2015年12月27日日曜日

旧交を温む、いやグリルする。


授業のある時期、週に一日は弁当を持っていく。昼休みをはさんで2コマ連続で授業がある日にそうするのだ。それはここ2年は火曜日だった。月曜の晩にNHKの「サラめし」でモティヴェーションを高め、火曜日に弁当を作る。

弁当を入れるのにいいサイズのリュックが欲しいと思っていたのだ。

やれやれ。僕は本当に縮小経済を生きているのか? 物欲まみれだ。

昨日は駒場の大学院に修士論文を提出した外語時代の教え子たちと修士論文提出の打ち上げに行った。場所は六本木のメキシコ料理店La Cocina Gabriela Mexicana。同じ建物の地下にアガペというテキーラ・バーがある。で、レストランは炭火グリルで肉を食わせてくれるお店で、ここにはアボカド・オイルで育った豚、アボ豚が置いてある。

アボ豚のグリルをトルティーヤで包むと、カルニータのタコスのようだ。肉そのものも、さすがにうまい。

が、驚いたのは、店に着いた瞬間だ。迎え入れてくれたウェイトレスがどこかで見たような・・・・・・「忘れた?」と訊ねられ、思い出した。

ある彫刻家の方だ。大学院の学生のころ、向こうは日大芸術学部の彫刻専攻の学生で、何かの奨学金をもらってメキシコに行くので、スペイン語を教えてくれ、と言われて紹介されたのだ。彼女の帰国後、入れ替わりで僕がメキシコに行き、しばらく連絡が途絶えた。世紀が変わる頃、当時住んでいた国分寺のアパートの隣に偶然住んでいることが発覚、時々、顔を合わせた。そしてまた音信不通になり・・・・・・10数年ぶりに、今回、また出会ったという次第。


運命的だ。

2015年12月20日日曜日

出版を望む

昨日のこと。


以前、英語からの重訳で翻訳、上演されたプイグ最晩年の二人芝居を今回、古屋雄一郎訳、角替和枝+美加理のキャストで。

病院の患者と付き添い看護婦の会話と、二人がそれぞれに見る夢、もしくは幻想から、二人の過去や噓が明るみに出、二人の関係がほのめかされるという内容は『蜘蛛女のキス』や『このページを読む者に永遠の呪いあれ』にも共通するし、老いと若かりし頃の夢、母娘関係などはその他の小説作品にも共通する、プイグの真骨頂とも言える劇だ。

二人芝居だ。かつ、患者が付き添いの母に、付き添いが患者の妹や娘になったりして虚実が入り混じる展開だ。役者は難しい二人芝居な上に二役・三役をこなすという難題が課される作品だ。付き添い役の美加理はその切り替えがすばらしく、当然のことながら安定の角替和枝に互してすばらしいできだった。

実は僕はこの戯曲、これまで読んだことがなく、行きの新幹線の中で大急ぎで読んで(といっても、途中まで。2幕ものだが、1幕の終わり近くまで)観劇に臨んだわけだが、とても面白い作品だと思う。繰り返しになるが、プイグの真骨頂だ。古屋訳、どこかで出版されないかな? 『蜘蛛女のキス』戯曲版は本になっているのだから、これもそうなるといいな。


静岡在住の友人たちや当の古屋雄一郎さんなどと食事して、帰京。山手線が止まっていて往生した。

2015年12月18日金曜日

空腹と読書

2ヶ月ほど前に以下のようなことを書いたのに、アップするのを忘れていた。

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ぼくはきっと、昔から読書するきれいなお姉さんが好きだったのだろう。自分が読書が好きだったのかどうかはともかくとして……

かつて、NHKの教育テレビ(現Eテレ)で「若い広場」という番組があって、そこで斉藤とも子が作家などに1冊の本を推薦してもらい、語ってもらうというコーナーがあった。安部公房が『百年の孤独』を語り、それに応えて高校生の斉藤とも子が作品の感想を述べたり、とそんなやり取りが展開されていたのだ。

昨日、そのコーナーの昔の映像を流し、斉藤とも子その人を呼んで話してもらうという時間があった。昔の思い出をぼくもしばし懐かしく見た。

開高健がサルトルの『嘔吐』を語り、腹を空かせながらだと読書は響く、と言っていた。現在の野坂昭如(注:まだ亡くなる前だった)が書面でコメントを寄せ、戦後の貧しい時代、読書で空腹を紛らわせたと回想していた。

ふむ。

空腹と読書か! 

