激しい時差ボケに苛まれている。
メキシコに行っていたのだ。行く前日が雨で、その日も午前中は雨だったが、少し晴れたので傘も持たずに出た。乾季のメキシコに傘など持っていってたまるか、という意識だ。ところが、メキシコではまだ雨季でもないのに、毎日のように夕方、雨が降った。そして帰宅したら冷たい雨、一部には雪が。
やれやれ。
帰国の日には、去年同様、国立フィルムライブラリーで映画をハシゴした。見たのは:
セバスティアン・レリオ『ナチュラル・ウーマン』(チリ、2017) 日本で公開中なのにまだ見ていなかったのだ。誰かが、原題はUna mujer fantástica なのになぜ『ナチュラル・ウーマン』? と言っていたが、案の定、途中、アリサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」がかかっていた。その意味で松浦理英子と同じだな。
この映画のすぐれているところは、感情の盛り上がる場所でリアリズムを拒否しているところ。つまり、メロドラマなのだ。圧巻は、トレイラーにも使われているので、言ってしまっていいと思うのだが、あまりの強風に抗して主人公マリーナ(ダニエラ・ベガ)の立った姿勢が斜めになる(マイケル・ジャクソンのダンスのように)ところ。それから自暴自棄になったマリーナがクラブに行き、踊り狂い、行きずりの男と関係を持つという陳腐なシーンで、ここではいきなり衣裳も揃えたバックの連中とともにマリーナがダンスを(クラブでのそれではなく、振り付けのある、アンサンブルのダンス)踊り、しまいには……という処理。
ロマン・ポランスキー D'après une histoire vraie (フランス、2017)
これは日本で公開されていないのだろうか? 原作のある映画しか撮らないポランスキーがなかなかの皮肉なタイトルだと思って、見に行った。サイコサスペンスとしては詰めが甘い、などという評も見かけるし、なるほど、たとえばELLE(エヴァ・グレーン)は最後どうしたのだ? という思いも残る。
が、僕はどちらかというと、映画の完成度など唯一の物差しではないと思っている。僕はただ、パリのアパルトマンがすてきだな、と思うのだ。それからデルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)のノートやら創作過程やら……
それに、メキシコの観客たちはいちいち声を挙げて反応していた。充分にサスペンスがあったということなのだと思う。
それに、メキシコの観客たちはいちいち声を挙げて反応していた。充分にサスペンスがあったということなのだと思う。
眠い。時差ボケに押し潰されそうだ。今日はここまで。
※ ポランスキーの映画は、この記事を挙げた翌日、『告白小説。その結末』のタイトルで日本での公開が決定した模様。この決定に対する僕の記事の影響力は、未確定。(ないに決まっているのだけど)
※ ポランスキーの映画は、この記事を挙げた翌日、『告白小説。その結末』のタイトルで日本での公開が決定した模様。この決定に対する僕の記事の影響力は、未確定。(ないに決まっているのだけど)