2022年4月25日月曜日

恋(に落ちる)なんて簡単! 

ちょっと前にあるTV番組(「飯尾和樹のずん喫茶」というこの番組についての話もしたいくらいだが、今はまあいいとしよう)から誰か男声による “It’s so easy” が流れてきた “It’s so easy to fall in love” というあれだ。これは僕にとってはリンダ・ロンシュタットのものだ(それ自体が誰かのカヴァーではあるけれども)。僕が生まれて初めてもらったクリスマス・プレゼントのひとつがロンシュタットのベスト盤(たぶん、1980年)で、当時、彼女のことをよく知らなかった僕はこのアルバムの一曲目に入っていたこの歌にすっかり魅了されたのだった。


そんなわけで、彼女が自分のルーツを求めてメキシコの歌を歌うようになるまでは(1980年代の半ばごろかな)それなりに聴いていた。そしてロンシュタットといえば “It’s so easy” だった。「ずん喫茶」を観ながらそんなことを思い出したわけだ。


と思ったら、こんな映画が上映されるとの知らせ。


ロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン監督『リンダ・ロンシュタット――サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』(アメリカ合衆国、2019


キャメロン・クロウがジャーナリストとしてリンダ・ロンシュタットの記事を書いたりしていたというのは驚きだが、そんなクロウのみならずジャクソン・ブラウン、ライ・クーダー、ドン・ヘンリー、エミルー・ハリス、ドリー・パートンといった関係者らの証言を交えながら、ロンシュタットの活動をだいたい時代順に、彼女自身の回想を導き手として映像でたどっている。


始まってすぐのときに自身が現在パーキンソン病であることを明かしているし、たぶん、ファンには周知のことなので、これを言うことは未見の人の楽しみの妨げにはならないと思うが、彼女の現在を紹介する最後の数分は、さすがにいろいろな感慨が押し寄せるものである。


ものすごいファンというほどでもなかったし、高校時代から90年くらいまでTVなどほとんど観ていないし、つまり動画で彼女の最良の時代はほとんど観たことがなかったわけで、充分に新鮮だった(彼女はすばらしくスマートであった)。そして充分に新鮮だったけれども、あまりにも懐かしかった。


ちなみにこれは Rockumentary 2022 と称して『スージーQ』『ローレル・キャニオン』といった音楽ドキュメンタリーを連続で上映しようというシネマ・カリテ(など)の企画の一環だ。うむ。スージー・クワトロ。これもまた渋い。どうしよう。観ないではいられない……か? 


とろこで、ふだんなら授業のある月曜日だが、今日は変則授業日で僕の授業はない。だから月曜の昼間から映画などに行けたという次第。さすがに高齢者が多かったのだ。日時といい題材といい、高齢者向け。身のこなしは立派なそれだが、密閉型のヘッドフォンを持っているような、そんなファンキーな方々。



別に今日食べたわけではないのだが、オムライス。

2022年4月20日水曜日

引き返せない

毎年この時期になると「引き返せない」という覚悟を語ることになる。授業が始まって、もう後には引けないということだ。


今年度は当初、対面を原則とすると言われていたのだが、感染症がおさまらないからというよりはその余波でまだ来日できていない留学生などがいるからそれに配慮して対面やハイブリッドなどに対応するようにと方針変更が告げられ、急遽、僕も授業をオンラインにしたりしている。


それで、最近仕入れたオンライン向け新兵器がこれ。



書画カメラ。ウェブカメラとしても使えるというもの。


資料の提示には書画カメラにまさるものはないと僕は思っていて、ちょっと前にWeb会議用のそれについてFacebookで話題にしたことがあったので、手に入れてみたのだ。


ウェブカメラとしても使えることはつかえるのだが、さすがにそのたびに首を回すのもたいへんなので、カメラを切り替えるほうが楽だと思い、ウェブカメラには、あくまでも、これまでのように愛機 Fujifilm X-E4 を使うのだ。


