2012年11月14日水曜日

時間差の偶然


日付が変わったのでもう昨日のことだ。13日(火)には講演会をハシゴしてきた。いずれも、@東京大学本郷キャンパス

まず、マリオ・ピエドラ「キューバと日本映画座頭市はなぜヒーローになったのか?」

ほぼ時間どおりに始まった。最初、そんな時間に関する冗談が主催者の野谷文昭さんから述べられ、話が始まった。スライドショーで座頭市シリーズのキューバにおけるポスターなどを見せながらの1時間あまりの話の後、質疑応答。これが盛り上がり、予定を30分過ぎて7時少しすぎまでのセッションだった。

あさってのこと、よろしく、などと挨拶して、そそくさと、次の会場へ。次は、

パトリック・シャモワゾー「戦士と反逆者──クレオール小説の美学」

星埜守之と塚本昌則が相手を務めた。遅れたと思って急いで行ったら、まだ始まっていなかった。こっちの方がキューバ時間だ。

それぞれの話の内容はとても面白く、ここで書き始めたら止まらなくなる。なので、ひとつだけ、とても面白いなあと思った現象を:

シャモワゾーはクレオールの言語を語りながら、実に規範的なフランス語に聞こえたということ。フランス語は苦手なので同時通訳のイヤーセットをつけていたのだけど、なくてもたいていわかった。それに対し、ピエドラはいかにもキューバ人らしく、しばらくそこから離れていたぼくはいくつか聞き落とした箇所があった。

つまり、フランス語の規範というものの強さと、スペイン語の規範そのものの多様性が対照的だったということ。スペイン語の各地方の言語はもうそれだけでクレオール語だと言ってしまいたくなることがある。キューバのスペイン語など、まだ慣れている方だからマシだとしても、馴染みのない地方の人の発話など、たまに聞くとそう言いたくなることが多々ある。

別にこんな機会でなくても、常々思っていることではあるのだが、改めて実感。