行きたくてもずっと行けなかったホセ・ルイス・ゲリン映画祭@イメージフォーラムを、やっと観に行った。2本だけだ。
『影の列車』(1997)
1920年代後半の映写マニアの晩年を、彼が撮った家族のスナップ(リュミエール兄弟がよく撮っていたような)を80年後に再編集しながら再構成する、という形式。20年代のフィルムというのも、もちろん、ゲリンが撮って引っ掻いたりして(なのか?)古いフィルムのように加工したもの。現在の映像は、窓枠、半開きのドアの向こうに見えるポートレート、鏡、水面に映った月、雷雨、自動車のヘッドライトとそれでできる陰影、等々、映画が100年かけて作ってきたトピックと、それを表現する撮影技術の粋を凝らして作ってある。編集作業中の私たちがフィルム内の人々の視線、手品のネタ、影、鏡などから、画面にはいないけれども存在してるはずの撮影する「私」を想起していく、一種メタ・シネマ的映画。
これだけの映画史を描きたげなゲリンが、『シルヴィアのいる街で』でも存分に発揮した、音声録音と再生のうまさを、ここでも既に発揮しているゲリンが、ここにただひとつ入れなかったものは、セリフだ。
結論として、映画はセリフなしでもなり立つのだ、と言えそう。
『ベルタのモチーフ』(1983)
作家のデビュー作。少女が村はずれの家に住みついた異者に魅入られ、それまでの人間関係から離れて成長していく話。
と書けばビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』を思い出す人も多いらしい。
冒頭のふたつめシークエンスは、ベルタ(シルビア・グラシア)が隣人イスマエル(ラファエル・ディアス)のトラクターに乗せられ、ある村に入っていくというもの。手前には村の名が書かれたプレートがかかっている。
次のシークエンスは地平線まで続くうねりのある草原をベルタが走っていくというもの。"Ber-ta" という2音節の名の呼び声が聞こえる。
ほらね? 『ミツバチのささやき』でしょ?
結論:すぐれた作家は紋切り型を恐れず、他者が切り拓いたトピックを堂々と引き受ける。
それでいいのだ。だからこそぼくらは映画に引き込まれるのだ。
もちろん、ベルタが走る草原はアナが走る草原よりも高い草に覆われており、ベルタの方がはるかに大人だということがわかる。アナより大人だからもっと淫靡だ。もっと生々しい。
水が印象的でもあった。