今日は神大で講演をする。神大といっても神戸大学ではない。神奈川大学だ。このことは先刻宣伝のとおり。
ボラーニョと『野生の探偵たち』についてしゃべるようにとのこと。ボラーニョというと、常に還ってきたい場所というのがあって、それが、中編『チリ夜想曲』(2000)のこの一節。
列車がカタコトと音を立てたのでウトウトとすることができた。私は目を閉じていた。今閉じているのと同じように閉じていたのだ。だが突然、再び目を開けた。するとそこに風景があった。変化に富み、豊かな風景。おかげでときには熱くなったし、ときには悲しくなった。そんな風景。(Bolaño, Nocturno de Chile, 2000: 16)
「するとそこに風景があった」だ。「変化に富み、豊かな風景」だ! この手抜きとも思える描写は何だ?
去年、12月に京都外語大で話したときは、これを列車の窓を通して眺めた風景、ある種の光学装置を通過した風景として理解し、ある展開をした。今回は、これをむしろ詩として理解しようと思う。ボラーニョの詩として。それが『野生の探偵たち』の解釈にも一役買いそうだという話。
しかし、まあ、今日は雨だ。今日も雨だ。ぼくは稀代の雨男なのだった。
Bolaño, Bolaño, gran poeta, poeta frustrado, poeta que nunca fue.
Bolaño, Bolaño, Roberto Bolaño, alias Arturo Belano.
Tocayo de aquel inmortal Rimbaud…