ところで、昨日は試写会に行った。


オスカル・サンチェス、ロベルト・フルカ監督『マタインディオス、聖なる村』(ペルー、2018


昨年のペルー映画祭で見損なった作品が劇場公開されるのだそうだ。618日からシアター・イメージフォーラム他。


ペルー、山岳地帯 (Sierra) のある村でその村の守護聖人サンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名で、マタインディオスとはマタモーロス〔モーロ人殺し〕のサンティアゴが新大陸で持つにいたった綽名だ)を祝う祭典の準備をドキュメンタリー風に描き、その祭りで現実に何がなされるかを見せた作品。「守護聖人のための花」(花束、と字幕には出ていたかもしれない。うろ覚え)、「……マント」「……音楽」……という具合に章が区切られ、準備が刻々と進められていく感じ。この「音楽」の章の音楽の誕生が実にすばらしい。


疑似葬式のようなものがあり、そこで葬られる人々の死んだ日づけが19877月などとなっているのは、この映画のもう一つの隠されたメッセージなのかもしれない。


もっとだいぶ前にはケネス・ブラナー『ベルファスト』(イギリス、2021なんかも見たぞ。なにしろ授業でマリオ・バルガス=リョサ『ケルト人の夢』野谷文昭訳(岩波書店、2021を読むからさ。

2022年4月13日水曜日

白はどこへ行った?

まだ主にガイダンスで本格的な授業に突入する前のこんな日には、招待をいただいては行けずにいた映画の試写になど行ってみたくなる。で、行ってきた:


ミシェル・フランコ『ニューオーダー』(メキシコ/クロックワークス、2020) ネイアン・ゴンサーレス、ディエゴ・ボネータ他


メキシコ市内の金持ちの娘マリアン(ゴンサーレス)が、結婚式の日に散々な目に遭う、といってしまえばそれまでだが、話はなかなかに複雑だ。そしてショッキングだ。


結婚式の最中、かつての家の使用人のロランド(エリヒオ・メレンデス)が妻の手術代を無心に来たが、家族の者がまともに取り合わないものだから、優しいマリアンが彼の代わりにクレジット・カードで手術代を払ってあげようとして彼の家に行く。ところが、街は労働者たちのデモでそれに対処するために軍が道路を閉鎖している。どうにかロランドの家に着くものの、そんな状況なので彼の妻を病院に連れて行くことはできない。


実は、その間、マリアンの家にはデモに参加した者たちらしき人々が侵入してきて発砲、略奪を働く。彼女の父親は重症を負い、母は死ぬ。


軍は戒厳令を敷き、新体制に入る。そしてマリアンは軍人たちに救助される……と思ったらここで一ひねり。軍部も一枚岩ではなかった……とそれ以上書いたらいわゆる「ネタバレ」だろうか。軍には軍の沽券というものがあり、おかげでストーリーはその後も二ひねりくらいある。パーティーの群衆の中を人物たちが動きまわる映画的な目眩の映像が暴力によってブレイクし、緊張感に満ちた犯罪ストーリーに転じる。


デモ隊の者たちが緑色の液体を自動車や家の壁にぶつけたりしている。いや、それ以前にオープニングの導入部で緑色の液体の無気味さが印象づけられる。マリアンは鮮やかな赤いスーツを着ている。その後、おびただしい量の赤い血が流れる。緑と赤。メキシコの国旗だ。ラストは掲揚された三色旗の映像を目に植えつけて終わる。あくまでも緑と赤の保護色が対立しながら印象づけられる。ストーリーは特にメキシコの現実の事件を基にしているわけではないが、こうしたメタメッセージがメキシコと叫んでいる。


でも、では赤と緑の間に入るもう一色、白はどこへ行ったのか? どこにあるのか?


6月4日公開とのこと。渋谷イメージフォーラム他。 


これは日曜日にいただいたガトーショコラ。白ではない。チョコ色だ。でも隣に白がある。近所の休日だけ営業の喫茶店で。


2022年4月10日日曜日

明日から授業だなんて、嘘だと言ってくれ

今日の最高気温は28もあった。まるで夏である。


この季節はよく汗を掻くので、革の鞄をリュックにして持ち歩くわけにはいかなくなる。毎度のことだが、こうなる。



Herz の定番ソフトダレスバッグをリックとして使うことをやめ、ショルダーバッグ仕様にする。


そして、その下に見えるように、こういうショルダーバッグも新調しみた。



これだ。同じHerz のポストマンショルダーバッグ。


冬の間、主にリュックやリュック仕様のバッグを使っている間も、中のものを取り出したりするのにはやはりショルダーバッグだなと思うことがある。リュック仕様にしていたダレスバッグを日ごとにショルダー仕様に戻したりするのは面倒だ。一年中ショルダーバッグであるようなものがひとつ欲しいと思っていたのだ。


それで、これ。なんだかジャーナリストみたい? 


