それはつまり、佐藤究『Ank: a mirroring ape』(講談社文庫、2019 / 単行本は2017)のことだった。京都にできた民間の霊長類研究所のチンパンジーが引き金となって起こる謎の連続暴動事件の小説だ。面白い。
ことしの初頭、同じ作者の『テスカトリポカ』(KADOKAWA、2021)を読んで書評を書いたことは紹介済み(リンク)。その佐藤さんと、こういう
催しをやるのだ。立教大学ラテンアメリカ研究所(リンク)主催の第51回「現代のラテンアメリカ」講演会。講演というよりは、対談。対談というよりは、インタヴュー、かな?
前に書いたように、『テスカトリポカ』はメキシコの麻薬カルテルのボスだった人間がインドネシアを経て川崎で闇ビジネスを行うというもの。そのボスの脳裏にすり込まれるアステカの神テスカトリポカの影、そしてそのボスと関係を持つことになるもう一人のメキシコ系の住民、……といった筋立て道具立てがメキシコに関連しているというので、ラテンアメリカ研究所としては、これは話していただくにしくはないと考えたのだろう。僕が話を聞き出す係となったという次第。
他の佐藤作品も読んで、どれも面白いので、僕も楽しみにしているのだ。
ところで、翻訳中の小説にオリヴァー・サックスが出てくるので、昨日はペニー・マーシャル監督『レナードの朝』(1990)を観た。サックスの本をドラマに作り直して映画化したものだ。第一次大戦後に流行した嗜眠性脳炎(ねむり病)とパーキンソン病との共通点に気づいた医者が後者のための新薬Uドーパを投与したところ、多くの患者が一時的に回復したという事例を物語化してロビン・ウィリアムズとロバート・デ・ニーロとで実現したもの(※)。
二次情報に多く触れているし、原作本にも目を通しているので、すっかり観た気になっていたが、初見であった。
映画や本にはそういうことがよくある。二次情報をたくさん得ているため、観た/読んだ気になる。そして時間が経つと忘れることも多いから、実際に観た/読んだものも観た/読んだんだかそうでないのだかわからなくなる。でも案外、映像に触れ、ページを開いた瞬間に、ああこれはたしかに既に知っていると記憶が甦ったりもする。そう考えると、数日前に記した(リンク)、何本観たかという問題はますます特定が難しくなるのだ(そしてもちろん、何冊読んだかという問題も)。
佐藤さんとの対談に際してはコーマック・マッカーシー原作の映画なども再見しておこうかと思う。でもそれはひょっとして初見なのか?
おととい作った茄子のトルティーヤ(エスパニョーラ)。
(※ 当初、間違えて「パーキンソン病」であるべきところを「アルツハイマー」と書いていた。ご指摘を受け、訂正)