新聞などが早くも書評を掲載しているので、僕もブームに乗じて:
村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編/第2部 遷ろうメタファー編』(新潮社、2017)
僕は常々、村上春樹はふざけた冗談をたくさん書いているのだが、その割になぜ人はこの作家のおかしさについてもっと語らないのだろうと不思議に思っている。『騎士団長殺し』の笑えるポイントは、いずれも登場人物(人物なのか?)すなわちキャラクターだ。騎士団長と免色渉。
『騎士団長殺し』はそのタイトルから察しがつくように、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を下敷きにしている。そこに上田秋成「二世の縁」(『春雨物語』)が絡み、それが『ザ・グレート・ギャツビー』の設定の前提に立っている、……という話。すぐれたアダプテーションの一例だ。
抽象画家だけど肖像画描きで生計を立てている「私」が妻の柚(ゆず)から離婚を提案され、放浪の旅の後に友人の父の家に住む。友人の父というのが雨田具彦という有名な日本画家で、今では認知症で施設に入っているので、家を維持する必要があっのだ。
「私」はもう肖像画描きはやめるつもりだったけれども、たっての願いで免色渉(めんしき わたる)という人物のそれだけは描くことになる。免色は実は「私」の住む小田原の山の中のちょっと先に見える豪邸の持ち主(ギャツビーなのだ)。
「私」がある日家の中で見つけたのは雨田具彦の知られていない作品『騎士団長殺し』。『ドン・ジョヴァンニ』の例のシーンを雨田得意の飛鳥時代風俗に移し替えて描いた作品だ。同時に、家の裏から鈴の音が聞こえてきて、気になって仕方がないので、「私」は免色とともにその場所にある穴を暴いてみる(上田秋成だ。そのことはテクスト内に明示される。で、この「二世の縁」というのがまたとんでもなくおかしな、笑える話だ)。
それを契機に顕れるのが、自らをイデアと名乗る騎士団長。雨田の絵の中の殺される騎士団長の姿をまとった身長60センチばかりのキャラクターだ。これがともかく、笑える。
僕はかつて村上春樹作品のキャラクター小説化(「キャラクター小説」は大塚英志の言葉)について書いたことがある(柴田勝二、加藤雄二編著『世界文学としての村上春樹』に所収「羊男は豚のしっぽの夢を見るか」)。そのキャラクター小説化のプロセスの果てにたどり着いた、これまでに最強のキャラクターではあるまいか?
「かまうもかまわないもあらないよな。雨田先生はもうおぼろで平和な世界に移行してしまっておられるし、騎士団長だって商標登録とかされているわけじゃあらない。ミッキーマウスやらポカホンタスの格好をしたりしたら、ウォルト・ディズニー社からさぞかしねんごろに高額訴訟されそうだが、騎士団長ならそれもあるまいて」
そう言って騎士団長は肩をゆすって楽しげに笑った。
「あたしとしては、ミイラの姿でもべつによかったのだが、真夜中に突然ミイラの格好をしたものが出てきたりすると、諸君としてもたいそう気味が悪かろうと思うたんだ。ひからびたビーフジャーキーの塊みたいなのが、真っ暗な中でしゃらしゃらと鈴を振っているのを目にしたら、人は心臓麻痺だって起こしかねないじゃないか」
私はほとんど反射的に肯いた。たしかにミイラよりは騎士団長の方が遥かにましだ。(I-350)
な? 『海辺のカフカ』などを思い出すが、もっとおかしいくはないか?
(ところで、僕はフアン・ホセ・ミジャスの『ちっちゃいやつら』(仮)Juan José Millás, Lo que sé de los hombrecillos という中篇小説を翻訳したいなと思っているのだけど、騎士団長の出るシーンを読みながら、つくづくとこの作品のことを思い出した。ある日、小型の人間が「私」の目の前に現れ、それと感覚を共有することになるという話だ)
免色がその場所にあった家を強引に買い取ったのは、ある女性の近くにいたいとの思いからのこと。その女性・秋川まりえとの仲立ちを「私」に頼むことになるという筋立ても『ギャツビー』だろ? つまりまりえの肖像を描くように依頼するのだ。その際に、偶然を装ってその現場に現れたいと望むのだが、計算違いから、思ったよりも早く対面することになる。その時の狼狽えようがおかしい。これも『ギャツビー』と言えばそうなんだろうが……
村上春樹の小説にはその生活態度や能力、手回しの良さにおいてパーフェクトな人間が大抵、登場する。少なくとも語り手=主人公にとっては、自分の対極にあるような完璧な人間だ。そんな完璧な人間が、その完璧な手回しによって語り手=主人公を意図しない邪悪な世界に引きずり込むのだ。今回。免色もそんなところがある。独身で豪邸に住み、あらゆることを完璧にこなす。そして自らの欲望を達成するために他者を巻き込んでいく。
しかし、そんな完璧な存在であったはずの免色が、秋川まりえを前に狼狽え、ドジを踏み、顔色を変えるさまはおかしい。笑える。長いから引用はしないが、ともかく、そんな狼狽えぶりで完璧のほころびを見せる免色の存在が主人公と取り結ぶ関係も、そんなわけで、いささか特異なものになっている。それがとても気になるところ。