現物を店で担いでみたら表記のわりに軽かったので、色は本当は赤が欲しかったのだけど、キャメルのみ在庫ありとのことだったので、これを買った次第。



こうして椿屋珈琲店で隣に座ってもらったりしたのだ。


さあ、これを担いで明日から授業だ! 


2022年4月9日土曜日

新歓……いや、新刊の季節

諸事情からしばらく授業をしないでよかったので(春休みということではなく)新学期が始まって(というか、その直前、3月の末くらいから)慌ただしくしている。どうすれば授業をする日常に復帰できるのか、よくわからないのだ。


僕は新入生(新1年生)のいないキャンパスに勤めているので、新入生たちが醸し出す雰囲気にいやおうなしに追い立てられることもないから、よけいに危機感を感じる。


そんなふうに気ぜわしくしているせいで、この半月ほどの間にいただいた本に対してもお礼が滞りがちなのである。申し訳ない限り。



中川成美・西成彦編著『旅する日本語――方法としての外地巡礼』(松籟社)


は立命館大学をもう退職された成・成コンビ(と呼ばれているわけではない。今、ここで思いついたので書いた。しかもこのふたり、「成」が「なる」ではないという共通点もある)による論文集。中川さんと西さんが在職中に主宰していた研究会などを中心に日本語文学の外国との関係がさまざまに論じられている。編者ふたりの巻頭の対談で中川さんは日本語話者の数とそのわりに広範な他言語への翻訳の現状の関係を移民たちの日本語への執着や他の国々の文化政策と結びつけて考えるべきとの見方を示しておられる。もちろん、ブラジルの日系人文学についての西さんの研究なども踏まえてのことだ。


ひるがえってやはり日系人がたくさんいるはずのスペイン語圏ラテンアメリカの国々での日本語文学というのはどうなのだろう、などと思ってしまう。教え子の中にはそうしたものの研究に従事している者もいるので、成果の発表が待たれるところ。


教え子の成果発表という意味では、以下:



仁平ふくみ『もうひとつの風景――フアン・ルルフォの創作と技法』(春風社)


仁平さんが東大に提出した博士論文の書籍化作品。博士論文の主査は、僕だ。実質的には僕の前任者・野谷文昭さんの教え子なので、僕はただ書類を書いたというだけのような存在と言ってもいいのだが、まあともかく、読み、多くを教えられ、主査をつとめた。彼女に教えられたことは既にあるところに反映してるのだが、それはまた、後ほど……


博士論文の書籍化と言えば、以下:



写真真ん中の邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社)


これは副査として審査に加わった博論。藤本和子によるブローティガンの翻訳、伊藤典夫のヴォネガット、サンリオSF文庫、等々を扱った翻訳研究のメルクマール。


左はチベット文学の翻訳にめざましい活躍を見せている星泉さんの訳業。ラシャムジャ『路上の陽光』星泉訳(書肆侃侃房)


そして右が希有な試み。『京都文学レジデンシー トリヴィウム』


翻訳家で作家の吉田恭子さんを代表として去年立ち上がった京都文学レジデンシー(リンク)が、折悪しくコロナ禍の時期だというので、作家を招聘する代わりに誌上への参加を呼びかけようではないかと発想を転換して編集した雑誌。テジュ・コールの木が都市の中に溶けこんでいる様子を撮った数葉の写真とそれについての文章「アルボース」を掲げ、募集に応じた作家たちの詩や短い文章、昨年京都文学賞を受賞して話題のグレゴリー・ケズナジャットや谷崎由衣、円城塔といった人々の文章やそれへの反応などを掲載してその場にいることの雰囲気を醸し出している。福嶋伸洋によるポルトガルの詩二篇の紹介(翻訳と解説)もある。


