2012年1月14日土曜日

冷たくてどんよりとした1日

今日はセンター試験の初日なのだが、ぼくは二日目だけの監督なので、今日はオフ。1日籠もって仕事をする。

朝、届いたのは、2日前の『毎日新聞』ここの文化欄「新世紀世界文学ナビ」12日づけにカルロス・バルマセーダとその『ブエノスアイレス食堂』について書いたのだ。

実際の記事は、もうウェブ上で読めるようになっている

2012年1月8日日曜日

b/v問題

ひとつ前の記事のタイトルを下らないダジャレのようなものにしたから、その罪滅ぼしというわけではないが、言語問題。

1957年8月1日の日記で、ゲバラは書いている。

Llegamos a Las Minas donde el pueblo estaba votado en la calle agasajándonos (Ernesto Che Guevara, Diario de un combatiente, México, Ocean Sur, 2011, p. 147)
〔我々がラス・ミナスに着くと、人々は街中でvotadoな状態になっていて、我々を歓待した〕

うーむ。votadoというのは、動詞votarの過去分詞で、votarした、し終えた、された、などの意の形容詞になる。votarは投票するの意の動詞。

選挙の話をしているのではない。だからこのvotarが謎でしかたがなかった。

数ページ先、8月6日にはこんな記述がある。

Inmediatamente, todo el pueblo se botó a saludarnos. (p.151)
(すぐさま人々が飛び出してきて、我々に挨拶した)

! 

ゲバラは、あるいはその日記の編者はbとvを取り違えていたのだ。

いつものb/v問題だ。スペイン語ではbとvの発音上の区別はない。とされる。が、スペイン語圏のかなり多くの国では、学校などで区別するべきものだと教えられるようだ。しかし、もうひとひねりあって、そう教えられても、現実には区別しないひともたくさんいる。でもやっぱり区別したがる人も、負けず劣らずたくさんいる……という例の問題。

おそらく、ゲバラはb/vの区別をせず(何かの音声記録を持っていたように思う。後で確かめておこう)、それが記述に影響してbotar/votarを間違えたのだ。編者の間違いという可能性は消えないにしても、ともかく、こういう間違いを見ると、なんだか心が躍る。

ワンダッフル トゥナーイ♪

やれやれ。

この間、スタジャンが復活を遂げたと思ったら、今度はダッフルコートだとよ。これじゃあ30年前と同じじゃないか。30年前というのは、つまり、ぼくが高校を卒業した年だが……だってぼくは、センター試験の前身、共通一次試験のその日、雪が降ったので、当時持っていたダッフルコートを着て行った記憶があるのだ。やれやれ。

てなことを思ったのがつい先日、ダッフルコートが流行っているらしいことを察知したからだ。しかも、ずいぶんと短いものが! 

あきれたような書きぶりで書いてみたが、何も嫌がっているわけではない。むしろ喜んでいるのかもしれない。ダッフルコート好きのぼくとしては。

人間の一生なんて一瞬の出来事やイメージに集約されるものだ。ぼくの一生はどんな出来事に集約されるのかまだわからないけれども、きっとそのときのぼくはダッフルコートか、でなかったらスタジャンを着て照れ笑いしているに違いないのだ。

やれやれ。

哀れな一生である。

……と言いながら、先日、近所のデパートにコーヒーを買いにいったついでにいろいろ冷やかしてみたら、50パーセント引きで売っていた、ダッフルコート。ダッフルコートというよりは、そのトグル。

背中や肩が凝ってバリバリになっているので、ぼくが必要としているのは防寒ではなく、凝りの解消なのだけど。

……おっと。肝心な話。これを着て買いに行った雑誌『文藝』2012年春号には先日のダムロッシュ来日の際の東大でのシンポジウム「世界文学とは何か」の、ダムロッシュと池澤夏樹の話が採録されている。これに、ヤニック・エネルへの小野正嗣のインタビューを加えて特集としている。これは助かる。来年度の授業の資料に使おう。

と思ったら、この雑誌の鴻巣友季子と市川真人の「国境なき文学団」で『ブエノスアイレス食堂』を取り上げてくださっていた。ありがたい。

2012年1月6日金曜日

天才!

