フランス文学者・鈴木信太郎の家が豊島区の文化財として公開されるという話を聞いたのは、3月31日のこと。実は28日にはもう開館していたようだ。
鈴木信太郎記念館。
立派な家だ。
書斎がすてき。
この机で、執筆していたのだ。
ステンドグラスはカメラの設定をうまくできず、上が映っていないけれども、ともかく、こんなものが何枚か書斎には張られていた。
「クエルボ、またカラス?」と妻にうんざりされながら、一心不乱に池を眺める初老の男もいる。(14-15)
圧倒されてたたずむほかない私をよそに、カラスたちは落下劇を続け、食事を終えた個体まで加わり、うち一羽は落ちてから飛びあがるときに私の肩にぶつかったりした。俺をからかっているのか、と頭に血が上りかけたが、そのカラスは私の前に降り立って、私のことをじっと見つめ、クー、クーと小声で鳴いた。私はしゃがんだ姿勢で後ろ手を組み、カラスのつもりで、アーアーと喉から声を出してみた。
気持ちいい。自然な気がする。
カラスはそんな私をもうしばらく無言で見つめると、ついて来いという形に小首をかしげ、また飛び上がって遊びを再開した。私はついて行かれないことに無念を感じた。(101 下線は引用者)
江戸幕府が「藩」の公称を採用したことは一度もなく、旗本領を「知行所」というのに対して、一万石以上の大名の所領は「領分」と公称されていた事実を思い浮かべるべきである。「藩」という呼称が行政上のものとして歴史に登場してくるのは、徳川将軍の大政奉還にともなう王政復古後、一八六八(明治元)年閏四月、維新政府が旧幕府領を府・県と改め、元将軍家を含む旧大名の領分を「藩」として、その居城所在地を冠して呼んだ時が初めてである。行政区画としての「藩」はしかし短命で、版籍奉還から一八七一(明治四)年七月の廃藩置県まで存続しただけである。(13)
書き入れをする読者には表表紙の見返しはとても重要だ。(59)
はじめに一つの逆説を紹介しよう。文学の本をいかに読むかは、知識の伝達を目的とする「教養書」をいかに読むかということよりずっとむずかしい。にもかかわらず、科学、政治、経済、歴史よりも文学の読み方を心得ている人の方が、ずっと多いように見える。これはどうしてだろう。
小説なら読めばわかると、自分の能力を過信しているためかもしれない。だが、ある小説のどこが好きか、と聞かれて黙りこんでしまう人がよくいる。おもろかったことははっきりしているのだが、なぜおもしろかったか、その本のどこに満足したかは説明できないのだ。良い批評家でなくとも良い読者にはなれるということなのだろうか。しかし、これがすべてだと信じるわけにはいかない。十分に理解しなくては批評的に読むことなどできないのだ。小説のどこが好きかを説明できない人は、おそらく本の字面をなでただけで、その下にあるものを読みとっていないのだ。(198-199)
最後に、小説を批判的に読む場合の規則であるが、これは、次のような心得になる。「作家が読者に経験させようとしたものを十分に感得できるまでは批判をしてはならない」。作家の創造した世界に疑問を抱かないのが良い読者である。
(略)
つまり、小説に対して、読者は、反対したり賛成したりするのでなく、好きであるかきらいであるかのどちらかだということを、忘れてはならない。「教養書」を批判する場合の基準は「真」だが、文学の場合は「美」であると考えてよいだろう。(207)