「ボゴタ39」という試みが(その第1回が)2007年にあって、そのコンセプトは他の地域にも広がったし、それはまたボゴタでも複数回開かれたのだが、それが本になっている。複数の作家を招聘し住まわせるレジデンシーであるならば、こうして本になることはその場にい合わなかった者にとってはとても嬉しい。『トリヴィウム』。京都在住ではない僕としては(6月には行くけどね。学会で)嬉しい。


2022年4月7日木曜日

伝えたいことがある

なりたくてもどうしてもなれなかったものがひとつだけある。


母方のおじさんだ。


僕には姉妹がいないので、こればかりは仕方がない。兄には娘がいて、つまり僕は父方の叔父ではあるが、それはまた別問題だ。


文化は母方の叔父から子へと伝達されるとレヴィ=ストロースは言ったはずだ(うろ覚え)。でもその子は男の子だったかもしれない。つまり甥だ。だから伯父から姪の場合はよく知らない。あくまでもうろ覚えと印象論だが。僕の場合は、母方の叔父の甥だったわけだ。


僕は母の家で育ち、そこに居候していた母方の叔父からおいしいオムレツの作り方やらコーヒーの淹れ方やらを教わった。彼の買ってきたステレオで音楽を聴いた。レストラン・バーのオーナー・シェフになりたいと隣のコンクリート工場で働いていた叔父は、金を貯めるどころか、大した額ではないものの借金を残してある日出奔した。そして70歳を過ぎて釜が崎で生活保護を受けるまで行方が知れなかった(あるいはAlberto Fuguet, Missing のおじのように、単に連絡を取っていなかっただけなのかもしれない)。このヤクザ者っぽさこそ、僕がその叔父から伝達された文化であった。のだと思う。


僕はその生き方を姉の息子に伝えることなく死んでいくことになりそうだ。どうにか定職にはついたものの、財産もそれを遺すべき子も持つことなく、きっと独り野垂れ死にすることになる。


そんな僕にとってうらやましいのが、母方の叔父として甥にではなく、伯父として姪に何かを伝えていくという体裁を取った、以下の本。



小沼純一『ふりかえる日、日――めいのレッスン』(青土社)


共働きの妹・紗枝の娘サイェが学校帰りに毎日のように在宅勤務の「わたし」の家にやって来る(学童保育代わり?)。そこで取り交わす、あるいは一緒に「わたし」の母つまりサイェの祖母の家に行って彼女と交わすやりとりによって、四季折々の動植物と生活の関係の取り結び方を伝えていく。場合によっては母親やさらにその両親(サイェにとっての曾祖父母)の記憶(上海での暮らしや戦争の記憶)らも想起される。それを押しつけがましく教えてやるというよりは、ただ伝えている。彼女の反応も見ながら。そんな内容。


小沼さんに本当に姪がいるのかどうかは知らない。たとえば、一時期、Facbook上に昔の喫茶店やバーなどのマッチのコレクションをアップしていたことは知っている。それはきっと「マッチ箱」(228-231ページ)の記事を書いていたときのものだろうと思う(本書は『ろうそくの炎がささやく言葉』に寄稿した文章を発端にして「けいそうビブリオフィル」に不定期連載していた文章の集成だとのこと)。本文ではマッチになじみのないサイェがそれらを発見し、さらにはそのマッチ箱内にあった「わたし」のメモすらも発見したことによって「わたし」が記憶を取り戻したり取り戻せなかったりしている。マッチ、しかも飲食店のマッチという途絶えつつある文化を姪に伝達するというだけでなく、自らの追憶にもなるのだった。


が、そのFacebook上の記事には姪についての言及はなかったように思う。読者としてはサイェなる姪の実在を疑いたくなるところ。が、その実在が疑われる姪が実にチャーミングである。あるいはおじさん(「わたし」)とのやり取りが面白い。「わたし」が友人に触発されてぬか漬けを始め、そうして漬けたきゅうりを取り上げて切って祖母の家に持っていこうというサイェと「わたし」のやり取り。


 サイェ、おばあちゃんに、「わたしのぬか漬け」って言う?