暮れに去年仕事で縁のあった方がツイッターで、パーカーのインジェニュイティを買ったと書いているのを読んだ。

で、それが何なのか探してみて、ぼくもたちどころにほしくなり、すぐに買った。

読むものと書く道具に金を惜しんでいちゃあ、仕事が成り立たない。贅沢だと言われようが何だろうが、気にしない。おれの勝手だ。買ったのだ。

ふだんは万年筆を使っている。先日修理から戻ったばかりのモンブランはキャップがネジ式なので、開けるのに時間がかかる。ねじ込みでないキャップの万年筆なども持ち歩いてはいるが、蓋を開けっ放しにすることができないのが玉に瑕。会議などのメモ用には不向きなのだ。

15年ほど前、法政に勤めはじめたころに兄夫婦からいただいたパーカーのローラーを持っているには持っている。悪くはない。が、紙によって裏滲みなのどがあっていけない。

それらの欠点を解消してくれそうなのが、これ。パーカー5thことインジェニュイティ。

ぼくはいろいろなところについ力が入ってしまう人間で、だから筆圧も無駄にあったりするのだが(授業中にはよく白墨を折る)、そして今ではそのように力んだくらいの方がうまく書けるというほどなのだが、さすがにそれでは手が疲れる。これを重宝して少しは字もうまくなろう。

2012年1月4日水曜日

まだまだ言語について

昨夜、仕事が行き詰まってしまった。ある翻訳で、「(略)こんなふうに27で支払った」という文章があり、その注に「この27は○に囲まれている」とあった。まず、この「27」の意味がわからず、注の意味もわからず、これでひと晩つぶした。

注がわからないというのは、ぼくはこの文章を「27はサークルに閉じ込められている」と理解したからだ。で、いろいろ調べたが、たとえば、21、24、25、29などはいろいろな意味を持つ語なのだが、27の持つ他の意味は見出しえなかった。

たぶん、この注をつけた人も、本文の27が何のことだかわからなかったのだ。何のことだかわからない単語だから、○に囲まれていて、暗号のようになっていることを示さなければと考えて、そうしたのだ。そういう意味のメッセージであるということがわからなければ、この注は、ぼくが解したように、「サークルに閉じ込められている」になってしまう。注はこの本文についてのメタ情報であるのに、ぼくはそれを情報の追加だと思ってしまったというわけだ。

やれやれ、難しい。これで3時間ばりも費やして、ついにわからず、昨夜のぼくはふてくされて落語を聞いたのだった。

NHKのEテレ「日本の話芸」20周年記念特集というやつ。小さんの「長屋の花見」やら先代の圓楽の「浜野矩随」など……と書こうとして、「浜野矩随」が簡単に変換されないことに腹を立て、夜の後半を過ごした。

まったく、ATOKは最近、「お笑いタレント辞典」などとよけいな辞典機能をつけて重くてしかたがない。加えて、そうしたものがしょっちゅう更新されるから煩わしくてしかたがない。そのくせ名作落語のタイトル変換などはすんなりとはいかないときている。どうにかしてほしいものだと思う。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった(田村隆一)/ATOK辞書なんかおぼえさせるんじゃなかった(おれ)

2012年1月3日火曜日

こいつぁ春から……

昨日、1月2日、散歩から戻って仕事を再開しようとしたら、椅子が壊れてしまった。ぐにゃっと歪んだのだ。こんなふうになるというのは、どういうことなのか?

きっと姿勢が歪んでいるんだろうな。

近所のホームセンターでパイプ椅子を買った。この方がよっぽどすっきりしていい。ついでに他の椅子も捨ててしまおう。

『朝日新聞』には「壊れる民主主義」なんて記事が。「若者の渇きにポピュリズム」との見出しで、橋下徹とニコラ・サルコジを比較しながら、彼らの威勢の良さを前面に出した手法を「ポピュリズム」とし、それが若い世代の閉塞感の受け皿になっているとするもの。最後はポピュリズムの宴の後たる阿久根市の例などを出していて、なかなか面白い。

橋下徹が騒がれる前は、たとえば、シルヴィオ・ベルルスコーニ、石原慎太郎、小泉純一郎、ジョージ・W・ブッシュなどの威勢の良さが一種のポピュリズムと結びつけられたものだ。ただし、以前は「若者」ではなく、もっと違う階層の不満を吸収するものとして語られていたように思う。

TVのニュースでも見ようかと思ったら、ちょうどその橋下徹。「大阪の未来予想図を……」などと言っていた。「……」の部分はぼくによる省略ではない。TVではそれ以上流れなかったのだ。

