2016年12月6日火曜日

蝶が舞う あるいは魔術的リアリズムの皮相な真相? 

『百年の孤独』のマウリシオ・バビロニアという人物には常に黄色い蝶または蛾(同じことだ。同じ単語なのだから)が飛び回っている。

これが意外に多くの人の心に残る要素のようで、よく引き合いに出されているのを目にする。「蛾」ではなく「蝶」なのでは? なんてものも含めて(繰り返すけど、同じ単語だ)。ガボの葬式の時にも黄色い蝶を舞わせたらしい。

これをして驚異的、魔術的、と言うべきかどうかは議論の分かれるところで、コロンビアのある地方では、季節になると蝶が大量に舞う光景が見られる。一種の風物詩だ。僕も『百年の孤独』を読むよりも前のことだと思うけれども、TVでその映像を見たことがあった。NHKなんかがよくやっている、外国のちょっとした話題を紹介するような番組だか番組内のコーナーだかでのこと。

蝶が大量に群れをなして飛ぶのは風物詩だとしても、それがひとりの人間に常についてまわるということは、なるほど、あり得ない話であって、それをして人は「魔術的」というのかもしれない。でも、それはむしろ、マンガみたいなキャラクター設定ということだろうと思う。常にある匂いに包まれる小町娘のレメディオスと同様の造型だ。

今日、2限の時間、そんな話をしていたら、3階の教室の窓に大量の黄色い虫がぶつかってきた。見ると蝶が大挙して窓を襲っていた!…… 

……よくよくみるとチョウではなくイチョウだった。イチョウの枯れ葉(『落ち葉』!)が風に舞って窓に打ちつけたのだ。

ま、「魔術的リアリズム」ってこの程度のことです、と僕は授業を締めくくった。

(以上の話には、フィクションがある。他のテクストを読んでいて、窓にイチョウが押し寄せ、見て錯覚して驚き、『百年の孤独』の話をした、というのが正しい順番。そしてそれは授業半ばのこと。すぐには終わらなかった。現実はそんなに美しくは終わらない)


いや、でも本当にイチョウが3階まで舞い上がってくるというのは、すごいことだと思う。

あ、そうそう。ここにエッセイ書きました。
『NHKテキスト 基礎英語1』2017年1月号。月替わりエッセイ「ことばのプレゼント」だ。今日の出来事に負けず劣らずマジカルな記憶の問題について書いた。