 言わない、とめいは無表情にかえしてくる。わたしが漬けたんじゃないし、とりだして、切った、とは言うかも。

 あいかわらず生真面目というか、カタいというか、おもしろい。

 わたしの媚びたもの言いなど、この子は頓着しない。サイェ、おまえもぬか漬けにしたほうがいいかも。そう笑いとばしてみたいとおもったけれど、また不思議な顔をされても説明に困るので、黙っていた。(117


ぶっきらぼうながら独自の律儀さを持ち、大人に媚びないながらもしっかりと何かは受け取っている、そんな年ごろの姪の姿が好もしい。


だからまあ、小沼さん自身に本当に姪がいるかいないかはどうでもいい問題で、これは小説なのだと僕は読むことにした。あるいは、散文詩、かな? 一種の歳時記。とも。


あ、そうか! 僕がもし本気で姉の息子が欲しいと思っているのなら、虚構の上でつくればいいのだった。


写真は、カヴァーを外した装丁もすてきだったので、カヴァーと、裸の本(実は昨日の記事の写真でもバーガーの向こうに映っていた)。

2022年4月6日水曜日

カルーゾをカルーソーと表記するのを禁じたい

ジャン! 


スパイシーチョリソー&チーズエッグバーガー@egg日本支店@ハレザ池袋。


チョリーソChorizo がなぜチョリソーなる表記になったのかは容易に察しがつく。


英語(アメリカ合衆国)経由だからだ。語末の -o を「オウ」と二重母音化して発音する英語の特性をカタカナに転記する場合に、「オウ」では間抜けなので「オー」と長母音化する習慣が日本語にはある。だから、「チョリソー」なのだ。チョリーソは。チョリーソがチョリーソウと発音され、チョリソーへ。


(本当に「ゴンサーロー」とか「プロスペロー」、「カルーソー」、等々の表記とともにやめてほしいものだと思う。「チョリソー」は。なんか間抜けだ)


さて、表記がそうなったのはおそらくこの推論で間違いがない。が、それがなぜ単にコショウの利いたソーセージになってしまったのかは、わからない。英語(USA?)的なるもの憎さのあまり、それもきっとテックスメックスでしょ、などと無根拠に呟いたこともあるかもしれない。


代々木上原のチョリパンの店のミ・チョリパンの店主がアルゼンチンのチョリーソは日本で言われているものとは違う、日本で出回っているのはメキシコのだ、と書いていて、いや。それは違う、と思った僕だが、その過ちを僕も犯してしまったかもしれないということだ。


さて、ニューヨークのレストランegg のコンセプトは創業者の育ったカロライナやヴァージニアの料理、というものだそうで、その日本店(池袋のかつて区役所だった場所を再開発したビルのひとつに入っていたその店)の看板に、くだんのハンバーガーが出ていて、その写真を見た僕は、お、ひょっとしてこの「チョリソー」はだいぶチョリーソに近いのではないか、と思い、こんど食べてみようと気に留めていたのだ。


それで、今日、その念願がかなったという次第。メキシコのチョリーソよりは少し柔らかくつぶも小さめだという気がしないでもないが、少なくとも、コショウの利いたソーセージではない。なんだ、USA南部ではチョリーソはちゃんとチョリーソなのではないか。ハラペーニョも入っているので、味の組み合わせからも、そのことを感じさせる。


美味しゅうございました。

2022年3月29日火曜日

アピチャッポンに誘発されて

もうだいぶ前のことになるが、前回、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『メモリア』のことを書いた(リンク)。


このアピチャッポンの別のフィルムに魅せられて(かつフーゴー・アードルフ・ベルナツィーク『黄色い葉の妖精』を読み)タイに向かったのが金子遊。そこで言語学者の伊藤雄馬と出会い実現した映画が『森のムラブリ――インドシナ最後の狩猟民』(幻視社、2019)@シアター・イメージフォーラム。


