ものにも命がある。
これは『百年の孤独』でメルキアデスがホセ・アルカディオを騙すときに使ったセリフだ。しかし、そこには一片の真実はある。
モノは、時々、例えば買い換えようかなと思ったときとか、飽きたな、と感じたときなど、不機嫌になる。不機嫌になって故障したり壊れたりなくなったりする。
考えようによっては、逆も言える。僕らはモノの命や状態を暗黙のうちに察知し、そろそろ寿命だというころに買い換えを考えたりする。
でも、そう考えるより、モノにも命があると考えた方が何だか生活が潤う。たぶん。
たまに自転車で大学に行く。満員電車を避けるためだったり、サイクリング気分を満喫するためだったり、ともかく、自転車で大学に行く。前に書いたと思うけれども、東大に勤めるようになって、大学からほど遠からぬ場所に引っ越した際のコンセプトは学生のような生活がしたい、だった。大学から遠からぬ場所に住み、ほぼ毎日大学に行く。自転車で通うというのも、そのコンセプトに含まれた行動だ。
自転車自体はけっこう前に買ったものだ。このブログのバックナンバーをたどれば、買ったときの記事が見つかるはずだ。この自転車が、前のアパートの駐輪場が雨ざらしだったものだから、サビができたりしてうるさい。チェーンが軋みを上げたり、ブレーキがキーキー鳴ったりする。
先日、ふと、思い立ったのだ。そういえば自転車、買い換えようかな。すると、とたんに鍵をなくしてしまった。昨日のことだ。大学内での話だ。会議があったので自転車で大学に行き、どこかに鍵を落とした。今日、鍵屋を呼んで壊してもらい、近所の自転車で新たな鍵をつけてもらった。
……自転車本体ではなく、鍵が拗ねてしまったのだ。僕がそろそろ買い換えようなんて考えるものだから。
駐車許可の期限もあることだし、ええ、今年度いっぱいは、少なくとも、使いますとも。そう簡単には捨てません。
写真は昨日恵贈していただいたロベルト・ボラーニョ『はるかな星』斎藤文子訳(白水社、2015)。コレクションの新刊。この次は僕が訳す『第三帝国』だ。下は『ラティーナ』2015年12月号。ここに書評を書いた。キルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』金子奈美訳(白水社、2015)の書評を書いた。
『ムシェ』は涙なしでは読めない小説だ。オートフィクションの形式で、ロベール・ムシェというベルギー人の人生を作家(とおぼしき人物)がたどり、あまり知られていない戦時中の事故……事件を明るみに出す。
ウリベは『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(金子奈美訳、白水社、2012)の時に続き、来日する。東京都京都で色々なイベントに出る。