どうもありがとう。でも、何か言わなきゃいけないの? 参ったな。何も言うことなんかないよ。卒業式なんてこうやって送り出す者と送り出される者が掛け合いで何か言っている間に自然と涙を出させる、って形式にしてつくり上げたものなんだからさ、だから俺は卒業式、嫌いなんだよ。高校の卒業式でだって泣かなかったって、後から友人に追求されたんだ。そんな人間なんだ。大学の卒業式? ますます泣くわけないじゃん。そもそも出てないし。寝坊して出られなかったんだ。だから何も言うことはないさ。
でもね、ぼくは1984年に大学に入って、ちょうどその20年後に外語で勤め始め、その同じ年に入った学生の大半が卒業した、その数日後に入ってきたのが、ここにいる大半の学生なんだ。まあ、つまり、君たちは今年の卒業生は5年かけて卒業する者が多いということだが、心配するな、ぼくだって卒業するのに5年かかかった。当時のスペインやメキシコの大学に倣ってさ。それはともかく、そんなわけで、君たちが卒業するってことは、つまり、二回り目の区切りが終わる、そんな感じなんだ。そのことはめでたいと思う。その点にかけて感慨深くもある。
それでぼくらはもうめったには会えなくなるのだろうが、そんな区切りの学年である君たちと、しばらくの間、同じ時間を共有したことは消しがたい事実だ。ぼくはこの事実を忘れないだろうし、君たちにも憶えていてほしいんだ。村上春樹『ノルウェイの森』の直子は「僕」に「私のことを憶えていてほしいの」と懇願するんだが、ぼくは少し変えてこう懇願したいんだ。ぼくたちが共に過ごしたという事実を憶えていて欲しい、と。
……てなことを返礼にしゃべった。記憶を基に再構成しているし、そもそももう酔っ払っていたので、本当にこんなことをしゃべったのかどうか、定かではない。ぼくはもう昨日のことすら忘れ始めている。悲しい……