怒濤の忘年会シーズンの幕開けナイトの昨夜は、教授会の懇親会に出た。思ったより酔って帰った。もう寝ようと思ったのだが、その前に、とTVのニュースを見た。〈報道ステーション〉だ。10時台だったので。安倍晋三が猪瀬直樹の辞任についてコメントしていた。ぼそぼそと不明瞭な言葉で、まず「政治家には説明責任がある」と言った。このシンプルな命題すら言いよどみながらだったのだが、それでもどうにかそう言った。次がいけない。「そういう中において決断されたのだろう」と。
なんだ「そういう中において」とは? 「そういう中で」ですら曖昧な表現なのに、トートロジックに「において」まで。いったいこの語法は何だ? 腹が立ったので、酔いにまかせてツイッターにそう書いてしまった。恥ずかしながら、TVに連動してのツイートなどということをやってしまったのだ、ついにぼくは。決してやるまいと思っていた愚行を犯してしまったのだ。そんな愚行に訴えてでも腹立ちを表現したかった。それほど腹が立ったのだ。
政治家には説明責任があると言ったのなら、なぜ「その責任を果たせないと判断したから辞任したのだろう」と言えないのだ? そうすれば、つまり、この猪瀬某が辞任によって責任逃れをしようとしているとの意見が明瞭になるのだ。
(猪瀬直樹の前任者は、明瞭すぎるあまり言い回しを考えず、問題を起こしたのだった、などと考えていたら、今度はそのTV画面に前任者が出てきた。石原慎太郎のことだが、表情と身のこなしがあまりにも老けていたので、そのこともツイートしちまったぜ)
この人はことごとく言語運用能力の低い人物なのだ、と思ったら、思いだしたことがあった。先週末の話題はASEANの晩餐会でAKB48やEXILEが歌ったり踊ったりした、ということだった。さすがに各所で非難轟々だった。それを思いだしたのだ。
こうしたポップグループにはさして興味もないので、まあよしとしよう。同じくさして興味も抱いていないはずの外交官たちが、固定のテーブルに座らされ(つまり、立食パーティーでもないのに、ということ)、不幸にもステージの間近の席に当たった人は、騒音とステージから立ち昇るホコリとに悩まされたことだろう、との同情の念を感じるのみだ。
問題は、外交官たちの晩餐会は立派な仕事だというシンプルな事実が忘れられているということだ。余興を楽しむリラックスの場ではないのだ。そして外交官たちの仕事とは、言葉でもって交渉するということ。つまりは会話するということだ。その会話を、これらの音楽は封じるものなのだ。
大使館やら外務省やらに領収書の要らない特別の予算が組み込まれているのは、こうした食事やらパーティーやらのリクリエーションに見える場が、実は丁々発止たる外交の場であるからにほかならない。ここで居合わせたメンバーとの会話を巧みに導く者が外交の手綱を握ることになるのだ。晩餐会の会話がすべてを決するとまではいかないが、少なくともこうした場所で存在感を発揮できない者は外交官や政治家としては失格なのだ。技量に欠けるのだ。
それなのに、そんな外交力発揮の場で外交力の要たる言葉を封じるような余興を提供するのは、つまり、言論の封殺以外の何ものでもない。首脳たちはディナーショウに来たのではないのだ。
言葉をまともに操れない首相が主導すると、こうした体のいい言論封殺が発動する。ここのところの特定秘密保護法をめぐる騒動と、AKB48の場違いなステージは連動している。