2016年12月3日土曜日

バレエも美しい


この作品がフォーカスするのは3人のバレリーナ。アリシア・アロンソとビエンサイ・バルデス、それに少女アマンダ。

冒頭、アリシア全盛期の何十回と続くピルエット、継いで負けず劣らず続くビエンサイのピルエット、そしてまだ駆け出しで、数回も続かないアマンダのピルエットが連続で映される。

それ以前に、「この作品がフォーカスする」と言ったのだが、一番の冒頭から始まって上映中何度かフォーカスのぼやけたアリシアやリハーサル中のバルデスの姿などが映されるが、これはごく若い頃から網膜剥離に苛まれたアリシア・アロンソの視界を再現しようとしたものに違いない。アリシア(1921年生まれ)は実際、今では目はほとんど見えないのだけれども、それでもわずかに見える人の輪郭などを頼りにレッスンをつけているのだから驚きだ。「表情が硬い」などと叱責を飛ばすのだ!

アリシアにレッスンをつけてもらっているビエンサイ(字幕はヴィエングセイ)は押しも押されぬキューバを代表するプリマなのだが、リハーサル中は常に悩んでばかり。それがプロというものだろう。

アマンダはプロのバレリーナになりたくて、それを支えるために仕事をやめた父母とともに地方から上京してきて、バレエ学校の試験に臨もうとしているところで、ある日、レッスンの後にアリシアに稽古をつけてもらっているビエンサイの練習風景を覗くことになる。

盲目で高齢のアリシア・アロンソは、今では当然、激しい動きはできないのだけれども、その彼女が最低限の動きで振り付けの要点をビエンサイに示してみせるシーンがある。そのときのアリシアの動きにはハッとする。カルペンティエール『春の祭典』で、語り手=主人公のひとりベラが、自分に欠けているものはリズム感だとの観測を述べる箇所がある。リズム感と言っても、リズムに合わせることができるとかできないという話ではない。リズムに合わせつつ、独自のゆったりとした動作でリズムを支配する、そんな動きができないのだ、と。そうした動きができる人でないとプリマは張れないと。菊地成孔はファッションモデルたちがわざとリズムを外して歩くことを指摘し、そのずれにモードがあるのだと言っているが、それはこれに似たような動きのことを言っているのだろう。タメ、というか、腰……そうしたタメがいまだ堂々として、その時だけ年齢と盲目の条件を忘れさせる。そんな瞬間がある。


ところで、タイトル。原題はHorizontesと複数形だが、『ホライズンズ』でなくていいのかな? でも、そういえば、「地平線、水平線」を意味するこの英語の単語、かつては「ホライン」と表記していたと思うのだが、今では「ホライン」なのだ……ま、些細なことだが。