2013年12月19日木曜日

感想文および箇条書き禁止条令?

ともかく、昨日は昼、古巣の外語大に行ってきたわけだ。久しぶりの100人近い人数相手の授業だった。

リレー講義と称するこうした授業では毎回、学生たちに何かを書かせてそれを集めて、出席もしくは参加点として集計する。たいていは授業の感想など書かせる人が多いようなのだが、ぼくは予定調和を嫌い、授業内で何らかの課題を出して、それについて文章を書いてもらうことの方が多い。

くれぐれも誤解しないでいただきたいのだが、そこで参加した学生たちを批判・非難したいのではなく、そうしたおりに常々観察される傾向などを、……

たとえば昨日は、ある映画の冒頭の10分ばかりを見せて、そのスクリーンに何を見たか書け、という課題を出した。が、そんな場合、まず、圧倒的多数が感想や印象を書かないではいられないようなのだ。見たことを見たままに書くというのがとても難しいことであるらしい。観察の困難。

そして、見せられたものに対しての印象を学生たちが書くとき、やはりかなり多数の者たちが、自分の理解や趣味の範囲を超えるものに対しては、「古い」というレッテルを貼りたがるようだ。古ければどうだというのだ。歴史意識の問題。

そして、やはり少なからざる数の学生が、箇条書きで書いてくる。これもひとつの徴候。

箇条書きって何だ? 

ぼくは思うに、学習の現場での提出書類に箇条書きが許されるどころか、促進すらされるのって、とても異常なことではあるまいか? 異常、というのは、言語活動を教育、開発する場で、そのせっかくの言語運用の訓練の機会にとって矛盾する命令なのではないだろうか、ということだ、箇条書きというのは。

箇条書きって、本当に何なんだ? 


と思ったら、実は1603-04刊行の日葡辞典にも出ているのだそうだ。うーむ。恐ろしい。

ちなみに、タイトルにある「条令」は「箇条書きにされた命令」だそうだ。うーむ。恐ろしい。