諸事情からしばらく授業をしないでよかったので(春休みということではなく)新学期が始まって(というか、その直前、3月の末くらいから)慌ただしくしている。どうすれば授業をする日常に復帰できるのか、よくわからないのだ。
僕は新入生(新1年生)のいないキャンパスに勤めているので、新入生たちが醸し出す雰囲気にいやおうなしに追い立てられることもないから、よけいに危機感を感じる。
そんなふうに気ぜわしくしているせいで、この半月ほどの間にいただいた本に対してもお礼が滞りがちなのである。申し訳ない限り。
中川成美・西成彦編著『旅する日本語――方法としての外地巡礼』(松籟社)
は立命館大学をもう退職された成・成コンビ(と呼ばれているわけではない。今、ここで思いついたので書いた。しかもこのふたり、「成」が「なる」ではないという共通点もある)による論文集。中川さんと西さんが在職中に主宰していた研究会などを中心に日本語文学の外国との関係がさまざまに論じられている。編者ふたりの巻頭の対談で中川さんは日本語話者の数とそのわりに広範な他言語への翻訳の現状の関係を移民たちの日本語への執着や他の国々の文化政策と結びつけて考えるべきとの見方を示しておられる。もちろん、ブラジルの日系人文学についての西さんの研究なども踏まえてのことだ。
ひるがえってやはり日系人がたくさんいるはずのスペイン語圏ラテンアメリカの国々での日本語文学というのはどうなのだろう、などと思ってしまう。教え子の中にはそうしたものの研究に従事している者もいるので、成果の発表が待たれるところ。
教え子の成果発表という意味では、以下:
仁平ふくみ『もうひとつの風景――フアン・ルルフォの創作と技法』(春風社)
仁平さんが東大に提出した博士論文の書籍化作品。博士論文の主査は、僕だ。実質的には僕の前任者・野谷文昭さんの教え子なので、僕はただ書類を書いたというだけのような存在と言ってもいいのだが、まあともかく、読み、多くを教えられ、主査をつとめた。彼女に教えられたことは既にあるところに反映してるのだが、それはまた、後ほど……
博士論文の書籍化と言えば、以下:
写真真ん中の邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社)
これは副査として審査に加わった博論。藤本和子によるブローティガンの翻訳、伊藤典夫のヴォネガット、サンリオSF文庫、等々を扱った翻訳研究のメルクマール。
左はチベット文学の翻訳にめざましい活躍を見せている星泉さんの訳業。ラシャムジャ『路上の陽光』星泉訳(書肆侃侃房)
そして右が希有な試み。『京都文学レジデンシー トリヴィウム』
翻訳家で作家の吉田恭子さんを代表として去年立ち上がった京都文学レジデンシー(リンク)が、折悪しくコロナ禍の時期だというので、作家を招聘する代わりに誌上への参加を呼びかけようではないかと発想を転換して編集した雑誌。テジュ・コールの木が都市の中に溶けこんでいる様子を撮った数葉の写真とそれについての文章「アルボース」を掲げ、募集に応じた作家たちの詩や短い文章、昨年京都文学賞を受賞して話題のグレゴリー・ケズナジャットや谷崎由衣、円城塔といった人々の文章やそれへの反応などを掲載してその場にいることの雰囲気を醸し出している。福嶋伸洋によるポルトガルの詩二篇の紹介(翻訳と解説)もある。
「ボゴタ39」という試みが(その第1回が)2007年にあって、そのコンセプトは他の地域にも広がったし、それはまたボゴタでも複数回開かれたのだが、それが本になっている。複数の作家を招聘し住まわせるレジデンシーであるならば、こうして本になることはその場にい合わなかった者にとってはとても嬉しい。『トリヴィウム』。京都在住ではない僕としては(6月には行くけどね。学会で)嬉しい。