2013年12月21日土曜日

吸血鬼たちは時間を乗り越え、熱帯を征服できるか? 


なんだこのタイトルは? と思うが、考えてみたら、ジャームッシュの映画はすべて、こうしたカタカナ表記のものばかりなのだった。ひょっとしたら、ジャームッシュこそ(というか、彼を最初に見出したフランス映画社だろうけど)が日本における英語カタカナ語読みタイトルの元祖なのかもしれない。

まあいい。ジャームッシュが紡ぐ吸血鬼物語だ。そりゃあ、関節外しの名人、ジャームッシュのこと、ハリウッドの吸血鬼ものに見られるホモセクシュアルな欲望(と竹村和子が分析していた)など端から笑い飛ばすような設定だ。

今やゴーストタウンと化したデトロイト郊外で暮らすアダム(トム・ヒドルストン)とタンジール在住のイヴ(ティルダ・スウィントン)の吸血鬼夫婦が、妹エヴァ(ミア・ワシコウスカ)の夢に導かれてデトロイトで再会、そこにそのおてんばエヴァが現れ、生活をずたずたするものだから、2人はタンジールに逃げ……というストーリー。

『デッドマン』でウィリアム・ブレイクを19世紀に蘇らせたジャームッシュが、今度はクリストファー・マーロウを21世紀に蘇らせ(イヴの吸血鬼仲間だ。ジョン・ハートが演じる)、マーク・トウェインやシェークスピアすらも実はマーロウだったのか? と思わせるような絢爛なリファレンスで笑わせる(いや、ぼくもわからないものが多かったのだけど……)。かつてシューマンに楽曲を提供したこともある音楽家アダムは今ではアンダーグラウンドのミュージシャンなのだが、自宅に揃える名楽器の数々(ギブソンLG-2の1905年製とか)の蘊蓄に唸る(いや、全部実在のものかどうかは知らないけどさ……)。

前半の見せ場の一つは、アダム、イヴ、マーロウら、吸血鬼が血を飲んだ直後の恍惚の表情。性的恍惚ではない。薬物のもたらすような恍惚だ。なんだか面白い。あるいは飛行機内で近くの客が出血したのを見て欲望を抑えるのに必死なスウィントンの表情も素晴らしい。つまりは演技も見ものだ。

跳ねっ返りの妹、熱帯で見出す新たな感覚、といったトピックに乗るように見せながら、微妙にそこから外れている。そもそも、吸血鬼ものをホモセクシュアルものにせずに、タイムスリップ物語にした、というのがこの映画の大枠のストーリーなのだから。


ところで、あのデトロイト郊外のゴーストタウン化はどれだけ現実に対応しているのだろうか? 相当ひどいとは聞くけれども……


それから、言語面についても一言。吸血鬼たちはイギリス経由の生き物だから(だから、ロンドン経由の飛行機はいやだ、と言ったりするわけだが)、悪態をつくのにbloodyという形容詞をよく使うわけだ。あ、ヒドルストンもスウィントンもイギリス人だし。彼らが、つまり吸血鬼が "This is the bloody 21st century" なんて言う、それだけで笑いたくなるのだが、LA在住というエヴァが会話に加わってくると、例の fuckin'" なんて語が出てくるからもっとおかしくなるのだ。 "What fuckin' are you doing?" などと言い出す。笑っちゃうなあ。アメリカ合衆国の映画が fuckin' だらけなことに逆に気づくことになるのだよ。