2013年12月4日水曜日

母の記憶を語り継ぐ

与えられたガイドブックとラジオ受信機を持って東京芸術劇場地下、2つの小劇場前にあるホワイエに降りて行く。フェスティバル・トーキョーの演目? のひとつ「東京ヘテロトピア」へは、そのように参加するのだ。ガイドブックとラジオを受け取り、指定された場所に行き、指定された周波数に合わせてラジオを聴く。僕が最初に行ったのは、受付からすぐにエスカレーターに乗るだけで行けるその場所。東京芸術劇場のホワイエ。

ガイドブックの図ではそこが築地小劇場の客席に見立てられている。FMラジオの発信装置の図の位置は、奇遇にも僕が好んで座りそうな席だ。ラジオを指定の周波数に合わせてイヤフォンをセットすると、小野正嗣の書いた文章の朗読が聞こえる。築地小劇場にかかわった人々と知り合いであったという「私の母」の記憶を語り継ぐ文章だ。もちろん、その「私」が小野さん本人であるはずはない。年齢が合わない。フィクションなのだ。母の記憶を語り継ぐその語りと、劇場のホワイエであるはずのその場所を客席と見なすという見立てに導かれて、想像力は過去へと飛躍する。

築地小劇場の舞台に立った者もいる。名瀬は今、文芸ルネサンス、文化ルネサンスを迎えているんだ。劇団もあれば、ボーイズみたいな演芸グループも屋仁川界隈を流して廻っている。そう言われたから、内地に……ヤマトに……東京に行ってまた演劇に邁進したいとの思いを断ち切り、伊集田實は名瀬にやって来たのだ。2・2宣言によって北緯30度以南、奄美群島は沖縄ともども日本ではないとされ、南西諸島北部軍政府治下にあり、現実には上京が難しかったという事情もあろうが、ともかく、名瀬でも一旗揚げられるのではないか、と考えたのだ。

伊集田自身は築地小劇場とは関係ない。むしろ前進座で修行を積んだ身だった。が、築地小劇場といえば、小山内薫が発足した日本の新劇の出発点だ。そこの舞台に出た者なら相当の役者に違いない。行って拝顔の栄に浴し、ともに素晴らしい劇を作ろうではないか。名瀬に文化ルネサンスの旋風が吹き荒れているというのなら、流れに棹さすのもいいかもしれない。

実際に行ってみると、築地小劇場上がりとは名ばかり、幼稚園のお遊戯会に毛が生えた程度の劇しかやっていない、というのが伊集田の印象だ。これは一杯食わされたと、その情報をもたらした者を恨みもした。が、そこは絶大な信頼を寄せる郷里・徳之島は伊仙町の先輩。なに、君自身がルネサンスを起こせばいいのだと豪放磊落に笑われ、それもそうだと思い直し、劇団〈熱風座〉を旗揚げして、名瀬の演劇活動の中心人物となっていくのだった。

伊集田實にこのように「一杯食わ」せたのが泉芳朗。当時は大島支庁の視学を務めていた。後に野に下って雑誌『自由』を主宰、論陣を張った。さらには名瀬市長にもなって奄美群島本土復帰運動の中心人物となる詩人だ。彼こそが戦後名瀬の、奄美の文芸ルネサンスそのものだった、そういう人だ。

泉芳朗は一時期東京にいて、高村光太郎らとも交わり、詩人として活動していた。こんな詩も詠んでいる。

朝のぷらっとふおむは/人間の波打際だ
中仙道へ向かって突っ走る此の電車は
大てい貧乏な人々を満載してゐる
ごむ職人 火薬工 道路工夫 水夫——
禁煙も何もかも人の世の掟ぼろ靴で蹴飛ばし
車内は感情の裸だけだ

「中仙道へと向かって突っ走る」のはどの電車だろうか? 板橋に住んでいたというから、あるいはこれは池袋を出発する電車だったかもしれない。この場所は「人間の波打ち際」から少し沖に出た場所なのかもしれない。


僕の母は泉芳朗の名をよくつぶやいていた。彼の復帰を求めてのハンスト、人々は断食祈願と呼んだそのハンストに同調したのだとかしないのだとか、社会党入党は苦肉の決断だ、とか……子供の僕はよくわからないままに彼女の話に出てくる泉芳朗というその名だけを憶えていたのだ。

同じく母がよく語っていたのが、唄者・南政五郎のことだ。いつだったか名瀬まで政五郎の唄を聴きに行ったのだと……

南政五郎は伊集田實の『犬田布騒動記』初演のとき、幕間に出てきて「俊良主節(しゅんじょうしゅぶし)」などを歌っている。母が政五郎の唄を聴いたというのは、このときだろうか? つまり母は幕末、徳之島の犬田布で起きた砂糖一揆についてのこの劇を観たのだろうか? 名瀬文化劇場の片隅で?

伊集田實がその代表作を発表した名瀬文化劇場と、中学生の僕が初めて映画を観に行った映画館・名瀬文化劇場が同じものなのかどうかはわからない。隣に主にポルノ専門の小さな名瀬ロマン劇場を併設した名瀬文化劇場。『ジョーイ』、『スター・ウォーズ』、『マッド・マックス』、……あと、何を観たのだったか? 今はもうパチンコ屋か何かに変わってしまった名瀬文化劇場は、あの名瀬文化劇場なのだろうか? 

小野正嗣のテクストは佐野碩の話へと移っていく。そこでは触れられていないけれども、佐野碩は亡命先のロシアからメキシコへと渡り、コロンビアに行き……

僕はUNAM(メキシコ国立自治大学)の劇場へと移動する……

……という体験だ。「東京ヘテロトピア」とは。

ちなみに会場のひとつは本郷郵便局のすぐ裏で、つまりは仕事先からすぐの場所なので、昨日の空き時間に行ってきた。テクストは温又柔。それがまたいろいろと思わせる場所とテクストで……


12月8日までやっている。いつでも参加できる。