立石博高、塩見千加子編著『エリアスタディーズ110 アンダルシアを知るための53章』明石書店、2012年
ぼくの立場からしてみれば、単なる執筆者として4章+コラム1本を書いているだけだし(目次には名もないし)、啓蒙書たるこうした本の性質として、何か新しい冒険に出ることもなく当たり障りのないことを書いただけなので、だから表題のような小林一茶風の言葉が出てくるわけだが、とにもかくにも、無事出版されたのだから、めでたいことに変わりはない。買ってね。
ところで、電車の中で、中学生くらいの女の子が、目の前に座った父(か祖父)を相手に突然心情吐露を始めた:わたしさ、小学のころ、学校嫌いだったじゃん。それってさ、校舎がクソだったからなんだよね。チョー汚くて、ほんとに嫌だった。等々、等々……
あのね、校舎が汚いのが嫌なんだったら、その言葉遣いも少しは考えた方がいいと思うよ。美しく雅やかな言葉を使えとまでは言わないけれど、せめて斜め前で本を読んでいる中年オヤジ(つまり、ぼくだ)が、びっくりして目を白黒させてしまわない程度の言い方で表現してくれないかな。ぼくは本当にびっくりして、思わず君を見つめてしまったじゃないか。「クソ」なんて言葉は本当に我慢がならなくなったときのために取っておこうよ。君は6年間、その「クソ」に耐えたんだろう? だったらそれは「クソ」なんかじゃない。「クソ」は君のこれから先の人生のどこかで、必ず待っているからさ、だから、頼むから今は、小学校の校舎が汚いくらいのことで「クソ」なんて言わないでくれ……しかもそんな大声で……ぼくは本当にびっくりしたんだ。何しろぼくが読んでいたのは、
「その必要はないわ」わたしは、銃剣を払い上げる。そして、ママの手を取ってキスした。「ママ、神さまのお恵みを(ラ・ベンディシオン)」幼いころ学校に出かける前に、よくこう言ったものだ。(フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社、2012、145ページ。( )内はルビ)
というパッセージだったのだから。
生まれる時代と場所が違うと、いろいろなことを考えさせられるね。