伊藤雄馬はタイとラオスに住む少数民族ムラブリの言語ムラブリ語を調査している言語学者。一方で三つのグループに分かれてしまったムラブリを再会させたいという願いも抱いている。彼らの話では分離してしまった他のグループは身体に刺青を入れ、人を殺し、食うような残忍な連中だとのこと(これはもちろん、典型的な他者恐怖の言説)。


三つのグループのうち二つはタイの村に定住している。伊藤は(少なくもこの映画では)当初、そのひとつに留まって調査していたようである。彼の言語学的な調査に介入するように、ドキュメンタリー映画監督兼映像人類学者としての金子はムラブリの人たちに森での生活を再現するようにお願いする。すると彼らは竹を削って金具を先につけたシャベルのようなもので根菜を掘ってみせる。ふんどし一丁の格好(「森の生活」のころの出で立ちか?)で土を掘る者と、普通にTシャツなどを着てそれを見守る者、および伊藤がひとつのフレームの中に収まる。竹で枠組みをつくってバナナの葉をかけた仮住まいで火をおこして採った根菜を食べる人物の隣に実に親しげに肩を寄せるように座って別のムラブリの人々に会いたいかと訊ねる伊藤はなんだかとてもカジュアルだ。


彼のそんな気負いのない感じはこの記録にとても良い味を出しているような気がする。彼は実際、ラオスの側に住む、いまだに定住しないムラブリの人々に会いに行くのだが、近くの村にたまたま降りてきたムラブリのひとりカムノイと出会うところなど、あっけなくて演出を疑いたくなるほどだ。しかし、実はこれを手がかりに伊藤と金子が踏み込む彼らの野営地フアイハーンとそこでの彼らの生活は、こうしてカメラに収められ公開されるのは初めてのことだそうで、つまりとても貴重な記録なのだ。が、あくまでもその貴重な記録でくだんのカムノイとその妻リーが離婚するだのしないだのと喧嘩したりしているのだから、やはり微笑ましい。観る側の思い込みがここでもはぐらかされて快い。


本当は歴史的に分離してしまったエスニック・グループを再会させることは政治的行為でもあるだろう。繊細で緊張を孕むものだ。そして繊細で緊張を孕む瞬間というのは、繊細すぎてそうは見えないものである。クライマックスのタイ国内のムラブリの二つのグループの出会いはそんな感じであった。


言うまでもなく、言語学は(その一部は)文化人類学に隣接している。言語(文化)を記述する営みだからだ。バルガス=リョサの『緑の家』と『密林の語り部』、それに『パンタレオン大尉と女たち』を産み出したのは、文化人類学者フアン・コマスについていった研究旅行であり、それは夏期言語学研究所の主宰する研究なのだった。映像人類学者とそのカメラ、それに言語学者の組み合わせは最強だ。



ところで、320日には元同僚の岩崎稔さんの最終講義だった。久しぶりに行った多磨駅はこんな風になっていた。

2022年3月10日木曜日

語りやら話やら音やら

清水透(著訳)『コーラを聖なる水に変えた人々』(現代企画室、1984は僕が上京して買った240冊目の本だ(当時の習慣に従って裏扉にはナンバーがふってある。841210日刊行のこの本を僕は翌85121日に購入し8日後の29日に読了している。それも同じく当時の習慣で、裏扉に記載してある)。その月のうちに当時のサークルの機関誌(手書きガリ版刷り)に書評を書いている。


2部構成のこの本の第一部はリカルド・ポサス『フアン・ペレス・ホローテ』の訳だ。だから「清水透(著訳)」と書いたけれども、正確には著者名は「リカルド・ポサス/清水透」と併記されている。『フアン・ペレス・ホローテ』はマヤ系の先住民に取材したポサスがメキシコ革命に巻き込まれた彼の半生を自身の語りのような体裁で記述した民族誌の古典。


このフアンの息子ロレンソに話を聞き、それを文章化したのが第二部「コーラを聖なる水に変えた人々」。ロレンソはフアンの死からはじめて自らの人生、変わりゆく村のことなどを語っている。「フアン・ペレス・ホローテ」の続編が日本語で書かれたということなのだ。