ポール・オースター『空腹の技法』だ。というか、その最初のエッセイ「空腹の芸術」で扱ったクヌット・ハムスン『飢ゑ』だ。

矢作俊彦『悲劇週間』では堀口大學の父親が、学生時代、砂糖をなめながら本を読んでいたという記述があった。ぼくはそれを糖分が脳にいいからだろうと思っていたのだが、これはつまり、砂糖だけをなめ、空腹の状態を作っていたということなのかもしれない。

その後の発言を見るにつけ、今となっては忘れてしまいたい読書体験だが、渡部昇一『知的生活の方法』では、彼は小遣いのほとんどを本につぎ込み、いつも腹が空いていた、と書いていた。

ぼくも貧乏な時代を生きてきたので、腹を空かせながら読書していた。メルキアデスの羊皮紙を読むアウレリャーノにも似て、テクストの内容が目の前に迫ってきた。思うに、最近、時々、読んでもいっこうに内容が頭に入らないことがあるのは、もはや空腹を感じていないからかもしれない……
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これを書いて以来、ぼくは意図的に空腹を作り出すようにしている。だからといって本の内容が頭に入ってきたかどうかはわからない。

例えば、ル・クレジオ『嵐』中地義和訳(作品社、2015)なんてのは、その表題作はヴェトナム戦争に従軍し、兵士が現地の女性を強姦するのを見過ごしにしたことによって投獄されたキョウさんという男性が、かつて恋人が入水自殺した韓国の牛島に久しぶりにやって来て、米兵と現地女性との子供ジューンと知り合い、ある種独特の関係を切り結ぶ話なのだが、夫に捨てられ都会からこの離島に移り住み海女となった母親を真似、海に潜るジューンの叫び声を目にした瞬間に、ハタと気づいているのだから、果たしてテクストに没入していたのかそうでなくて単にぼんやりしていたのか?

ジューンは叫ぶのだ。「エエエアル―ヤアアアル!」と。つまり、ここからタイトルはきているのだ。だから「嵐」なのだ。


ちなみに、ル・クレジオは、今週日曜、12月20日、東京大学で講演会を行う。リンクはこちら

2015年12月13日日曜日

他人の授業をのぞき見する

『早稲田文学』2015年冬号にはエドゥアルド・ハルフォン「遠い」(松本健二訳)ベルナルド・アチャガ「アコーディオン弾きの息子」抄訳(金子奈美訳)が掲載されている。

「アコーディオン弾きの息子」は、作者の本名と同じ名の作家が、50で死んでしまった友人(アメリカ合衆国に移住し、しかし、妻に古い言語と言われるバスク語で回想録を書いた)の回想録を基に本を書こうとする話だ。ハルフォンの「遠い」は文学教師が、詩を書く教え子と交流を持つのだが、その教え子が大学をやめてしまい、その理由を尋ねにはるか田舎まで旅をする話。その学生はカクチケル語の話者でもある。

多言語状況というか、間文化性というか、そうした状況の中で書く言語を選択する人がいることをオートフィクションとして示しているという意味で、この2作品は、現代文学(スペインとかグワテマラとか、個別の一国に限らず)のあるひとつの方向を示している。

とろこで、ハルフォンの短編には授業の内容も少し書かれていて、同僚がどんな授業をするのかが常に気になる僕にとっては、そういうのぞき見趣味(? 研究熱心、と言ってもらいたい)をも満足させるものだ。


教師と学生との教室での関係というのはまた、ひとつの頻出するトピックで、その観点からも人を惹きつけるところ。

2015年12月6日日曜日

海老で鯛を釣る、ではないし、ミイラ取りがミイラになる、でもないし、……何て言うのだ?

下北沢のB&Bに今福龍太とキルメン・ウリベのトークショウに行った。で、キルメンの本は買わずに(だって、持ってるもん。読んだもん。書評すら書いたもん)、こんな収穫があったよ、という絵。

エリック・ラックス『ウディ・アレンの映画術』井上一馬訳(清流出版、2010)

元から知らなかったのだったか、忘れていたのだか、ともかく、持っていなかったこの本。B&Bに置いてあった。600ページを超す分厚い本が3,800円也だったので、すぐさま買った。

右の黄色いのは: Enrique Vila-Matas, Marienbad eléctrico (México: UNAM / Almadía, 2015).
ビラ=マタス『電気のマリエンバード』。グワダラハラのブックフェアから帰ったばかりの宇野和美さんが、今年のブックフェア賞受賞者ビラ=マタスの、それを記念して出されたばかりの本をお土産にくださった。

その上に乗っているのは、温又柔さんの「あなたは知らない」。黄耀進による台湾語訳との対訳2年前のフェスティヴァル・トーキョーでの「東京ヘテロトピア」。そこで最初の台湾語辞書を作った王育徳について温さんの書いたテクスト(その時、僕もその王育徳の墓の前でこのテクストを聴いたのだった。とりわけ印象的な文章だ)を、こうして小冊子にして持ち歩いていた温さん(つまり、彼女も来ていたわけだ)に、いただいた。

