか? つまりは、サスペンス、なのだ。

クレジットを観ていたら、『チリの闘い』からの引用があると書いてあった。気づかなかったな。


そして僕は『ハリー・ポッター』を観ずに生きてきたので、エマ・ワトソンをよく知らず、幼子のイメージだけがあったのだが、大人だった。僕の抱くイメージなど、どうでもいいことだが。