その続編が最近、スペイン語での出版計画が進んでおり、最初の2章が既に雑誌に掲載された(リンク)。残りも連載し、ゆくゆく単行本化する予定だという。


このテクストの基となったロレンソの語りを直に聞き、清水先生から製作過程についての話を伺おうという集まりに行ってきた。37日(月)のこと。慶應大学の様々な学部に所属するラテンアメリカニストたちが行っている研究会の一環で、僕がこの一連のペレス家の物語およびそれを書いた清水著書に興味を抱いていることを知った友人が呼んでくれたもの。


どこまで忠実に言ったままを表記するべきか、などといった点について丁々発止のやりとりがなされて楽しかったのだ。



メキシコ産アボカドを使ったフレッシュネスバーガーのアボカド・フェア。


8日は「斎藤文子先生を送る会」@東大駒場キャンパス


同僚というか、キャンパスは異なるけれども東大の総合文化研究科の斎藤文子先生が今年で定年退職。最終講義、というほど大袈裟なものではなく、教え子たちと同僚たちのささやかな集まりで、ということで、行われた催し。


斎藤さんは自身のセルバンテスとの出会いを語り、『模範小説集』に見られる少数者への眼差しを語り、その後、教え子たちが近況報告と挨拶をしたのだった。


今日、10日は映画を観たぞ。


アピチャッポン・ウィーラセタクン『Memoria メモリア』ティルダ・スウィントン他(コロンビア、タイ、イギリス、メキシコ、フランス、ドイツ、カタール、2021


メデジンで蘭を栽培しているジェシカ(スウィントン)が入院中の妹カレン(アグネス・ブレッケ)を見舞いにボゴタにやって来た晩、大砲の発砲音のような大きな音に目覚め、眠れなくなる。妹の夫フアン(ダニエル・ヒメネス=カチョ)に紹介された彼の教え子だとかいう音響技師エルナン(フアン・パブロ・ウレーゴ)に頼んで、その音を再現してもらう。


と、ここまでは音をめぐるエピソードの積み重ね(タイヤのパンク音、雨、カフェの隣の席の会話、等々)による日常に思えるのだが、ある日、ジェシカが仕事場に訪ねていくとエルナンなんて人物はいないし知らないと言われるあたりから話に異なる次元が貫入してくる。


ピハオと思われる田舎町で診察を受け、薬を出してもらったジェシカは、せせらぎに導かれ、もうひとりのエルナン(エルキン・ディーアス)に出会う。彼は石に刻まれた音を通じて、この石に腰かけていた男に降りかかった事件を語り、「我々の種族は夢なんか見ないんだNuestra especie nunca sueña」などと言って半目を開けて眠ったりする。このエルナンは苗字も一緒だし、どうもあの音響技師のエルナンと同一人物のようでもある。さすがは元オルランド(オーランドー)のジェシカ/ティルダは時間を旅し、そしてついには空間(スペース)をも旅する記憶を回復するのだった。


うーむ。なるほど、道理で車たちの防犯ブザーが共鳴して鳴くはずだ。


2022年3月6日日曜日

奄美空港売店には今回ミキが売ってなかった

老母がまた入院ということになり、急遽、手続きに向かったのが228日。蔓延防止対策期間でもあり、島外からやってきた僕は病人(つまり母)には会えなかったのだが、ともかく、手続きは済ませてきた。



翌日、31日からはしばらく閉館していた鹿児島県立奄美図書館が再開したので、そこで少し時間を潰し(この図書館は左右を奄美高校と奄美小学校にはさまれているのだが)、昼はここ



僕が子供のころからある瀬里奈で



ナポリタンを食べてきた。見舞いにも行けないので、その後、飛行機に乗って帰宅した。いつも買うミキが空港待合室内の売店には今回は置いていなかった。残念。


瀬里奈はここ:


通称アーケード街にあるのだが、日本中に数多くあるアーケード街は、もちろん、パリのパサージュを手本にしている。


で、そのパサージュの名を冠する共同書店(リンク)に、僕も参加しているのだ(そのことは以前、開店前に、ご報告済み)。自分の著書や訳書、重複して買ってしまった本などを置いている。昨日(5日)2冊売れたとの報告が入ったのだ。嬉しい。