ビラ=マタスの本と温さんの本、キルメンの小説の中身は、近年のある種の文学の方向性を明確に示し、共鳴し合っていると僕には思える。そのことはおいおい、書いていこう。

キルメンの本を買わなかった代わりに(?)ちゃっかりサインはいただいてきた、というのが上の1冊。

トークショウはまず前半、今福さんが『ムシェ』の中で印象的だと思ったパッセージを取り上げ、それに関連してキルメンに質問するもの。前回の来日時はこれを書き上げた直後だったのだが、1作書き上げた後の作家の意識としてはどんなものだったか、『ムシェ』の中のロベールの妻ヴィックの、違いがあるからこそ愛し合えるという態度、等々、等々……


途中で休憩を入れ、キルメンがバスク語の詩を読み、今福さんがその日本語訳(もちろん、金子奈美によるもの)を読み、最後に返礼として今福さんによるスペイン語の詩を日本語訳(本人による)を今福さんが、オリジナルのスペイン語版をキルメンが読む、という形で締めた。

2015年12月5日土曜日

縮小経済を生き……ているのか? 

冷蔵庫の調子がおかしくなった。自動霜取り、排水処理要らずのはずなのに、水が垂れる。しかも、かなり頻繁になってきた。容量もいささか小さめなことだし(ここに引っ越してきてから、ともかく、家で食べる頻度が増えたので、冷蔵庫もフル稼働だ)、思い切って新しいのに買い換えた。家電リサイクル料が安いグレードぎりぎりの170l弱。

やれやれ、本当に縮小経済なんて生きられない。

古い冷蔵庫はリサイクル料を払って引き取ってもらったわけだが、……

! 

中にいくつかものを入れたまま運ばせてしまった。

参ったな。

プラド美術館展@三菱Ⅰ号館美術館。

非常勤先の慶應の学生に、バイト先で手に入れたといって無料券をいただき、その有効期限が明日までだったのだ。

土曜の割りには空いていたし、このサイズの美術館に期待したよりはるかな充実ぶり。ボス、レーニ、ティントレットにベラスケスのパチェーコ像、当然のルーベンス、ムリーリョにブリューゲルのバベルの塔、ゴヤ……


ところで、1月8日、下北沢のB&Bで『文学会議』関連のイベントをやる。豊崎由美さんとのトークショーだ(かすかに色の変化した部分には関連サイトへのリンクがあるのだ。念のため)。ぜひ、ご参集されたし。

不敬の刺激

坂手洋二作・演出「お召し列車」燐光群@座・高円寺

東京オリンピック(例のボツになったエンブレムがあちらこちらに貼ってあった。それだけでもう面白い)時の観光客向け特別「お召し列車」の構成を決めるための試運転の列車が舞台。無作為に選ばれた審査員たちが、豪華列車からなるA案と歴代ロイヤル・トレインをつなぐというB案の2つがプレゼンされるのだが、2案の車両の間に、ハンセン病患者向け「お召し列車」復元車両があることに気づき、これをC案として考慮に入れることにする。

「お召し列車」復元車両は、1953年、ハンセン病収容所内にできた高校に入学するために全国から移動する患者たちを乗せて走ったことがあり、その時、その列車に乗った元患者たちも招かれ、この列車に乗っている。かつてその高校に通い、後に収容所を出、身分を偽って結婚したものの、そうしてできた息子を亡くし、別れ、また別の収容所に入っていた女(渡辺美佐子)とその又めい(宗像祥子)、幼くして死んでしまった息子の幽霊(猪熊恒和)の話が、上の審査員たちの話と交錯する。


皇室の列車である「お召し列車」がハンセン病患者の列車の隠語でもあるという差別の構造がある以上、実は東京オリンピックの観光客向けの「お召し列車」にはある大胆で不敬、しかし説得力のあるひとつの仮定が存在するのだとの事実が露呈する瞬間があり、鳥肌が立つ。うーむ。2020年、東京オリンピック。もうそんな先の話ではない。

比較的席が前の方で、カーテンコールではちょうど松岡洋子さんが正面に立つ格好になった。ふふ♡

2015年11月21日土曜日

私は如何にして個人番号を受け取るに至ったか? 

