レイナルド・アレナス『襲撃』山辺弦訳(水声社、2016)
「超厳帥」が統治する社会で、囁きや人の股間を見つめる、規定された以外の語(「私、寒い」など)をしゃべるなどの行為が罪になる、そんな社会で罪人を次々と殲滅という名の死刑執行に追い込み、「愛国大英雄」として「超厳帥大演壇」の「名誉登壇者」となった「俺」は、母を憎み、彼女を殺すことを目的としているが、どれだけ探しても見つからない。「超厳帥」の部下でナンバーツーの「大秘書官」はこの「大演壇」の席で母を見つけ出せるはずだと甘言を弄する。しかして、登壇の当日……という近未来SF。
52の短い章からなり、各章につけたタイトルは何らかの本(脈絡のない)からの引用になっている。ただし、章の中身とは無関係。自身の作品からの引用もある。最終第52章だけが表題と同じ「襲撃」というタイトル。
母への嫌悪の凄まじさと性欲への意識が印象的。母親と出会えると期待した出来事の前の晩、逃げても逃げても母に放尿され、股間の陰毛に窒息させられるエピソードなどは、もう何と言うか、……何とも言えないのだ。父殺しというテーマは馴染みのものだが、これは母殺しの小説。
不思議な章ごとのタイトル以外に、この作品を読みにくくし、かつ読むドライヴとしている言語操作はいくつかの次元に渡っている。
1) 「五月蠅(うるさ)い」などの漱石風の漢字使い。
2) 「良留(ヨル)」「皇苑(コウエン)」などの通常の単語を別の漢字表記で表したもの。
3) 「複合家族」「大厳都」などのSF的設定ゆえの造語。この次元の造語、「複合独房」「愛国地獄」「移動式監獄」などはふと立ち止まって考え、笑ってしまう。
ここにアレナスが言論弾圧を受けたキューバ革命政権などの、あるいはより広範に言って独裁体制への批判を読み取ることは容易ではある。「発言撤回大ホール」、「大衆への見せしめ」としての「象徴的打撃」などの語は革命政府の強要する自己批判そのものだ。けれども、やはりそれ以上に気にかかるのは母への嫌悪、そして女全般に対する嫌悪感だ。実に、何と言うか、……何とも言えないのだ。
『夜明け前のセレスティーノ』(安藤哲行による邦訳が存在する)に始まる五部作〈ペンタゴニーア〉(五部作pentalogíaと苦悶agoníaを繋げた造語)の最終作。エイズを発症し自ら命を絶った亡命作家が最後に至った地点がこれだと考えると圧倒されるというか、言葉を失う。
写真はイメージ。昨日乗った都バス。そういえば、『襲撃』の人物たちはバスに乗るのではなく、バスになる。これもまた笑えるんだか悲しいんだかのエピソード。