ヘルマン・クラル監督・脚本・製作『ラスト・タンゴ』(ドイツ、アルゼンチン、2015)
フアン・カルロス・コペスとマリア・ニエベスの「タンゴ・アルヘンティーノ」のコンビの出会いから解散までを本人たちへのインタビューと記録フィルム、それに若い世代の踊り手たちによる再現ドラマ風の舞踊で再構成したもの。山形国際ドキュメンタリー映画祭などにも出品された作品らしいが、インタビュアーが再現ドラマを演じる若い踊り手たちであることによって、疑似ドキュメンタリーのフィクションの様相を呈している。ドキュメンタリーとして観ることはないと思う。フィクションだ。ドラマだ。
アトランタという名のミロンガで出会ったニエベスとコペスのふたりが、踊りのパートナーとしても人生のパートナーとしても仲良くなり始めのころ、『雨に唄えば』を観に行ったと回想するシーンで、アジェレン・アルバレス・ミニョとフアン・マリシアの若いダンサーふたりが、鉄橋の屋根に守られて『雨に唄えば』のシーンを彷彿とさせる踊りを(しかし、タンゴで)踊る場面はすてきだ。アルバレス・ミニョはまだ学生だそうだけれども、魅力的だ。
帰りの電車で読み終えたのが:
ハビエル・マリアス『執着』(白川貴子訳、東京創元社、2016)
以前訳された『白い心臓』がマリーアス(僕はこう表記しよう)の代表作とされていたのだが、2011年刊のこの作品でそれが刷新された観のある、それだけインパクトの大きな作品だ。
語り手=主人公のマリアは、出勤前のカフェで毎日のように見かけて気になっていた夫婦のうち、夫ミゲル・デベルネが惨殺されたことを知り、妻ルイサに話しかけて知己を得る。夫の親友だというハビエル・ディアス・バレラとも知り合い、関係を持つようになるが、ディアス・バレラは親友の妻ルイサに夢中のようだ。
ある晩、ことを終えてディアス・バレラの部屋のベッドに寝ていたマリアは、訪問者との話を盗み聞きし、ディアス・バレラが人を使ってミゲルを殺させたらしいという疑いを抱く……
そしてその事の真相をディアス・バレラがマリアに語って態度決定を迫り、後日譚が語られて、という、それだけの比較的シンプルなストーリーなのだが、とにかくマリーアスの小説は登場人物たちの一つの言葉、一つの行動に対する思弁の展開が豊かで、これで330ページばかりの小説になるのだ。
おふざけのない、深刻なセサル・アイラ、と今だったら言いたくなる。ただし、デュマの『三銃士』、バルザックの中篇『社ベール大佐』、そしてシェイクスピアの『マクベス』が引用され、下敷きにされ、ストーリーにスパイスを与えている。
いくつかあるキー・センテンスのうち、とりわけ、『マクベス』の「死ぬのはもっと先でもよかった」が、種明かしの段で効いてくる。
でもところで、ミゲルとルイサの夫妻にミゲルの親友ディアス・バレラという組み合わせにはménage à trois のモチーフがあると言いたい。男と女、合計三人の微妙な関係。幸せなカップルと、それを見守る独り身の男。実はそのカップルの片方に思いを寄せ、そのために(たぶん)独り身でいる男。僕自身の役回り……