未来予想図ね。なるほどね。こんな言葉遣いが「若者」を引き合いに出させる効果を上げているのかもしれない。

周知のこどく、「未来予想図」というのは、ドリームズ・カム・トゥルーの曲のタイトルで、近年ではそれをモチーフにして映画が作られたりもした。それからの借用だ。「未来予想図」。やれやれ、と思う。

こうした使い古されて陳腐に成り下がってしまった言葉をスローガンのように使ってしまう愚かな政治家のいかにも愚かな政治家然とした言語操作能力に不快感を覚える。そうした橋下の言葉を述部の音を消して、まさに「未来予想図」が目立つように編集して、この言語の貧しさを助長し強調するかのようなTVの、いかにもTV的な操作に辟易する。

言語によって何かを表現する以上、我々の言葉は大半は陳腐で恥ずかしい言い回しにまみれるものだ。その恥ずかしさに気づかず、陳腐な言葉をあたかも美しいスローガンであるかのように利用する態度は、なるほどポピュリズムであり、俗情との結託だ。陳腐な表現まみれの言葉の中で、わずかひと言でも、ほんの一瞬でもそうした陳腐さから逃れようとする言語活動だけが、傾聴に値する。

大阪の人たちは可哀想だ……

……と、東京の人間が言うのも虚しいか……(さすがに石原慎太郎は、「東京の未来予想図は……」などという言語的貧しさは持ち合わせていない。彼はただ精神が貧しいのだ。いや、彼の言語の貧しさは、また異質なものなのだ)

2011年12月31日土曜日

日記

皆、今年の3冊、なんてなことをブログで発表したりしている。ぼくは、年をまとめるなんてするまいぞと思う。

その代わり、一番最近の収穫。アルフォンソ・レイェスの『日記』全7巻中の最初の3巻。

レイェスの日記はかつてグワナフワト大学出版会から出ていた。ぼくがレイェスを読み始めたころには、しかし、1969年刊のその本は手に入らなくなっていた。したがってぼくは日記をコピーで読んだ。しかもその日記は1930年までのもの。この7巻本の第2巻までの部分だ。

まだすべての配本が終わってはいないが、この新しい校注による日記の完全版、これはとても楽しみに待たれたもの。

たとえば1926年12月12日にはパリにあったレイェスをポール・モランが訪れ、今度メキシコに行くし、ついでにニューヨークにも行って黒人についての小説を書きたいのだが、と言ったので、それならぜひキューバにも寄れと、レイェスがアドバイスする。1月16日には今度はレイェスがモランを訪ねてメキシコでどこに行けばいいというような話をする。そしてついでにヴァレリーに挨拶を、……なんて記述に満ちているのがこの日記なのだ。

付録や注なども充実。レイェスの周辺の人物は一読の価値ある日記だと思う。

2011年12月28日水曜日

想像力の変質について

サンティアーゴ・パハーレス『キャンバス』木村榮一訳(ヴィレッジブックス、2011)

もう何年も前に筆を折ってしまったが、その功績において名高い名画家エルネスト・スーニガが、自分の財産の管理のようなことをしている息子のフアンを通じて持ち絵をオークションに出す。それをプラード美術館が落札する。この美術館が生きた作家の作品を買うのははじめてのことだ。それだけの価値のある画家なのだ。これはたいそうな話題になった。ところが、除幕式の日、エルネストはその絵の瑕疵に気づき、息子にあの絵を描き直したいと言い出す。息子は、当然、断る。そこでエルネストは自分の学校時代の先生で、贋作画家としての顔も持つベニートに相談を持ちかける。ベニートは美術品の盗難を生業とするビクトルに話しを持ちかける……

帯には「驚異のストーリーテラーの真骨頂」とある。「精緻な構成力/圧倒的な筆力/心震えるラスト」とある。ストーリーの面白さがウリの小説なのかとの予断を、読者は抱く。実際、上のようにまとめたストーリーは面白い、いくつかどんでん返しも用意されている。

しかし、この作家を読んでぼくが感じるのは、ストーリーの巧みさではなく(いや、巧みではあるので、それはそれでいいのだが)、むしろ、ある種の設定の作り方、トポスの作り方の特徴だ。たとえば、絵を描き直したいと言い出したエルネストを諭すために、フアンがプラード美術館の館長に掛け合い、館長はふたりの訪問を受ける。その場面。

 開館前の午前八時四十五分にゴヤの『カルロス四世の家族』の絵の前で会うことになった。(78ページ)

ぼくはこの一文を読んでぶっ飛んでしまった。これはもう小説の時空間というよりは演劇的、いや映画的演出だ。このシーンの視覚的要請によってこうした設定が可能になっているのだ。

これがパハーレスのみの特徴だとは思わない。恐らく、前々から少しずつ気づきつつあったようには思う。映画的想像力が文学的想像力に先立ってあるのだ。この現象は、何かじっくり考えてみる必要があるのではないか?