荷物を待っていた。待望の荷物だった。ふと、窓の下を見れば、それを運んでくるはずの運送会社のトラックがはす向かいの集合住宅前に停まっていた。そんな状況だったから、ピンポーン♪ と鳴ったとき、何の疑いも抱かず、確かめることもなく、ドアを開けた。

郵便配達人だった。


お名前、間違いないですね? では、印鑑、お願いします。

「マイナンバー」などというダサダサの通称など、使いたくもない。あの忌々しい個人番号カードだったのだ。意に反して、僕はそれを受け取るという屈辱を舐めたのだった。

……参った。その1、2分後、本当に待っていた荷物はやって来た。

荷物はこれだ。

電気を使わない手動のエスプレッソ・マシン。湯を注いでレバーを上げ下ろしするだけでエスプレッソが美味しく仕上がる。僕は使わないけれども、付属の器具を使えばカフェラテやカプチーノも作れる。

Facebookで誰かがいいね! していた広告のページ。思わず、見た瞬間に買ってしまったのだ。

前に書いたとおり、炊飯器やコーヒーメーカー(ドリップ式)の電化製品を捨て、手動に回帰しているのだった。普段は自分でドリップしたコーヒーを飲むのだが、エスプレッソも飲みたい。それで、エスプレッソ・マシンだけは捨てずにいたのだ。が、いい機会だと思い、これに換えた。スペースもスッキリ。できも上々。


うーむ、「縮小経済を生きる」(ものを切り詰め、増やさず、シンプルに生きる)と「物欲」は表裏一体なのだ。ものを持たないということは欲望に叶うものを持つということなのだから……

2015年11月20日金曜日

ものにも命がある

ものにも命がある。

これは『百年の孤独』でメルキアデスがホセ・アルカディオを騙すときに使ったセリフだ。しかし、そこには一片の真実はある。

モノは、時々、例えば買い換えようかなと思ったときとか、飽きたな、と感じたときなど、不機嫌になる。不機嫌になって故障したり壊れたりなくなったりする。

考えようによっては、逆も言える。僕らはモノの命や状態を暗黙のうちに察知し、そろそろ寿命だというころに買い換えを考えたりする。

でも、そう考えるより、モノにも命があると考えた方が何だか生活が潤う。たぶん。

たまに自転車で大学に行く。満員電車を避けるためだったり、サイクリング気分を満喫するためだったり、ともかく、自転車で大学に行く。前に書いたと思うけれども、東大に勤めるようになって、大学からほど遠からぬ場所に引っ越した際のコンセプトは学生のような生活がしたい、だった。大学から遠からぬ場所に住み、ほぼ毎日大学に行く。自転車で通うというのも、そのコンセプトに含まれた行動だ。

自転車自体はけっこう前に買ったものだ。このブログのバックナンバーをたどれば、買ったときの記事が見つかるはずだ。この自転車が、前のアパートの駐輪場が雨ざらしだったものだから、サビができたりしてうるさい。チェーンが軋みを上げたり、ブレーキがキーキー鳴ったりする。

先日、ふと、思い立ったのだ。そういえば自転車、買い換えようかな。すると、とたんに鍵をなくしてしまった。昨日のことだ。大学内での話だ。会議があったので自転車で大学に行き、どこかに鍵を落とした。今日、鍵屋を呼んで壊してもらい、近所の自転車で新たな鍵をつけてもらった。

……自転車本体ではなく、鍵が拗ねてしまったのだ。僕がそろそろ買い換えようなんて考えるものだから。

駐車許可の期限もあることだし、ええ、今年度いっぱいは、少なくとも、使いますとも。そう簡単には捨てません。

写真は昨日恵贈していただいたロベルト・ボラーニョ『はるかな星』斎藤文子訳(白水社、2015)。コレクションの新刊。この次は僕が訳す『第三帝国』だ。下は『ラティーナ』2015年12月号。ここに書評を書いた。キルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』金子奈美訳(白水社、2015)の書評を書いた。

『ムシェ』は涙なしでは読めない小説だ。オートフィクションの形式で、ロベール・ムシェというベルギー人の人生を作家(とおぼしき人物)がたどり、あまり知られていない戦時中の事故……事件を明るみに出す。


ウリベは『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(金子奈美訳、白水社、2012)の時に続き、来日する。東京都京都で色々なイベントに出る。

2015年11月8日日曜日

バルトはもうすぐ100歳になる


以前告知したように、昨日、11月7日、明治大学中野キャンパスでシンポジウムSpinning Barthesに出てきた。15人の非専門家(バルトの、もしくはフランス現代文学の)がバルトの著作の1冊を15分間プレゼンテーションするという試み。なかなか面白かったのだ。

上野俊哉さんの『神話作用』についての話(カルチュラル・スタディーズの先駆者としてばかりの読みはもういい加減やめようよ、と)に始まり、発表者のアイウエオ順に、ぼくの『偶景』についての話まで、質疑応答も含めると5時間ばかりの濃密な時間。

会場はこんなすてきな場所だった。



一夜明けて今日、次の翻訳のゲラが来た! フアン・ガブリエル・バスケスの『ものが落ちる音』あるいは『落ちる音』だけになるかも知れない。El ruido de las cosas al caer。頑張って校正して、公約通り年内3冊の翻訳出版となるか!?