2011年12月23日金曜日

みーんな悩んで大きくなった

イラン・デュラン=コーエン『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(フランス、2006)

意外にサルトリアンなのだよ、ぼくは。といっても、サルトルの書いた本やサルトルについて書かれた本を数冊読んだという程度の話だが。そしてまたカルペンティエールやらバルガス=リョサやらといったサルトリアンも読んでいるという程度の話だが。

で、なんだかみんなが真剣にサルトルの書いた本の内容についてばかり語っていることが腑に落ちなかったのだ。サルトルが流行らせた実存主義という言葉が、ファッションの用語でもあったということ、つまりモードであった、流行であったということが置き去りにされているような気がしていたのだ。少なくともメキシコでは、実存主義はモードだった。とホセ・アグスティンが言っている。

『サルトルとボーヴォワール』が成功しているのは、この二人の作家の関係を気難しく哲学的に捉えようと躍起になることをせず、これがモードなのだということを示しているところだろう。ジャズが流れる(ジャンゴ・ラインハルト風のギターの入ったトリオの生演奏)酒場、どこぞのサロンでのパーティ。原題を『カフェ・ド・フロールの恋人たち』というわりに、フロールよりはそうしたシーンが印象的だ。

少なくとも、メキシコでのモード用語としての実存主義は黒いスーツに尽きるらしい。そうホセ・アグスティンが書いていた。サルトルは実際、黒か濃いグレーのスーツを、年に5着あつらえ、とっかえひっかえそれを着ていたそうで(つまり着替えているのにいつも同じスーツに見える)、そのわりにロラン・ドイチェマン演じるサルトルの服は多様に過ぎたように思うが、でもそれも、モードとしての彼の存在を誇示するのに役立っていたというべきか。

とはいえ、この映画はボーヴォワールに焦点が当てられているというべきで、そこが第二の成功点。友人の死で結婚のイデオロギーに帰着するブルジョワ嫌悪を植え付けられ、サルトルによって自由の希求を開眼され、ネルソン・オルグレンによって『第二の性』の視点に目覚め、最後は自身とサルトルの神話に殉じる決意をする。思うにとても多義的で複雑な印象を与える役だ。ヤン・クーネン『シャネル&ストラヴィンスキー』でココ・シャネルを演じたアナ・ムグラリスは、すっかりモダンな女性の代名詞となりそうな勢いだ。

ちなみに、この文章タイトルはサルトルを読む以前からぼくらの世代の者の脳裡にへばりついたひと言。サルトルと言えば、野坂昭如の声と、このひとこと。昨日、学生と話していてこのセリフを言ったら、当然のことながらわかってくれなかった。

2011年12月18日日曜日

セレンディッポの王子さま

昼間(日付が変わってしまったが)読んでいたセサル・アイラの小説『試練』(César Aira, La prueba, México, Era: 2002 /1992)にこんな小話があった。

老いぼれスペイン人がやってきて、彼(ポルセル)にサン・フェルミンの祭りでの経験を話した。牛が放たれたので彼も走り出した。彼は走った。すると後から牛が追いかけてきた。彼が前、牛が後だ……ある角に来たところで、王が通りかかった。良き廷臣である彼は王にお辞儀をした……すると牛は……そこで太っちょポルセルは訊いた。そんなに早くかい? その前に酒に誘うこともしなかったのか? (24ページ)

こんなところを読んでいたからだろうか? 夜、ある情報を探して昔のノートを捲ったら(といってもPDF化されたものを見たのだが)、大学2年生のぼくが、ある人物と話していて、うん、やっぱりなんか礼儀正しく、最初はデートに誘うところからはじめるべきじゃないかな、とアドバイスしたという記述があった。

ふむ。シンクロニシティだ。セレンディピティだ。

ところで、この小話の意味、わかるだろうか? 

「もちろん」とマオが言った。「牛が角を尻に突っ込んだのよね。それがおかしいってのなら……」(24ページ)

この小説でセサル・アイラは ¡¿ ?! という配置を採用していた。 !?ではなく。